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段々と風が冷たくなり、ミオもカーディガンを羽織る様になる。
それでもその美脚は出していた。黒いミニスカートから見える蛇の鱗は、体温を感じさせない。
メジロの店を覆う蔦も枯れ始める。アスファルトの隙間に生えた雑草も元気が無い。
燻水は、その壁に寄りかかっていた。
手にした煙草からの煙は一筋天へ昇る。しかし途中で風に消し去られた。
車の騒音に顔を上げる。黒塗りの外車は道の隅に止まった。
その車から降りた猛禽類達はミオに会釈する。
ミオは煙草を携帯灰皿に押しつけた。
名前を知っている方の男が店に入り、知らない方の水銀はミオの隣に寄りかかる。
「君、名前は?」
空色の眼は燻水を映す。
「名前を訊く時は名乗るのが礼儀ですよ」
そう言うと、水銀は苦笑した。
「俺は銀小路ヒメユリ」
「有島ミオと申します」
ミオが笑って会釈すると、ヒメユリも頭を軽く下げる。
「足、寒くないの?」
「寒いですよ。でもお洒落は我慢です」
少しどや顔で言うと、ヒメユリはそうだね、と返した。
その日から数日ほどこの妙な逢引は続いた。
決まって昼に黒い車はメジロの店を訪れ、先にヨリタカが店に入る。
ミオとヒメユリは並んで立ち話をした。
最初は少しだけ、何の中身の無い話をする。
お互いの職業について話したのは、3日目だった。
「へえ、シェアハウスの大家さん」
「ええ。女性禁制の」
「じゃあ逆ハーだ」
「まあそうとも言いますが、唆られる男は居ませんね」
そう言うと水銀は笑う。
ヒメユリは家事手伝いというばればれの嘘を吐いてきた。
厳密には嘘でも無いのだが、“裕福な環境”でのんびりしてるらしい。
その“裕福な環境”の事は伏せていたが、ミオは星空からその“環境”の事を聞いていた。
「兄貴とメジロさんは昔デキててね」
水銀がそう切り出したのは、5日目の事だ。
「凄い昔から一緒だったんだって。それこそ小学生の時とか。中学も一緒だったんだけど、高校は別だったんだよね」
ヒメユリは煙草の箱を取り出す。
「兄貴はもうゾッコンでさ。他にオンナも作らなかった」
「一途なんですね」
「笑っちゃうくらいにね」
ミオも煙草とジッポを取り出し、ヒメユリの口元に差し出た。
あんがと、と水銀は言ってその綺麗な顔をミオの手元に近づける。
その睫毛の長さに、ミオの心臓は柄にも無く少し高鳴った。
こんな感情は久しぶりだな、とジッポライターを見ながら思う。
その白蛇が彫られたライターは、サユウから贈られた物だ。
あの男との思い出はあらかた処分したが、どうしてもそのジッポだけは捨てられなかった。
その赤い視線を見て、空色は大体を察する。
一歩近づいても避けられなかったので、自分に向けた気持ちも察せられた。
それは、ミオが待ち伏せをするようになってから一週間経った時に起きる。
いつものようにヒメユリと煙草を片手に談笑していると、枯蔦の這う店の中から騒音がした。
何かが倒れたその音に、お頭!?!とヒメユリは叫び中に入る。
ミオも投げ捨てられた煙草を雑に始末してからドアをくぐると、ヨリタカとメジロが床に倒れているのを見た。
ミオも小さく悲鳴を上げたが、二人に怪我の様子は無い。
「す、少し足を滑らせただけだ」
メジロを押し倒す形になっていたヨリタカが、ぱっと立ち上がりそう言うと、ヒメユリも大きく安堵の溜息を吐く。
「もう…俺を理由に逢引してんだから心配させないでよ…」
その発言にミオとメジロが目をぱちくりさせると、あ、やば、とヒメユリは呟いた。
鷹は可愛らしく慌てたが、小鳥は爆笑して立ち上がる。
「やっぱりそうだったか」
悪びれの無いヒメユリに、ミオもわざとばらしたのか、と勘づいた。
「やっぱり彫るつもり、全く無かったんだな」
四人は改めて面談用のソファに座る。ヒメユリは小さく笑い、ヨリタカは顔を赤くして俯いていた。
「おかしいと思ったんだ。一週間も柄を決めないんだもんな」
ヨリタカの考える事などわかる、とでも言いたげに苦笑する。
居場所がわかったメジロにどうしても会いたいと、ヨリタカは思った。
しかし、組の頭が用も無しに彫師に会うのも意味深過ぎる。だからヒメユリの付き添いという形で逢引をしていた。
「別に気にしなくていいのに」
「俺もそう言った」
集中攻撃を受けるヨリタカは、猛禽類と言うよりか弱い小鳥の様に泳いだ目をしている。
ヒメユリに会いたくて待ち伏せをしていたミオは気持ちがわからなくもないな、と思った。
「ヒメユリだってミオ君に一目惚れしたって言って
反撃にヒメユリは大声を上げてヨリタカの口を手で塞ぐ。
急に焦るヒメユリに、ミオは苦笑した。
お互い様じゃないですか、とクスクス笑う。
「まあ、気持ちはわかりますけどね」
水のグラスを傾けながら、赤眼は空色の眼をちらりと見た。
「私達はお邪魔でしょうから、外に居ましょうか」
ミオが立ち上がると、3人はそれを目で追う。
「行きますよ、ヒメユリさん」
ミオが声を掛けると、そうだね、と水銀もミオについていき店を出た。
とは言え寒いから、と二人は黒塗りの高級車に乗って暖房を点ける。
ヒメユリは運転席、ミオは助手席に座るが、さっきの様に会話をする雰囲気になれなかった。
「…有島ちゃんって、恋人とか、居る?」
空の眼は泳ぎながらも、直球で訊いてくる。
「居ませんよ」
真実を告げると、赤と水色はかち合った。
「でも、その呼び方は何となく嫌ですかね」
何が“でも”なのだろうか。
「何て呼べばいい?」
「よく“蛇”と呼ばれたりします」
ヒメユリは鱗が這う太ももに目を落とす。
「…じゃあ、黒蛇って呼ぼうかな」
まるで渾名の様な呼び方だな、とミオは面白く思った。
「じゃあ貴方は蛇食鷲ですね」
へびくいわし…?とヒメユリは首を傾げる。これです、とスマホで画像を検索すると、綺麗な鳥、とヒメユリは呟いた。
「でも長いから蛇食って呼びます」
二人は悪戯をした様に笑い合う。そして、自然と視線を合わせた。
ミオがその白い頬を触ると、ヒメユリも顔を近づける。
啄む様に唇を合わせてから、ミオはその口内に舌を差し入れた。
その行為に、ヒメユリは素っ頓狂な声を上げる。一旦離すと、空色の眼を見開いていた。
「黒蛇…その舌って…」
「ああ、スプリットタンですよ」
べろり、と二股の舌を晒すと、ヒメユリは大袈裟に瞬きをする。
「こういうのは、お嫌いですか?」
ミオは首を傾げた。
「ううん…可愛いね」
今度はヒメユリから、深くキスをする。
流れるような水銀の絹糸が、燻水の三つ編みに落ちた。
猛禽類の恋は、小鳥の様に囀った。
その爪は優しく喰い込む。
春を告げる鳴き声は、啼き声と言った方が良いだろう。
ただ、その白い睫毛の奥は、やはり明るくない。
鷲に喰われた蛇は、そう感じていた。
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