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多少暑さが和らぎ、日中でも過ごしやすい日が増えてきた十月のとある昼下がり、私は学校の中庭にあるベンチに座り本を読んでいた。
「……そんな楽しそうに、何を読んでいるんだ?」
声をかけられたのは、あと十五分ほどで昼休憩が終わる頃だった。
「急に話しかけてすまない。一年D組の柊木美香って、君だよね?」
顔を上げると私の数歩先に、背の高い人物が立っている。
低い声と制服姿から男子学生だとわかるが、彼が黒髪だと認識できるだけで顔はぼやけていてよく見えない。
誰だろう?といつものように声や姿から相手を推測しようとしたが、記憶の中に該当する人物はいなかった。
「はい。柊木は私です」
とりあえず、相手が誰か分からずとも挨拶は基本なので、立ち上がり丁寧に返しておく。
男子学生が上級生である可能性も一応考慮に入れたところで、私は気になる相手の正体について考えを巡らせてみた。
(名前を確認されたから、相手も私のことをよく知らない人かな……)
「尋ねたいことがあるんだけど、今いい?」
「この本のタイトルですか?」
「あっ、それも気にはなるけどね。今、俺が訊きたいのは別のこと。実は……」
彼が自身の名を名乗らずすぐに本題に入ってしまった。
相手が正体不明のまま話が進み、これは非常に困った事態だと嫌な汗が流れてくるが、彼がそれに気付く様子はない。
こんなときに限って、一番頼りになる親友の早乙女エリは委員会の仕事で不在だった。
彼とは間違いなく初対面のはずだが、相手は学校ではかなりの有名人なのだろう。自分が名乗らずとも、当然私は知っているという雰囲気が感じ取れる。
しかし、私には彼が誰なのか全くわからない。
この状況をどう切り抜けようかと引きつった微笑みの裏で必死に頭を働かせるが、残念ながら私の少々心もとない脳みそでは名案は浮かばなかった。
この間、時間にしてわずか数秒。
結局、私は最終手段を選択した。
「その前に、一つ訊いてもいいですか?」
「何?」
「あの……あなたは、どちら様でしょうか?」
「えっ!? 嘘だろ……」
低姿勢で名を尋ねてみたが、返ってきた声の感じ(絶句?)から想像するに、相手は相当呆れた顔をしているのだろう……私には、まったく見えていないけど。
◇◇◇
私、柊木美香は、目がとても悪い。
これは生まれつきのものではなく、幼い頃から本を読むことが何よりも好きだったためで、就寝時間を過ぎてもこっそり隠れて読書をした結果だと思っている。
その後も視力は戻ることなくどんどん低下し、これまで見えていたものが徐々に見えずらくなり、現在に至る。
ただし、目が悪くなったといっても遠くのものがぼやけて見えるだけで、手元のものは問題なく見える。
読書をするには何ら差し支えなかったため、私は気にも留めていなかった。
中学校までは裸眼で過ごしていた私に「高校入学を機に『コンタクトレンズ』にしてみたら?」と提案したのは母だった。
コンタクトを装着してみると驚くほど視界が良好で、最初は「すごい!」と大興奮したが、すぐに目に違和感を覚える。結論からいうと、それは解消されることなく、泣く泣くコンタクトはお蔵入りとなった。
仕方なく眼鏡にしてみたところ、使い勝手の悪さと、突如発症した頭痛に三日で辟易し、それ以降、眼鏡も日の目を見ることはない。
結局、高校でもずっと裸眼のまま過ごしている。
教室内では、担任に事情を説明して前方の席にしてもらい、目を細めて黒板の文字を読む。教科書は裸眼でも問題ないため、勉強面で何ら不便を感じることはない。しかし、学校生活で一つだけ困ったことがあった。それは、人の顔を認識すること。
『学校は、人間関係を学ぶ貴重な場である』との理念から、この学校では学年を問わず幅広く交流を持つことが推奨されているのだ。
それなのに、間近にいる人物の顔しか認識することができない……なんて、私としてもあまり大っぴらにはしたくない。
黒板と同様に目を細めれば多少見えるようになることから、入学当初はそれで相手の顔を認識しようとしたが、周囲から「目つきが悪い」「睨んでいるみたい」と言われるようになりすぐに止めた。その後『相手に不快感を与えないよう、必要最低限の交流に留める』という究極の結論に達し、学校ではエリとばかり過ごしている。
エリは私の目が悪いことを知っており、学校内で彼女が何かやらかしても「見えていないから、仕方ないよね」と笑って軽く流してくれる気の良い友人だ。
人と深く交流することは避けているが、決して『人間関係』を全て放棄した訳ではない。
先生や同級生など学校で多少関わりのある人物については、服装、髪型や体形、背の高さや声を覚えて、顔以外で相手を認識できるように努力はしている。
◇◇◇
高校へ入学して、はや数か月。
このように、なんとか学校生活を乗り切っている中、突如として訪れた危機。相手を知っているふりをして適当に話を合わせればよかったのだが、器用ではない私にはできなかった。
かくして、彼の名を尋ねたのだが……
「俺は、おまえが投票した男の……息子だ」
先ほどとは、明らかに彼の口調が変わった。
私への呼びかけが『君』から『おまえ』になり、少々怒気を帯びているようにも感じるが、おそらく彼を知らなかったことに関係しているのだろう。
でも、本当に初対面なのだから仕方ないよと、私は素知らぬふりをして彼の言葉を反芻する。
『おまえが投票した男の息子だ』
『投票』と聞いて真っ先に思い浮かんだのは、先月行われたアレのこと。学校関係者の中から自分の理想や好みの人物を選び投票するという、文化祭恒例の人気企画だ。
対象が『学校関係者』なので、学生・先生・職員など学校に関係する者であれば誰の名を書いてもいい。
無記名用紙に一人の名を書いて投票し、つい先週行われた文化祭当日に投票結果が発表されたばかりだった。
自分の名が上位に入るのは大変名誉なことらしく、過去には票を買収して上位に入ろうとした不届き者も居た……なんて噂を、私も耳にしたことがある。
「なぜ、父に投票した? おまえが俺に票を投じていれば、兄貴と同じ順位だった……」
声の感じから、彼が悔しさを滲ませていることが伝わってくる。余程、その兄とやらに勝ちたかったのだろう。
しかしここで、私の中に一つの疑問が。
「あの……私が誰に入れたのか、どうしてご存知なのですか?」
文化祭の企画とはいえ、人気投票は公正を期するために無記名投票だった。
「……調べた」
「えっ?」
「先に言っておくが、俺じゃないぞ。おまえのことを調べたのは母だ」
「……はい?」
さらに彼は「筆跡鑑定をした」とも言ったが、先の衝撃で啞然としていた私の耳には全く届いていなかった。
しかし、私はここで気づくべきだった。こんなことができるのは、ごくごく限られた人たちだけなのだから。
「投票したくらいだから、おまえは父の顔が好みなんだろう? だったら、なぜ俺に入れない? 俺は父に顔が似ているのに……」
「なぜ?と言われても……」
ようやく、彼の質問の意図が見えてきた。
ただ単に、自分ではなく父親に投票した私にその理由を直接尋ねに来たのだ。
ここでふと、自分が誰に投票したのか覚えていないことに気づく。
いきなり投票用紙を配られて、学校関係者の名を書けと言われ、慌てたことだけは覚えている。
後ろの席のエリに「誰の名を書いた?」とコソッと聞いたら「秋山翔也先輩。だって、超カッコ良いもん…」とうっとりした目で言われたが、顔はもちろんのこと名前も学年も知らない人だった。
「ねえ、『自分の理想の女性像』ってことで、エリの名前を書いてもいい?」
投票する相手が、別に異性と決まっているわけではない。自分もこんな人になりたいと、憧れの先生や同性の先輩の名を書く人もいるのだ。
私もお世辞でもなんでもなく、エリのサバサバとした性格や他人の意見に左右されない芯の強いところ、でも、女の子らしい一面も併せ持つ彼女が羨ましいと思っている。
「ちょっと、やめて(!) 自分で自分に投票したと思われるじゃない……」
エリから小声で拒否され、困った私はう~んと唸りながら顔を認識している学校関係者を必死に思い出す。
「目つきが悪い・睨まれている」と言われて以来、他人の顔などまじまじと見つめたことはない。同級生の顔でさえぼんやりとしているのに、他学年など言うに及ばずだ。
そして時間だけが過ぎ、提出時間ギリギリになってようやく思い出したのが学校の代表者の顔だった。私は迷わずその人の名を記入する……『新藤理事長』と。
「あの、つかぬ事をお尋ねしますが……」
「またか。おまえは、さっきから質問ばかりだな」
「すみません。それで、あなたはもしかして……新藤海斗先輩ですか?」
「ようやく気づいたのか……」
はあ……と大きなため息を吐いた男子学生は、自分が通う高校の理事長の息子だった。
◇◇◇
理事長には、二人の息子がいる。
長男の陸斗先輩は三年に在籍中で、学校の生徒会長を務めている。エリからの情報によると、美人と評判の母親似で端整な顔立ちの人物とのこと。私は、学校集会などで彼の声だけは認識している。
次男の海斗先輩は二年生で、こちらは父親に似て眉目秀麗な人物なのだとか。
文化祭では、兄弟揃って人気投票の一位と二位を独占するなど学校のアイドル的存在。それぞれ、ファンクラブも存在しているのだ。
そんな海斗先輩に対し、私は盛大にやらかしてしまった。
『非国民』ならぬ『非女子生徒』と言われても反論ができないほどの、大失態を……。
「先輩に対する数々の失言……本当に、本当にごめんなさい!!」
手に持っている本に皺が付くほど強く握りしめながら、土下座せんとばかりに謝る。
もしこのことをファンクラブの会員に知られでもしたら、どんな報復を受けるかわからない。想像しただけで、恐ろしさのあまり身震いがした。
「お、落ち着け! 俺はそこまで怒っていないぞ!!」
私のただならぬ様子に、海斗先輩も慌てふためいている。
やっぱり少しはムッとしたんだ……と思いつつ、深々と下げていた頭を上げた。
「ありがとうございます! 頂いたご恩情は、生涯決して忘れません!!」
「大袈裟な奴だな……」
フフッという声も聞こえ、緊張で強張った体が一気に脱力した。
「で、では、私はこれで失礼させていただきます!」
これ以上の失態を重ねる前に、一分でも一秒でも早くこの場からとっとと逃げ出したい。
「ちょっと待て! まだ、俺の質問に答えていないぞ」
「質問ですか?」
(えっと……何だっけ?)
パニックで、質問の内容が頭から吹っ飛んだようだ。
「どうして俺ではなく父に投票したのか、その理由を教えてくれ」
「あっ……」
海斗先輩はどうしても理由が知りたいようだが、私としてはできれば答えたくないし、間違いなく失礼な発言になる。
でも、ここで答えなければ、これはこれで失礼な態度になってしまう。
(困ったな……)
答える?答えない?で少しの間逡巡したあと、覚悟を決めた私は重い口を開く。
「……失礼を承知で発言します」
「ははは、今さらだな……」
海斗先輩の返事を了承と受け取り、恐る恐る理由を話し始める。
入学前に見た学校のパンフレットに掲載されていた理事長が、それはそれは渋くてカッコ良いオジサマで、母と二人「若い頃も、さぞかしイケメンだったんだろうね~」と大いに盛り上がったこともあり、彼に投票したこと。
学校関係者の中で『理想の男性』としてはっきりと顔のわかる人物が、彼以外に思い付かなかったことも理由の一つだと説明した。
「顔がわからないとは、どういう意味だ?」
「言葉通りの意味です。私は目がとても悪くて、周囲の人の顔は見えているようでぼんやりとしか見えていません。ですので、言いにくいのですが……海斗先輩や陸斗先輩のお顔も、はっきりとは知らないです」
「つまり、父の顔は知っているが、俺たち兄弟の顔は認識していないと……」
「はい。簡単に言えばそういうことになります。大変申し訳ありません」
「…………」
海斗先輩が、難しい顔をして考え込んでいる。
事実とは言え、やはり馬鹿正直に「顔を知らない」と答えなければよかったと後悔の念が押し寄せてくるが、もう遅い。
「……事情は理解した。ところで、おまえに頼みがある」
「な、何でしょうか?」
「視力を戻すために、努力してくれ」
「へっ?」
学校の人気者の口から発せられたのは、意味不明のお願いだった。
◇◇◇
それから数日後、突然、海斗先輩から呼び出しを受けた。
先輩の友人である秋山翔也先輩を通してメモを手渡され、放課後に指定された場所まで友人と来るようにと言われてしまったのだ。
重い足取りでエリとやって来たのは、閑静な住宅街の中にある一軒の洒落た洋館。
家の前に小さな看板とメニューが飾ってあり、どうやらカフェのようだ。
「ねえ、美香。まさかとは思うけど……新藤先輩に気に入られたんじゃない?」
「いや、それは絶対にないよ! 私は気に入られるようなことを、何一つしていないからね」
自慢するようなことではないが、これだけは自信をもって断言できた。
「まあ、たしかに。話を聞いている限りでは、我が校のアイドルに対して失礼なことしか言っていないもんね。彼の顔を認識していないとかさ……」
「ああ、もうそれを言わないで。さすがに、今回ばかりは私も深く反省しているんだから……」
エリだけには、先日の出来事を全て話してある。
親友の彼女でも呆れてしまうくらい、私の態度は酷すぎた。
この海斗先輩の行動は、私の言動に対する彼なりの報復だと認識している。
それに付き合わされているエリに「巻き込んで、ごめん!」と謝罪したところ「私は、秋山先輩のお顔が間近で拝見できるご褒美の時間だと思っているから、気にしないで!」と明るく言われてしまった。
エリは私には気を遣わない性格なので本音だとはわかっているが、それでも申し訳ない気持ちになる。
「柊木様と早乙女様ですね。お待ちしておりました」
店の中に入ると、優しい微笑みを浮かべた女性店員が出迎えてくれた。
私たちの母親と同世代だと思われるが、立ち姿一つにも品があり綺麗な人だ。
アンティーク風の家具でまとめられた店内は落ち着いた雰囲気で、天井が高く開放感にあふれている。
見たこともない立派なシャンデリアに目を奪われていた私のもとに、クスクスと笑い声が近づいてきた。その声だけで、誰が笑っているのかすぐにわかる。
「よく、そんな大きく口が開くな……」
どうやら、口をぽかんと開けて天井を見上げている姿を彼に見られていたようだ。
「…コホン。新藤先輩、お待たせしてすみません」
「いや、こちらこそ急に呼び出して悪かった。早乙女さんも、付き合わせてしまってすまない」
「いいえ、とんでもないです!」
急いで面だけでも取り繕った私の隣で、エリが恐縮したように首をブンブンと横に振った。
「席は、こっちだ」
海斗先輩が店の奥へスタスタと歩いて行く後を慌ててついて行くと、そこは手入れの行き届いた庭園が臨めるテラス席だった。
先に席についていた秋山先輩へ挨拶をし座ろうとしたら、後ろから腕をグイッと引っ張られる。
思わずのけぞる私を見て「海斗、女の子はもう少し優しく扱ってやれ……」と友人が苦言を呈しているが、彼は聞いていない。
「おまえの席は、ここじゃない」
「えっ?」
「あっちのテーブルだ。二人きりで話がしたかったから、こういう形を取らせてもらった」
少し離れた場所に、もう一つテラス席があった。ここに座るのはエリと秋山先輩だけで、私と海斗先輩はあちらということらしい。
強制連行されたテーブルの上に用意されたのは、ワンプレートに盛り付けられたデザート。
和栗のモンブランとかぼちゃのプディング、紅茶のシフォンケーキ、バニラとショコラのアイスクリーム添えと説明を受けたが、見た目も味も素晴らしいデザートを前に私の手は止まらない。
先輩の存在も忘れて無我夢中で食べ進めていたら、また笑い声が聞こえた。
「あっ、すいません……」
(また、やってしまった)
自分でも呆れるくらい、学習能力がないことを痛感する。
反省しているはずなのに、いつまで経っても失礼な態度が改まらないのはなぜだろう。
「いや、そんな美味しそうに食べてもらえたなら、作り手も作り甲斐があるな。それより……今日は先日より近いが、やっぱり俺の顔は見えないのか?」
私は、ここで初めて円形のテーブル席の向かい側に目を向ける。
海斗先輩がにこやかに微笑んでいることは何となくわかる。……が、やはり顔はぼやけたままだ。
「先輩の髪色が、真っ黒ではなく多少茶系なのはわかりました。しかし、まだ顔の輪郭などはっきりとは…」
「おまえは、本当に目が悪いんだな。そんな視力で、日常生活や授業、読書に支障はないのか?」
「手元は見えますので、教科書や本を読む分には問題ありません。日常生活も慣れてしまえば、特に何も。コンタクトや眼鏡が合わないので、仕方ないんです。それに、どうしても見たいときはこうします」
そう言って、私は黒板を見るように目を細める。海斗先輩を睨みつけてしまう形になるので、もちろん目線を外すことは忘れない。
本当は、欠伸をかみ殺し涙で目を潤ませると一時的ではあるがもっと良く見えるようになる……という裏技を持っているのだが、さすがに彼の前ですることではない。
「ププッ……あはは!」
海斗先輩が突然吹き出した。
私としては実演しながら真面目に説明をしたつもりだったけど、これのどこに面白い要素があったのだろう。
楽しそうに笑っている彼の顔をぼんやりと見ながら、首をかしげた私だった。
◇◇◇
あれからひと月ほどが経過したが、私は今も海斗先輩から呼び出しを受けていた。数日に一度の割合で、あのカフェに誘われるのだ。
おかげで、私とエリはカフェの女性店員……オーナーの由依子さんに顔と名前まで覚えられてしまうほど。
海斗先輩とはデザートを食べながら、彼が調べたり知人から聞いた視力矯正の方法や視力低下を防ぐ体のツボの話などをしている。どうやら、初対面時の「視力を戻すために、努力してくれ」は、冗談ではなく本気の言葉だったようだ。
その話題以外にも、先輩も読書が好きなようで、お互いが読んでいる本の感想やお薦め本の貸し借りまでしている私たち。
本の話は共通の趣味だから理解できるのだが、なぜ彼が私の視力回復のためにここまでするのかわからない。
ある時、先輩へ理由を尋ねたら「おまえは、視力を回復させることだけを考えろ」言われ、そこではたと気づく。それだけ『初対面の私の態度が酷すぎて、彼が立腹しているから』との結論しか思いつかなかった。
それからは、「一日も早く、多少なりとも視力を良くしろ!」という先輩からの無茶ぶりを有り難い叱咤激励だとプラスに捉え、教えてもらったことを粛々と実践する毎日を送っていたが、ある日、今度は見知らぬ女子学生から呼び出しを受ける。
待ち合わせの場所に一人で行こうとした私に、エリが「私も一緒に行く!」とついて来た。
校舎裏にいたのは三人。エリによると、彼女たちは全員二年生とのこと。
「柊木さんだっけ? あなたが海斗君と付き合っているという話は、本当なの?」
「こんな普通の子となんて、信じられないけど…」
「でも、少し前に二人が一緒にカフェにいる姿を見かけた会員がいるわよ」
ショート・ロング・ミディアムの髪をなびかせながら、三人組は次々に口を開く。初めて会う人ばかりなのに、なぜか相手は私の名前まで知っている。
どうやら、由依子さんのカフェで一緒にいたところを誰かに目撃されていたようだが、(少し離れてはいるが)隣のテーブルにはエリたちもいるし、最初の出会いこそアレだったが海斗先輩とは最近は趣味友達のような感じで、付き合っているなんて本当にあり得ない。
ともかく、話の内容から彼女たちは海斗先輩のファンクラブ会員と思われるため、ここできちんと誤解を解いておかなければ、明日以降、我が身にどんな災難が降りかかるかわからない。
私は気を引き締めた。
「えっと……なぜ、そのような噂が立っているのかわかりませんが、私と新藤先輩は……」
「……何をしているんだ?」
話の途中間に割って入ってきたのは、海斗先輩だった。少し遅れて、ゼエゼエと息を切らせた秋山先輩もやって来る。
三人組が「えっ!」「なんで海斗くんが、ここに?」「どうして……」と慌てているが、私は思わず歓喜し手を叩く。
疑われている自分がどんなに弁明しても信じてもらえるか不安だったが、先輩からの言葉なら彼女たちもきっと信用するはずだ。
「新藤先輩、ちょうど良かったです! 皆さんに事情を説明し…」
「上級生が下級生をこんな人目に付かない所まで呼び出し、取り囲む。『学年を問わず、幅広く交流を持とう!』とは言われているが、それを悪用してこんなことをするとは……父が知ったら、さぞかし悲しむだろうな」
「ご、誤解よ! 私たちは、そんなつもりじゃ……」
額に手を当て大袈裟に嘆く海斗先輩の姿に彼女たちは慌てふためき、何とか取り繕うと必死だ。
「私は関係ないのよ! もう帰るわ!!」
「あっ、待ってよ!」
「ちょっと、裏切り者!!」
逃げ去っていく三人組の後ろ姿をぽかんとした顔で見送る私と、満面笑顔のエリ、海斗先輩、お腹を抱えて爆笑している秋山先輩だけが残された。
秋山先輩とエリの「連絡してくれて、よかった」「こちらこそ、ありがとうございました」のやり取りが聞こえ、私は「えっ?」となる。いつの間に連絡先を交換していたの???と驚いていると、後ろからゴホンと咳が聞こえた。
「おまえ、また口が開いているぞ……」
「し、失礼しました!」
慌てて口を閉じると、先輩は可笑しそうに肩を震わせる。
気を抜くとすぐに口が開いたままになる癖は、一向に直る気配がない。
彼に指摘されるようになってから気を付けてはいるのだが、簡単に癖が矯正できたら誰も苦労はしないよ!と、私は心の中で膨れた。
「それより、大変です! 私たちが付き合っているという、とんでもない噂が……」
「……そんなことより、あれから多少でも視力は良くなったのか?」
「へっ? いいえ、まだですが……」
「じゃあ、もっともっと頑張れ! でないと、さっきみたいにまた絡まれるぞ」
「絡まれる?」
「そうだ。目が悪いから自分でも気づかないうちにこんな顔で見ていて、きっと相手が喧嘩を売られたと勘違いしたんだろうな」
先輩が、両手で自分の目尻を引っ張って何やらしている。
おまえはいつもこんな目つきだぞ……と言わんばかりに変顔をしている(らしき)彼に、「喧嘩なんて売っていません!」と自信を持って反論できない自分が悔しい。
「この間も言ったが、おまえは余計なことを考えずに、視力を回復させることだけに集中しろ!」
「……わかりました」
こうなったら、意地でも回復させて先輩を見返してやろうと思う。それで彼との関わりが無くなれば、会員から目をつけられることもないのだ。
平穏無事な学校生活を取り戻すため、私は決意を新たにしたのだった。
◆◆◆
俺が柊木美香に興味を持つきっかけとなったのは、文化祭で人気投票の結果を見たことだった。
第一位、新藤陸斗(三年)……六十二票
第二位、新藤海斗(二年)……六十一票
・
・
・
ああ、また負けたな……と思った。
そもそも兄に勝てるとも思っていなかったが、それでも、去年に比べたら健闘したともいえる結果だったとそっと自身を慰める。
年は一つしか違わないのに、俺は勉強も運動も兄に勝ったことがない。
陸斗は生まれついての天才肌で、本人はその才能に驕ることなく小さい頃から努力を続けてきた。
反対に、俺はコツコツ努力をしてようやく結果が残せる努力型と言われてきた。
もっと真剣に努力すれば、一度くらいは兄に勝てたかもしれない。しかし、高すぎる壁を前にそんな気が起こることはなく、勉強よりも本を読んでいるほうが好きだった。
俺は、陸斗の下で自由にやっていくのが性に合っている。
兄が跡を継ぐのだから、自分は恥ずかしくない程度の知識と教養を身につけていればいい……ずっとそう思っていた。
順位表を上から順に見ていくと、翔也は今年も七位だった。
普段は無表情なくせに、たまにはにかんで笑う姿が可愛らしいと女子学生から言われていると小耳に挟んだので、後でからかってやろうと心に決める。
ニヤニヤしていた俺は、ある名に目を留めた。
『新藤理事長……一票』
一票を獲得した者の中に父の名を見つけ、胸が波立つ。
学生であれば自分の名を書く者もいるかもしれないが、もちろん父は違う。誰かが一票を投じたのだ。
俺は父によく似ていると昔から言われてきた。彼の若かりし頃にそっくりなのだと。
それなのに、この学生は俺ではなく父に票を入れた……もしこの票が自分に入っていたらと、考えても仕方のないことが頭に浮かんだ。
誰が票を投じたのだろう。
誰とも分からぬ学生に、自然と興味が湧いた。
◇◇◇
うちの家族は仲が良い。
両親の仕事は忙しいが、朝食だけは家族全員でというのが新藤家の昔からの決まり事だ。
「ねえ、聞いて。文化祭の人気投票で哲也に票を入れてくれたのは、一年生の子だったの」
嬉しげな母の声に、飲んでいたスープを吹き出しそうになった。
『哲也』とは父の名前で、母は非公式な場では夫のことを名で呼んでいる。
相変わらず夫婦仲が良いのはいいことだと思いつつ、なぜ誰が投票したのか知っているのだろうか?と疑問が浮かぶ。
「なぜ、母さんが投票者を知っているんだ? まさか……父さんのために職権濫用して調べさせたとか、じゃないよな? そういえば、担当者が『副理事長が、投票用紙を持っていかれました』と言っていたな……」
俺の疑問を、生徒会長である兄がすぐに解決してくれた。
(うん、間違いない。母さんなら、やりかねないからな……)
「ホホホ、『職権濫用』なんて人聞きの悪いことを言わないで。お願いして、ちょっと投票用紙を借りただけよ」
母はあくまでもしらを切ったが、兄から「担当者に無理を言って借りてきて、忙しい秘書に調べさせたのか?」と冷静に追及され、結局気まずそうに黙り込む。その様子を、俺と父が苦笑しながら眺める。
新藤家おなじみの光景だった。
「でもさ……無記名投票なのに、よく学年がわかったね?」
少々重苦しい雰囲気を払うように俺が話題を提供すると、母がこれ幸いとそれに乗っかってきた。
「投票用紙を見れば、すぐに学年がわかるのですって。だから、秘書にはそんなに迷惑をかけていないわ。それに、その後は全部自分で調べたし……」
「その後って、もしかして……個人名まで? 信じられない」
愕然とした表情で天を仰いだ兄に、母は「だって、若いのに哲也の魅力を理解している同志なのよ。せめて、名前くらいは知りたいじゃない」「個人名は、口外していないわよ」と完全に開き直った。
一年生の国語担当教諭から小論文を借りて、筆跡から投票者を特定したらしい。
何ともご苦労なこと……では片付けられず、この後、母は父と兄から延々とお説教をされたのだった。
「まあまあ、今日はこのくらいにしたら……」
俺の一声で説教タイムが終わり各々が朝食の続きを食べ始めると、兄が「そういえば……」と思い出したように口を開いた。
「母さん、借りた投票用紙と小論文はどこにある? まだ持っているなら、俺が返却しておくよ」
「まあ、ありがとう! 私のデスクの上にあるから、お願いね」
これ以上、秘書と担当者に迷惑はかけられないと言う陸斗の提案に母が顔を輝かせたタイミングで、俺はおもむろに「ごちそうさま」と立ち上がる。
「陸斗、食べ終わったから俺が持ってきてやるよ」
「おっ、サンキュー!」
兄は「気が利くな!」と褒めてくれたが、良心が咎める俺は兄の顔を真っすぐに見ることができなかった。
部屋に入ると、机の上に置いてあった封筒の中からクリップでクラス毎にまとめられた小論文の束を出しサッと目を通す。目的は、もちろん投票者の名前を知るためだ。
大雑把な母の性格から考えて、抜き出した物はおそらく名簿順には戻していないと推理し、出席番号だけを素早く順番に確認していく。
ここで、母がきちんと順番に戻していたり、たまたま投票者が一番だった場合はお手上げだったが、やはり母は息子の期待を裏切らなかったようだ。
該当の物と、人気投票で父の名が書かれた投票用紙を並べ、念のため二つの筆跡を照らし合わせた。
(『理由』の『理』や『事象』の『事』。それに、『新たに』の『新』の書き方が同じだから、間違いないな……)
「この子か……」
ついに、投票者が判明する。
『一年Ⅾ組、柊木美香』
それが、彼女の名だった。
◇◇◇
俺は、投票者の名前を知って満足……とはならなかった。今度は、『柊木美香』がどんな子なのか知りたくなったのだ。
最初は一人でこっそり一年Ⅾ組に顔を見に行こうとしたが、他学年の場所にいるだけで注目を集めてしまい止むなく断念。仕方なく翔也に校内の人探しに協力してほしいと話を持ちかけると、きちんと事情を説明しなければ手伝わないと興味津々の顔で言われ、渋々話をする。
微妙な表情をした翔也に「俺、おまえの友達をやめてもいいか?」と言われたが、彼は約束通り手伝ってくれた。
柊木美香は肩までの黒髪を一つに縛り、一見すると控えめで大人しい印象の女の子。いつも同じ友人と一緒におり、一人のときは本を読んで過ごしているその姿は、自分によく似ているなと思った。
翔也に「これで、満足したよな」と言われ一度は納得したはずだったが、やはり父に投票した理由がどうしても知りたくなる。
「顔つきが似ているのなら、普通は若い俺のほうを選ばないか?」の(俺にとっては真面目な)質問に、「この自意識過剰の自惚れ野郎!」とデコピンをお見舞いしてきた翔也は、「そんなん、好みの問題だろ……」と素っ気ない。
その後、彼女に尋ねるか尋ねないかの数日に及ぶ自身の葛藤の末、今度こそ最後だから付き合ってくれと翔也に拝み倒し、俺は彼女へ直接尋ねてみることにした。
中庭のベンチで一人読書をしているところに声をかけて理由を尋ねたのだが、それは予想もしない返答だった。
◇◇◇
少し離れた場所にいた翔也は、一部始終を見ていた。
「アハハ! まさか、おまえの顔を知らないとはな……柊木さんから名を尋ねられている時のおまえは、すごい顔をしていたぞ」
こんな風にな……と自分の顔マネをし目に涙を浮かべながら笑っている姿を、じろりと睨みつける。
この学校の理事長の息子であり、人気投票では上位に位置する俺。学年は違えど同じ学園に通っているにもかかわらず、自分の顔を知らない学生がいたことが信じられなかった。
「でも、これでようやく我が校の王子様の我が儘行動から解放されるな。やれやれ……」
「……いや、これからも時々彼女に会うことにする。視力を矯正させるつもりだ」
「はあ? もう理由も知れたんだから、会う必要はないだろう? それになんだ?『視力矯正』って……」
「俺の顔をきちんと認識したら、どんな反応をするのか知りたくなった。彼女は父さんを『理想の男性』と言ったんだぞ。だったら、その父に似た俺の顔も認めるだろう?」
ここまできたら、もう意地だった。
彼女に自分の顔を認識させたい……その一心しかない俺の横で、「はあ……もう、付き合いきれん。俺、マジでおまえの友達をやめたくなったんだけど……」と独り言を呟く翔也の姿があった。
他の学生の目を気にしなくてもいいように、母の妹……叔母の由依子が経営するカフェに招待したが、俺には思いのほか楽しい時間だった。
彼女はデザートを美味しいと目を輝かせながら食べ、真面目に『変顔』を披露したのだ。
俺の存在も忘れるくらいの見事な食べっぷりを見て、本やネットや知人から得た情報をもとに目に良いとされる成分を多く含むベリー系で様々なデザートを作ってもらえないかと依頼した俺に、叔母が意味深な笑みを向ける。
「ねえ、最近よくお店に連れてくる美香ちゃんて、海ちゃんの彼女なの?」
「えっ、違うよ。ただの、学校の後輩」
「ふーん。でも、このデザートって、美香ちゃんに食べさせるためなんでしょう? ただの後輩に、ここまでするのかな? 叔母さんとしては、非常に気になるわ~」
瞳をキラキラと輝かせている叔母に、俺は冷ややかな視線を向ける。
「残念ながら、特に意味はないよ。彼女の視力を回復させたいだけだから」
「回復させるって、どういうこと?」
俺は包み隠さず叔母に全てを話す。父の顔しか認識していない彼女に、どうしても自分の顔を認識してもらいたい、認めてもらいたいのだと伝えた。
「『自分の顔を認めてもらいたい』だなんて……やっぱり、美香ちゃんのことが好きなのね」
「??? 由依子叔母さんがどうしてそんな思考になるのか、俺にはさっぱり理解できない……」
「ふふふ……じゃあ聞くけど、美香ちゃんが海ちゃんの顔を認識した後はどうするつもりだったの? 彼女に『カッコいいですね』とでも言ってもらえば、あなたはそれで満足なの?」
「それは……」
叔母に問われるまで、先の事など何も考えていなかった。彼女に自分の顔を見てもらうことだけで頭の中が一杯だった。
「まあ、海ちゃんがそれでいいなら、私はもう何も言わない。デザートの件は、任せておいてね!」
◇◇◇
今日も、俺はカフェにいた。
もう一つのテーブルにはいつものように翔也たちもいて、話が弾んでいる様子。
ちらりとあちらのテーブルの様子を眺めながら、俺は最近翔也の付き合いが悪いことが気になっていた。
休日には二人でよく遊びに行っていたのが、近頃は誘っても予定があると断られることも多い。
(もしかして、本当に友達をやめるつもりなんじゃ……)
最近の自分の行動を顧みて急に不安に駆られた俺は、再来週から始まる期末考査に向けた勉強を一緒にやりながら、改めて親交を深めるか……などと考えを巡らせていた。
向かい側に目を向けると、彼女が美味しそうにブルーベリーヨーグルトムースを頬張っている。
数種類のベリーを使用したタルトも完食済みで、どうやら叔母自慢の新作デザートもお気に召したようだ。
「それ、美味しいだろう?」
「はい! さすが、由依子さんの作るデザートは外れがありませんね」
スプーンを握りしめて力説する彼女を、苦笑しながら見つめる。
「あっ、そういえば来週、一年ぶりに○○〇の最新巻が出ますね! 前巻の最後が良い所で『次巻に続く』でしたから、続きが気になって気になって……早く読みたいです」
満面の笑みを浮かべる彼女の視線は、俺へ向いているようで向いていない。
他の女子とは違い、彼女が清々しいくらい自分に(異性としての)興味がないことがわかる。
目が合っているようで合っていないと感じるのは、俺の顔が見えていないからだと理解しているが、近頃それに一抹の寂しさを感じるのはなぜなのか。
「もうすぐ期末考査だが、おまえはテスト勉強をしているのか? まさか、本ばかり読んでいるんじゃないだろうな……」
「新藤先輩だけには言われたくないですよ。もちろん、ちゃんと勉強はしています。この間だって、エリや秋山先輩たちと……」
「えっ、翔也?」
「はい。エリがわからないところを教えてほしいとお願いしたようで、秋山先輩とご友人の方と四人で市立図書館で勉強会をしました」
「…………」
翔也から勉強会の話を何も聞いていない俺は、言葉が出なかった。
「桜庭さんって、新藤先輩もご存知なんですよね? とても分かりやすく説明してくださって、すごく理解できました」
「貴弘も……」
桜庭貴弘とは翔也の幼馴染であり、公立の進学校に通っている秀才で、俺も何度か一緒に遊んだことがある。
自分抜きで四人が勉強会をしたと知り、心がモヤモヤした。
二人が先に帰ったあと、翔也へ「俺も誘って欲しかった」と文句を言ったら、「そろそろ、柊木さんを解放してやれ」と真顔で返され俺は首をかしげる。
「おまえと頻繁に会っていると周囲に知られれば、おまえのファンクラブの連中から攻撃されるのは彼女だ。先日の一件でわかっただろう? あのときは早乙女さんが教えてくれたから何事もなく済んだが、今後はどうなるかわからない。柊木さんへ想いを告げる勇気も、彼女を守る気概も覚悟もないのなら、会うのは今日で最後にしろ。これは友人としての忠告だ」
「俺がアイツを……好き?」
「彼女の目を良くしようと躍起になっている時点で、普通は自覚しないか? まさか、ここまで鈍感だとはな……」
「あれは、俺の顔を認識してもらうためで……他意はない」
「じゃあ、本屋で彼女の好みそうな小説を真剣に選んでいたのも、他意はないのか?」
「それは、アイツが……」
以前薦めた本をすごく面白かったと喜んでくれたから、だからもう一度……そう反論しようとして、俺は口を閉じた。
彼女を喜ばせたい、喜ぶ顔が見たい、異性として興味を持ってもらいたい……つまりは、そういうことなのだ。
気づいてしまえば、実に簡単なことだった。
◇◇◇
俺は、素直に自分の気持ちを認めた。
「遅せーよ……まあ、俺が危機感を持たせてやったからだぞ。せいぜい感謝しろ!」
翔也は呆れつつ冗談めかして言ったが、彼女の心を射止めるためにこれからも協力を頼むと伝えると、「王子様が暴走しないよう、俺がしっかり見張っておく」と頼もしい言葉を返してきた。
どうしようもない自分を見捨てず、時には厳しい意見をズバッと述べてくれる友には、感謝の言葉しかない。
◆◇◆◇◆◇
期末考査の最終日を終え、『テストお疲れさま!(慰労)会』いう名目で今日は初めて昼食会をすることになった。
発起人である由依子の呼びかけで、美香たちは久しぶりにカフェへ足を運ぶ。
十二月に入ったこともあり、店内の装飾はクリスマス一色。中央には大きなクリスマスツリーが置かれ、外の庭園はイルミネーションで飾られている。
由依子から話を聞いた美香は、日が暮れたらさぞかし綺麗なんだろうな……と思いながら窓の外の景色を眺めていた。
「美香ちゃん、海斗は少し遅れるみたいだから、ここに座って待っていて。今日も新作ケーキがあるから、期待していてね!」
「わあ、新作ですか! 楽しみにしてます!!」
あちらの席では、エリが翔也と店内装飾を見ながら話をしている。
テスト前に何度かエリと一緒に勉強をしていた美香だが、たまに翔也が交ざるときは「家の用事があるから……」と空気を読んで先に帰っていた。
さすがの美香でも、友人の恋路を邪魔するほど野暮ではない。
椅子に座った美香は、鞄から文庫本を取り出す。前回、ここで海斗と会ったときに話をしていた最新巻だ。
テスト期間中にもかかわらず、美香は誘惑に負けて『勉強の息抜き』というもっともらしい言い訳をして既に読んでしまっていた。
もし海斗が読んでいなければ貸すつもりで持ってきたが、感想を言いたくて内心はウズウズしている……もちろん、ネタバレをする気は毛頭ないが。
「待たせて悪かったな……」
美香が読書に没入している間に、海斗が店に来ていたようだ。お互い試験勉強に忙しく、会うのは半月ぶりだった。
以前は円形テーブルの向かい側に座っていた海斗だが、今日はさり気なく隣に腰を下ろす。少し手を伸ばせば互いが触れるくらいの距離だが、美香は気付いていない。
「テスト、お疲れさまです。ところで新藤先輩、これをもう読まれまし……」
海斗が席につくなり、勢いよく目の前に本を差し出した美香の動きが止まる。
久しぶりに会ったのに、もう本の話かよ……と苦笑いを浮かべた海斗と顔を合わせた途端、美香がハッと息を呑んだ。
「……新藤先輩の顔って、噂通りだったんですね」
美香の瞳は瞬きもせずに真っすぐ海斗を見つめていたが、目が合うと恥ずかしそうに視線を逸らす。
「すみません。また失礼なことを……」
「いや、それは気にするな。それより……どうだ、初めて見る俺の顔は?」
「とても整っていて、男性ですけど美しい?綺麗?だと思います。ファンクラブができるのも納得ですね」
うんうんと頷きながら大真面目に答える美香の言葉が、海斗には嬉しくもあり、恥ずかしいようなくすぐったいような気持ちになる。
「父……理事長と比べて、どちらがおまえの好みだ? 怒らないから、率直な意見を聞かせてほしい」
海斗は、自分でも意地悪な質問をしたとの自覚がある。
それでも、どうしても知りたかった。
「う~ん……新藤理事長は、穏やかで優しい雰囲気をお持ちです。先輩は、どちらかと言えば精悍な顔と言うのでしょうか。お二人は似ていらっしゃいますが、雰囲気は全く違いますね」
「それで、おまえの答えは?」
「…………」
「どうなんだ?」
「来年の人気投票では……先輩の名を記入するかと……」
少々顔を赤らめながら答えた美香の手を、海斗は無意識に握りしめていた。
彼女に選んでもらえた喜びで、胸が高鳴る。
突然の海斗の所業に美香は驚き固まってしまい、微動だにしない。
「……好きだ。俺と付き合ってほしい」
「!?」
海斗が想いを伝えると美香はピクッと反応し彼の手を振り解こうと試みるが、あえなく阻止される。
そんなことを二,三度繰り返したのち、抵抗を諦めた美香はおもむろに口を開いた。
「あの……一つ質問があるのですが?」
「なんだ?」
美香の手を握りしめたまま、海斗は背筋を伸ばし話を聞く態勢を整える。
「おかげさまで、私の視力は少し回復し、顔をきちんと認識することができました。先輩の目的は達成されたのですから、これで終了なのでは?」
不可解と困惑が入り混じった表情の美香に、海斗は「それは、違う」と言い切る。
「俺は今日で最後にするつもりはないし、これからも会っていろんな話がしたい。おまえだって、俺と本の話をするのは嫌じゃないだろう?」
たしかに、それはその通りだと美香も頷く。海斗とは好きな作品の傾向が似ているのか、彼に薦められた本は彼女好みのものが多かった。
「趣味は合うし、顔も好みのタイプ。じゃあ逆に質問をするが、おまえは俺のどこが不満なんだ?」
「不満がある・ないの問題ではなく、私は不釣り合いです。先輩には、もっとお似合いの方が他にいらっしゃると思います」
ファンクラブ会員の方とか、同級生の方とか……と指を折って数え始めた美香の横顔を、海斗は見つめる。
「では、友人……『趣味友達』なら、今後も付き合ってくれるのか?」
「はい、それはもちろん。こんな私でよければ、『趣味友』としてこれからもよろしくお願いします」
迷わず即答しペコリと頭を下げた美香に、海斗の顔が破顔する。
あっさりと彼が納得したので、今後は平穏無事な学校生活が送れそうだ……このときの美香は、そう思っていた。
◆◆◆
どうして、私はあのとき頷いてしまったのだろう……美香は自分自身に問いかけていた。
なぜ、第一印象が最悪だった自分なのか、考えても考えても理由がわからない。
二人は友人のはずなのに、海斗は会うたびに「美香だから、好きになった。他の人ではダメだ」と何度も言ってくる。しかも、いつの間にか呼び名が『おまえ』から『美香』に変わっており、最近は言われるたびに美香の顔はどんどん赤くなり、海斗が嬉しそうに微笑む……ここまでが、いつもの流れとなっていた。
海斗から教わった視力を矯正する方法を実践してきたおかげで、美香の視力はさらに良くなっていた。
今は、テーブルの向かい側に座る『趣味友』の顔が認識できるまでになっている。
「どうした? 俺の顔に何かついているのか?」
「いいえ。今日も友人の顔が、はっきり見えるなと思いまして……」
「そうか、それは何よりだ。他の男の顔は、昔のように見えないままでいいぞ。あっ、陸斗の顔もな」
「ふふふ……残念ですが、先日の集会でついに生徒会長の顔が見えました! やはり、兄弟揃って美形ですね」
「ふん、少々面白くないが……まあ不可抗力だし、仕方ないか」
不満顔の海斗に、美香は勝った!と心の中で小躍りする。
最近はやられてばかりなので、たまにはやり返したい。
「そういえば、言い忘れていたが……その何か企んだ表情も、可愛くて良いな」
「!?」
不覚にもまた顔が赤くなった美香を見て、海斗が楽しげに笑っている。この表情は、新たな攻撃手段が成功したと喜んでいる顔だ。
いつもいつも一方的にやられてばかりで悔しい美香は、なんとか仕返しをしようと目を細めて睨んでみたが、爆笑されただけで全く効果はない模様。
おまけに、席を立ち鼻歌を歌いながらやって来た海斗に軽くバックハグされ、さらに頭へキスまでされるという墓穴を掘る結果となった。
エリからは「いい加減、付き合ってるって認めなさいよ!」と言われている美香だが、本人は頑として認めていない。
ちなみに、美香が一番恐れているファンクラブ会員からの報復だが、すでに海斗が手を打っていた。隠れてコソコソするのではなく、皆の前で「好きな子に振り向いてもらうために頑張っているので、そっとしておいてほしい」と正直に告げたのだ。
海斗の発言にショックを受けて会員を辞める者。あっさりと他の人へ乗り換える者。推しの恋愛成就を願う者など様々に分かれたが、今のところ美香へ何かしようとする者は現れていない。
晴れて翔也と付き合い始め、毎日がとても幸せそうなエリを横目に、『目が悪いせいで失礼な言動をし、視力矯正を強制させられていた』だけなのに、なぜこんなことになっているのか、いまだに理解できない美香だった。
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