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あの夏の夜。俺は今夜と同じように一人で風鈴祭りを訪れ、彼女を探していた。結局、彼女とは会えずじまいだったから、今となってはあの夜、柏木がこの場所にいたかどうかすらわからない。
台風が過ぎ去ったばかりの会場は、あちらこちらに水たまりが出来ていた。風鈴たちはじっとりとした夜の空気の中を、気だるそうに泳いでいた。
俺は彼女を探しながら、屋台で買ったフランクフルトを食べていた。風鈴の下の人ごみで誰かとぶつかり、フランクフルトが大きな水たまりに落ちた。それを拾い上げようと水の中に手を入れた瞬間、なにかが爆発するような音がして、全身にものすごい衝撃が駆け巡った。誰かの悲鳴が聞こえた。最期に見たのは、水たまりの中で踊る火花だった。
そして次に目を開いた時、俺は始まったばかりの祭りの夜にたたずんでいた。
記憶だけ巻き戻った俺は、再び彼女を探した。だけど、どうしても彼女を見つけることができないまま夜が終わってしまう。やがて目を閉じて、次に目を開くとまた祭りの夜が目の前に広がっている。そうやって俺は何年も、この夜だけを繰り返してきた。
柏木に会いたい。想いを伝えたい。そんな願いだけを胸に、一年に一度だけ、この祭りの夜をさまよっていたのだ。
なんて情けないんだろう。例の根拠のない期待感を、死んでしまったあとも捨てられないなんて。こうして彼女に会えたところで、俺に気づいてもらうことさえも出来ないのに。
「いたのか?」
柏木と少女のもとに、一人の男性が駆け寄ってきた。
「うん、見つかってよかった」
柏木が少女の頭をなでながら言う。
「こら、勝手にいなくなっちゃダメじゃないか」
男性がいうと、「ごめんなさい」と少女はうつむきながら謝った。
ああ、そうか。彼女は結婚して、子供までいるんだ。あれから、どれだけの年月がたったのだろう。
目の前で柏木が笑っている。その横顔はとてもきれいだった。それは高校生のときの可愛さとは違う、俺の知らない美しさだった。よかったな、と俺は思う。きっと彼女は、幸せなんだろう。
あの夏、恋人同士にはなれなかったけれど、俺たちはいい感じの関係だった。俺が死んでしまって、彼女は深く悲しんでくれたに違いない。だけど、彼女の時間はどんどん進んでいって、きっと大切なものぜんぶが上書きされていったんだ。もう俺なんて、思い出しても辛いだけの存在なのかもしれない。
変わらないのは俺だけだ。夏の夜に取り残された亡霊は、このままそっと消えてしまえばいいのだろうか。
「しかし、和夏は本当にこのお祭りが好きだよなあ」
男性が言った。
「毎年かかさずに短冊も書いてるみたいだし。なにか忘れられない思い出があるとか?」
「そんなんじゃないよう。風鈴、きれいじゃん」
苦笑いをしながら柏木が言った。そのやり取りを聞いて、俺はさっき見た短冊の願いを思い出す。
『もう一度あの人に会えますように』
考えすぎかもしれない。勘違いかもしれない。だけど、もしあれが柏木の願いだったとしたら。彼女の願いが、俺をここに蘇らせたのだとしたら。
彼女のことを本当に好きだった。頭がいいのに、俺みたいなバカに笑いかけてくれるところ。大きな瞳。澄んだ声。赤く染まった頬。人をロマンチストだと言いながら、たぶん誰よりも素敵な出来事を求めているところ。
こんな想いを抱えながら、このまま消えてしまう? せっかく彼女を見つけ出すことができたのに?
バカをいうな。
俺は彼女に会いたい。もう一度だけでも、会いたいんだ。俺がここにいることを、どうしたら彼女に気づいてもらえる。
「あのね、光らなくなったのに、光るようになったの」
虹色のうちわを振りながら、少女が言った。その様子を見て、柏木が微笑む。
「そっか、よかったね。あ、次はあっちに行ってみようか」
そうか、と俺はひらめいた。俺の死因は、多分、光に関連するものだったのだろう。だから、俺は灯りに干渉することができたのだ。手を伸ばした先の電球がちかちかしていたのも、少女のうちわに光が戻ったのもそのせいだ。
届くかもしれない。この力に意味があるとするならば、俺は示すことができるのではないか。
彼女を呼ぼう。ほんの一回の瞬きのすきまだけでもいい。俺は願いを叶えるんだ。
遠ざかる柏木達の背中を見つめながら、俺は月のない夜空に手をかざす。全身がびりびりとしびれていく。
風鈴がいっせいに鳴り始めた。
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