夏に落ちる

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死を想う季節、というのがある。 死を連想するのはいつの季節かという質問だ。 憂鬱に苛まれる春秋か、暑さに茹だる夏か、凍てつき耐え難い冬か。思い浮かぶ季節は人それぞれだ。死を想う季節、私はそれが夏だった。 そして、ただひたすらぼんやりと、私も夏に死ぬのだと思った。 青い空に、澄んで遠くまで広がる海。日差しに輝く白い壁。冷房が効いた部屋のベッド。全てが私にとって死の象徴である。敬愛した人、親族、後輩、私の人生にとって大切だった人々はほとんどそういった夏の死の象徴の中で死んでいった。幸いにも私の皮膚は海に耐えられず、病院のベッドに横たわるようなこともなく、いつまでも続く不健康な健康の中に飼い殺されている。私の生活にはつまり、死の象徴がまるでない。夏に死ぬようなことを想う理由ではない。 ましてや私は夏に生まれている。決して望まれ喜ばれた生ではないが、生まれたのだから死とは反対である。 では、なぜ。 なぜ私は夏に死ぬのだろう。 午前3時を回った時計がコツコツ秒針を鳴らしている。あまりに静かだった。時折何ということもなく深く考え事をしてこのような時間に一人居間で座り込んでいるのだが、ひんやりした床と人の生きる音のない空間が心地よい。何者にも邪魔をされず、ただ私だけがここにある安全。 しかし、そうして過ごすうちにふと慟哭のようなものが込み上げてきた。今までの静寂を全て壊したいかのような烈しさを以って、身体を駆け巡った。泣き叫びたいような、怒り狂うような、突然の感情の奔流。悲しみにも怒りにも喜びにも享楽にも近くて遠い感情。 ああ、だから私は夏に死ぬのか。
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