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総合受付から入院棟まですごく歩いた。
内科病棟の五階に行き、教えてもらった部屋番号の場所をナースステーションで聞いて、そこへ行ってみると、もうユイちゃんとユイちゃんのママは、気管支をはじめとする検査を終えて退院した後だった。
――十二月二〇日の午後、瀬野市西町の繁華街で火災がありました。一階部分が飲食店の建物が半焼、火は二時間後に消し止められました。中にいた女性二人が軽傷を負い、この建物の持ち主とその長女ということです。
付近は飲食店や商店が並ぶ中心街ですが、ほかの建物に火は広がっていません。
火のもとは二階の住居部分で、消防により失火と断定されています。――
ユイちゃんとママは、やけどの手当てで週二回、通院することになっている。ユイちゃんは右腕、ママは左足にやけどを負っていた。
髪の毛が少し焼けてしまい、肩下まであったまっすぐな髪が、首筋のあたりで切りそろえられた、ふわふわのショートヘアになっていた。
「ほんとはくせ毛なの。毎朝二十分かけて伸ばしていたんだ」
以前と同じかわいい笑顔で言った。頭の形がいいので、短くてもくせ毛でも似合う。
皮膚科の待合室で私たち二人は並んで座っていた。少し離れたところに、以前のユイちゃんみたいにまっすぐな髪を胸のあたりまで垂らした背の高い女の人が座っている。顔が小さくて、エキゾチックな美人だ。
「ママね、タイ人のハーフなの」
ユイちゃんの家の居酒屋は今、三代目で、初代は中国人の男性つまりユイちゃんのひいおじいさんということだ。家が焼けてしまったので、ユイちゃんたちは市内に住むタイ人のおばあさんの家にいる。
「おばあちゃんの家だと朝ご飯はおかゆか蒸しパンなんだよね。中国風なの。変でしょ。夜は辛いものを出してくれるんだけれどね」
「お店は、どうなるの?」
ユイちゃんが後を継ぐと言っていたお店。
「もちろん、立て直すわよ。ママと一緒に」
はっきりと言い切った。
少し沈黙が訪れた後、ユイちゃんは声を落として言った。
「……パパが、会いに来てくれたの。久しぶりで、うれしかった」
火事のあと一度だけ、おばあちゃんの家に昌行さんが来たそうだ。お見舞いの花束とお菓子を持って。
「ママが席を外した時に二人きりで話したんだけれど、今はどこに住んでいるか教えてくれないの」
と、少し声を曇らせた。
「むすぶちゃんの家に行ったようなことはもうしないでくれって、くぎを刺されちゃった」
小さく舌を出して恥ずかしそうに言った。
「でも、今後はひと月に一度、会うことにしたんだ。二人だけで」
その幸せそうな顔を見て、好きな人に会いたくて江戸の町に火をつけた八百屋お七の話を思い出した。
――火のもとは二階の住居部分で、消防により失火と断定されています。――
この世で昌行さんに最も愛されているのは、ユイちゃんだ。
ママが受付で会計用紙をもらうと、ユイ、とこちらに向かって呼びかけた。
お互いに、じゃあね、と言って、立ち上がって見送ると、ママはこちらに向かって、ニッコリ笑ってお辞儀をしてくれた。優しくて、情熱的な人たち。私が誰なのか、たぶんユイちゃんはママに言ってないと思う。
母の胃の調子が悪く、かかりつけ医から紹介状を書いてもらってこの総合病院に検査をしに来るというので、その付き添いで来ていた。どちらかというと、ユイちゃんに会うのが一番の目的で、母の方はついでだった。
内科の待合室に行くと、ちょうど診察を終えて出てくるところだった。ドアを半分開けたところで、背の高い、白衣姿の若い先生が後について来て、立ったまま何か説明している。興奮したような大きい声とはっきりとした口調が目立つので、待合室の人たちがじろじろ眺めている。内容が筒抜けだよ……と思いながらその先生の顔を見ると、マスクの上の目がきらきらと輝き、じっと母を見つめている。
昌行さんがモテ男だから、と以前言っていたのを思い出す。
「どっちがだよ……」
思わずつぶやいて、おかしくなって少し笑った。
離れたところから見ても、母の赤味がかった茶色い髪の毛は目を引く。どこでカラーリングしてるの? とか、変わった色だね、とか、私が子供の頃から同級生やそのお母さんたちからよく言われていたけれど、地毛だ。
角度によって、母の目の色は緑になる。
アイルランド系アメリカ人の曾祖母からの遺伝だけれど、私になると父の影響が濃いのかそれはすっかり消えて、一目で日本人だと思われるらしい。
高校一年の時は、いろいろなことがあった。私もだけれど、母も自分の人生に慣れていなかった。その後、恋人ができたりしているようだけれど、もう同居するのはやめにしているようだ。とりあえず、しばらくの間は。
居心地がいいせのぱーくには行き続けていたけれど、高二になったある日、ユイちゃんと昌行さんがカフェにいるのを見つけて以来、行くのをやめた。
ユイちゃんの家は、中華とタイの料理とお酒をメインに出すアジアンダイニングとして再出発した。まだ行ってないけれど、二十歳を過ぎたらこっそり行ってみようか。
私は今年の秋に、長野県の大学に推薦が決まり、奨学金もほぼ決定ということになった。高一の時のように家を出なければいけない理由はなくなったけれど、一度、外で生活してみたかった。一人暮らしではなく、寮生活だけれど。だから推薦と奨学金は必要なのだ。経済の学部なので学生のうちに、いろいろ資格を取ろうと思う。
長野は車があったほうがいいということなので教習所に通っていて、合格したら、祖母から中古の車をプレゼントしてもらう約束をしている。
母の実家は、「見捨てないが、甘やかさない」主義で、母が生活に困った時も援助はしてくれたけれど、私との生活ぎりぎりの金額だった。それなのに中古でも車を買ってくれるなんて、と感激していたら、「自分一人で誰かに頼らず生きていけるように、その手助けだけをするだけ」と言われたので、これからも自力でなんとかすることになりそうだ。
ユイちゃんとは会わなくなってもう一年経つけれど、どんな車を買ってもらおうかと想像しているときにふと、思い出す。
水色の、軽でいいから、ライトが丸くてかわいい車。卒業前に一度くらいさそって、ドライブするところを考える。
たぶん、すごく楽しいだろう。
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