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NOAH
「おおっ新羅、のろまな奴だな。最後の便に乗れているか、ほんとに心配したんだぞ!」
仮想世界で目覚めた新羅の視界に、潜水の嬉しそうな顔が映った。口は悪いが、身を案じていたのは本心だ。
データ転送がビジー状態続きで、転送が完了するまで一週間を要したらしい。
「潜水、お前も無事だったか」
「ははっ、肉体はともかくとして、思考回路は健全だ。まあ、日本国民の98%は『NOAH』に避難できたってさ」
のっそりと起き上がると、躰が自分のものではないみたいでひどくふらつく。
「気をつけろよ、慣れるには時間が必要だ。ちなみに『NOAH』はもう宇宙に避難し、地球を周回している」
日本政府は民間と協力し、スーパーコンピューターを搭載した人工衛星を開発していた。それが『衛星都市NOAH』である。
データ容量は30ゼタ(三百垓)、演算処理速度が48.25エクサフロップスであり、その性能は200年前のスーパーコンピューター、「富岳」のおよそ100倍である。
その目的は、国民すべての意識を電子的な数列に置換し、永遠の命を手にすること。
それが有事に備えた日本の、科学技術の粋だった。
けれど、『NOAH』はあくまで本人が承認した場合のみ、意識の転送を開始できる。
世界の終焉を自覚した人々は、意を決して意識の転送を了承したのだ。
新羅は転送を開始した時のことを思い出し、はっとなった。
「そうだ、永遠はこの世界に着けたのか!?」
その瞬間、潜水の顔から笑みが消えた。潜水は一瞬、目を伏せたが、思い直して新羅を見つめ真実を告げる。
「……消息不明だ」
数秒の間があった。全身を凍らせるような、恐怖の時間だった。
「探したがデータベースになかった。残念だが彼女は、残りの2%だ」
それは、永遠の死を意味していた。
「そんな……」
うなだれる新羅を見て、潜水はため息をひとつついた。
「しっかし、あっけないものだな。500万年積み上げた人類の歴史がたった3日で終わるとは。いや、数億年にわたる動物の歴史自体が壊滅したのかもしれない」
日本への核の攻撃を皮切りに、たがが外れた世界の暴走は、すべての生物を飲み込んでいったという。
「人間って、ほんとに愚かな生き物だ。ついに人間自身が、世界で一番人間を殺した生物になっちまった」
「ああ、同感だ。ほんとうに馬鹿だ」
「永遠、いい子だったよな。でもお前に責任があるわけじゃない。狂った世界のせいだ。そうだろ?」
潜水はいたわってそう言うが、新羅の胸中には自責の念が溢れていた。
あの夏の夜、俺が永遠を花火に誘わなければ。
いや、あの手をしっかり掴んで離さなければ。
彼女は、仮想世界で生きていけたはずなんだ。
新羅はあの夏の夜、ひとかけらの勇気を持てなかった自身を責め続けていた。
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