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「土曜日の花火大会、一緒に行かない?」
塾での授業が終わり、二階の部屋から出たところで柚凪に言われた。
突然の誘いに湊は驚いたが、すぐさまいいよと返事をしていた。
内心では心臓が飛び出そうなほどドキドキしていたが、
できるだけクールに答えると、彼女は向日葵のような笑顔になった。
魅力的でさわやかな笑顔に湊の目は眩みそうだった。
柚凪とは一度も話をしたことがなかったが、湊が気になっているかわいい子だ。
よかった。じゃあ土曜日、18時に駅前集合ね!と言い、
柚凪は元気に階段を駆け下りていった。
斜め前を歩いていた友達の秋良は、視線だけをこちらに向け、にたっと笑う。
「なんだよ。あの子といつの間に仲良くなったんだ?」
それならそうと早く言えよと言いながら首に腕を巻き付けてきた。
「話したこともないのになんで俺が誘われるのか不思議だよ」
と湊が答えたが、そんなウソつくなよ!ぬけがけだぁと言いながら
秋良は湊の首に巻き付けた腕に力をこめてきた。
湊はやめてくれよと苦しそうな声を出しながら、にやついた表情を
隠しきれなかった。
花火大会に誘われるってことは、俺に気が
あるってこと?
付き合ったことがないから、よく分からないな。
しかも話もしたことがないのになんで俺?
湊は不思議で仕方なかったが、彼女の好意を素直に受け取ろう
と思った。
その日もいつも通り、兄の奏と自転車を並列に走らせ
家路についた。
次の日から、湊は筋トレを始めた。
今までやったことのないスキンケアも始めた。
少しでも格好よくなり、柚凪と並んで歩いても恥ずかしくない自分になろうとしていた。
一週間はあっという間に過ぎ、花火大会当日になった。
いつもは寝起きの悪い湊なのに、緊張しているから早朝から目が覚め、部屋の中で筋トレをしていた。
子供の頃、遠足の前夜はワクワクして
なかなか寝付けなかった。
あの頃みたいに昨夜はよく眠れなかった
し、今朝も早く目が覚めるし、
俺ってどうしちゃったんだろう。
たかが花火大会に行くだけなのに…。
朝食の席で、そんなことを考えながら食パンを食べていると大きなため息が出た。
湊がしまったと思うより先に
「何をそんな大きなため息なんてしてるの?体調でも悪い?」
と母は言いながら、熱を測るために自分の手の平を俺の額に近づけてきた。
「大丈夫だよ。子供扱いしないでくれよ!」
と母に向かって大きな声で湊は吐き出すように言うと
母は傷ついた顔をで出しかけた手を止めた。
やってしまったと思ったが、口から出したことは元に戻せない。
自分のいらいらした感情を母にぶつけてしまったバツの悪さから、
食べていたパンを乱暴に皿に戻し、大きな音を立てて自室へ戻った。
なんだよ。何もいいことなんかないじゃないか。
天気の良い空をにらみながら心で思った。
何を着て行ったらいいのか分からない。
兄の奏に相談しようとしたが、部屋にいない。
勝手にTシャツを借り、湊のお気に入りのジーンズを合わせた。
こんなもんかな。
湊はおしゃれだから、このTシャツなら
いいだろう。
玄関でスニーカーを履き、誰に言うでもなく「行ってきます」と
小さな声で言い、家を出る。
いつもなら自転車に飛び乗るところだが、今日はデートだ。
夕方とは言えじりじりと太陽は照り付け、まだ暑い。
できるだけ汗をかかないように日陰を選んで歩く。
湊は待ち合わせの時間よりかなり早く着いてしまい、
近くの本屋で立ち読みをして時間を潰そうとした。
読みたかった漫画を立ち読みしていても漫画の内容は
頭に入ってこず、ただただ目を動かしているだけだった。
待ち合わせ場所にあまり早くから行くと恰好悪いよな。
けど、何をしても落ち着かないな。
結局、湊は待ち合わせ時間の30分前に駅にいた。
彼女にはずいぶん前から待っていたと悟られないように
なんとかごまかそうと思っていた。
しかし、約束の時間を20分、30分と過ぎても、柚凪は
待ち合わせ場所に現れない。
現在、18時30分。
花火大会は20時からだから、始まるまでの時間は残っている。
彼女に何かあったのではないかと心配になり電話をかけてみたが、
呼び出し音が鳴るだけで柚凪は出ない。
何度も何度も何度も電話をかけたが、柚凪の声を聞くことは
出来なかった。
待ち合わせのこの場所を離れると会えないかもしれない。
気をもむだけで、何もできない自分がはがゆい湊だった。
柚凪を心配している湊がふと駅の改札の方を見ると、
改札から奏と柚凪が出てくるのが見えた。
白地に金魚の絵柄が入った浴衣を着ている柚凪は奏の腕に自分の腕を絡ませていた。
誰が見ても仲の良いカップルだった。
二人の姿を見た湊は、後頭部をハンマーで殴られたような今までに感じたことのない衝撃を
受けた。
あの子は、俺を奏だと思って花火大会に
誘ったのか。
間違われた俺の立場はない…。
湊と奏は一卵性双生児。
2分ほど先に生まれてきた奏は湊の兄だが、
顔はそっくりなのに、奏は小さい頃からもてた。
かなり年上から年下の女性まで。
湊を好きだという子はほとんどいなかった。
奏は、湊より少しくりくりとした大きな目で思慮深く見えるくらい。
両親でさえ、どこに奏の魅力があるのかと首を傾げるほどであった。
両親が分からないことを湊が分かるはずもなく、
奏が自分の運まで持って先に生まれたのだろうと深く考えたことはなかった。
花火大会が始まりドーンーンと鳴り響く。
花火が打ち上げられる度に上がる歓声。
今までの湊は、自分が奏より劣っていると思ったことなどなかったが、生きてきてこれほどの
絶望感を味わったことはない。
柚凪のことをすごく好きだったわけでないが、奏は知っていたのではないのか。
自分の兄を憎む日が来るとは思いもしなかった。
悔しすぎると涙も出ないことも知った。
呆然と立ち尽くす湊の横をたくさんの人が会場に向かっている。
湊の立っている場所から花火は見えず、ただただ暗闇が広がっている。
まるで黒い花火が上がっているようだった。
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