彼を愛した前夜祭1

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彼を愛した前夜祭1

 失恋とは唐突にやって来るものらしい。  そんな事実、知りたくなかった。  三回生の夏、俺は一つ上の想い人——アヤさんと学内図書館で勉強会をしていた。  そして開始五分と経たぬ今、失恋した。  およそ二年半温め続けた想いは、呆気なく切り落とされてしまったのだ。  正直認めたくないが、隣で辞書を捲る彼の項は俺の恋心を嘲笑うように、その存在を突きつけて来る。  どうやら悪足掻きすら許してくれないらしい。  「ねえアヤさん。昨日、カノジョとお泊まりでもしたの?」  「ふぇ? 俺、彼女なんていないよ? 何度も言ってるじゃん」  「……じゃあ、その歯形とキスマーク、何?」  「——っ、」  アヤさんの手が勢いよく項を覆う。  火が出そうなほど真っ赤な顔と、その行動こそが答えである。  余裕のない襟で隠しているつもりだったのだろう。普通にしていれば見えやしないが、屈んだり下を向いたりすると僅かな隙間から覗いてしまう。——彼より上背があり、気づけば眼で追ってしまう自分だからこそ、気づいたのだけれど。  羞恥心か、或いはそれ以外の理由からか。小さく震える手を指先で剥がして、問題の項を覗き込む。  綺麗に浮き出た頸骨の周りにくっきりと残る、人の歯形。そしてその中心にあるのは、生々しすぎる鬱血痕。  つい眉を顰めてしまったのは失恋の傷の所為か、はたまた自分の知らぬところで想い人を汚された敗北感からか。  「これ、出血しなかった?痛かったでしょ」  「………」  「当たり前だけどこんな傷じみてる痕、自分じゃつけられないよね」  「………」  「嘘つくなんてらしくないんじゃない?」  「………」  「だんまり?」  カノジョではないという『誰か』がつけた情愛の痕から目線をずらして、驚いた。  真っ赤になっていた筈の彼の顔が、今は血の気の引いた青いものになっている。  その上身体まで震わせているのだから、いっそ哀れだと思ってしまった。  そうなるような話をしたのは自分のくせに。  まるで捕食を待つだけの小動物のようになってしまったアヤさんが、恐る恐るといった様子で俺のシャツをちょんと摘まむ。  控えめに服を引いてくる彼に、なに、と眼で促す。  彼は視線を床に落とし密やかな声で、  「ばしょ、かえよ」  と請うように囁いた。
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