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バタンッと大きな音を立てながら、玄関のドアを閉めた悦子は、そのままドアにぴったりと背中を付けて、辺りを警戒した。心臓はバクバクと脈打ち、数滴の汗が首を伝っていた。
──何も起きない。
いくら経っても、狭い空間には自分ひとりだ。それが分かると、呼吸のスピードはどんどん遅くなっていった。すっかり静まり返った玄関に悦子は安堵し、ゆっくりとドアから体を離した。
「おかえり」
家に上がろうとしたとき、それは背後から聞こえてきた。姿を見なくとも、悦子はそれが何者であるかすぐに分かったが、振り返ることはできなかった。
「……おかえり」
またその声が聞こえてくる。悦子の声は喉の奥で詰まったまま出てこない。
──これは夢よ。
怖さのあまり、悦子は目をギュッと瞑った。
──私は何か、悪い夢を見てるんだわ。
それは、まだ悦子の背後にいた。悦子は体を硬直させて、ただひたすらその存在を無視し続けた。
──お願いだから、そのまま消えて。
しかし次の瞬間、悦子の左肩に温かいものが触れた。粘着質で生臭く、悦子は思わず、うっと吐き出しそうになった。左肩から滴り落ちた液体は、床に濃く赤い斑点をいくつか作っていった。
「"おかえり"って言ったら、"ただいま"……でしょ?」
悦子の耳元で、囁きが聞こえる。
それから流れ出てくる温かいものは、順調に悦子の左肩を湿らせていった。
悦子はまだ目を瞑っていたが、臭いや温かさから、自分の左肩に滴る液体は、血液で間違いないと感じた。
「あぁ……あぁ……」
あの日の記憶が、悦子の脳内に容赦なく流れ込んでくる。
床を埋めていく血液。クシャクシャという咀嚼音。ゴロンと横たわる体は脚や腕の一部が欠けていて、魂のないはずの瞳は、ふたつともこちらを恨めしく睨んでいた。
記憶は忌まわしいほどに鮮明で、悦子は自分の心臓が膜を破って出てきそうなほど、激しい動悸に襲われた。
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