約束

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約束

 鳴き止むことを知らない蝉時雨が、まさしく夏の盛りである季節の到来を告げる。青玉(せいぎょく)のような青さを(まと)った空には、雲の1つもない。天気から快晴という表記は消えたが、快晴でなかったらなんなのだという晴れ具合だ。  隼と約束した本屋さんは、大型書店だ。しかし、世間を騒がせているウイルス──現在、世界各国で感染症が拡大しており、そのせいか、あまり人はいないようだった。  入口付近で立っていた隼は、こちらに気づくと、あどけない笑顔を向けてくる。  私もお返しのサインに、手を振り返し、隼の元へ急いだ。 「ことちゃん、ジーンズ履くんだ」 「だれでも履くでしょ、そんなの」 「そうかなあ」 「そうだよ。ジーンズなんてどうでもいいの。そっちに言及するんだったら、普通はこっちのTシャツ褒めるでしょ」  何年か前に手に入れた、某夢の国のキャラクターがデザインされた限定Tシャツ。運良く、Webの抽選で当たった。 「はいはい、もういいから、もたもたしてないでさっさと中に入ろう。冷房の風に当たりたい」  怠そうに言うと、隼は腑に落ちないような顔をして自動ドアを通った。 「ふぅ。涼しいね」 「ことちゃん、まずどこいく?」 「えっ? 休憩時間に私を観察してたんなら、分かるでしょー?」  私は悪戯っぽく語尾を伸ばして言った。 「ことちゃんはいつもブックカバー付けてるから分かんないよ」 「あっ。そうだった」  非常に稀に、読んでいることを見られるのが恥ずかしいタイトルのライトノベルを読むことがある。そのための保険として、いざ本番でブックカバーを付け忘れないよう、常にタイトルは見せないようにしていた。 「どんな本が好きなの?」 「そりゃー、やっぱり私はホラーかな。角川ホラー文庫は私の青春だから」 「ホラー! びっくり……ことちゃんホラー読むのか」  隼は目を大きく見開いた。そんなに奇想天外だったのだろうか。 「まあね。うちの本棚、真っ黒だよ」 「角川ホラー文庫、背表紙が黒だったね」 「よくご存知で」 「有名だからね。どこかで見かけたことはあったかな」 「ということで、とりあえず文庫本コーナーの角川ホラー文庫が集まってるところに行こう」 「あるの?」 「それがこの書店はあるんだよ。1箇所だけ真っ黒だから、隼も次来た時、すぐに見つけられると思う」 「ぼくは……遠慮しておくよ」  それは、書店の中を真っ直ぐ進んで、中央あたり、左から3列目の文庫本コーナーにある。  奥までびっしりと並んだ大量の文庫本。私はここへ来ると、毎回の様に興奮してしまう。ああ、なんと幸せで満たされる空間。テスト期間の後、勉強で頭がおかしくなった際は、よくここへウインドウショッピングをしにくるのだ……あいにく、本を買うだけのお金を持ち合わせていないことがほとんどだった。  棚の中央あたりに、一際黒く目立つ文庫本の集団。()を従え、統率するボスのような存在感。背表紙には、角川ホラー文庫の文字。  私は以前から気になっていた本を手に取り、裏表紙のあらすじを読み始めた。 「ことちゃん、ホラーのどういうところが好きなの?」  目で文字を追いながら応える。 「そうだなー、現実では絶対出来ない恐怖体験が出来ることかな。あと、これは個人的な趣味なんだけど、夏の夜中にベッドの隅に座ってホラー読むの好きなんだよね」 「現実では出来ない恐怖体験、かあ……でも、ベッドのやつはわかる気がする!」 「ほんと?」 「うん! 夜寝る前に本読むの、僕も好きだからさ」 「だよねだよねー! 最高だよね!」  いつもよりテンションが高く聞こえたからか、隼は驚いたように、口を少し開けた。  私自身、心が高揚しているのを感じた。今まで本のことで誰とも趣味が合わなかったからかも知れない。誰かと共通の「好き」を語るというのは、こんなにも楽しいことだったのか。 「そういえば、隼は何読むの?」 「ファンタジーが1番好き!」 「だからいつも頭の中お花畑なんだ。納得」 「お花畑じゃない!」  ぷんっとした表情になった後、すぐにえへへと子犬のような純朴な笑顔を嬉々として見せつけてきた。  ああ、やっぱり──昨日の感情は本当だったんだ。 「ファンタジーが好きってことは、よくここに買いに来るの?」  隼は右手で首をもみ、悩む素振りをした。 「買いに来ることもあるけど……最近はネットで読むことが多いかな」 「ネットいいよね、私も最近登録した」 「ことちゃんも登録してるの?」 「うん、高校生限定の小説コンテストっていうのがあるらしくて」  「中高生に読んで欲しい! 今年おすすめの小説ランキング」のようなネット記事を眺めていた時だったか、下へスクロールした画面に「高校生限定の小説コンテスト」の文字。気軽に挑戦できるコンテストの紹介だった。私は無性に応募したくなり、すぐに登録を済ませた。はやる気持ちを抑えられなかった。 「そんなものがあるんだ。高校生限定っていうことは、僕たちも応募できるってことだよね?」 「もちろん。それで、私も応募しようと考えてるんだけど、良い案が思いつかないんだよね」  小説は読み漁っているけれど、いざそれを自分で書こうとすると、全くイメージが思い浮かばなかった。ホラーに偏りすぎていたのが原因なのは自明だ。 「難しそうだけど……僕、応援してるよ」 「ありがとう」 「ところで、買う本は決まった?」 「今日は、買わないでおこうかな。あんまり面白そうじゃなかったし」 「そっか」 「隼は何か買う?」 「さっき気づいたんだけど、お金忘れた!」 「え?」  買い物デート──と言えるのかは分からないが、男女2人で、しかも夏休みに本屋さんという状況は、ほとんどデートといっても問題ないだろう、にお金を忘れてくる男が果たしてどれだけいるだろうか。 「なんか、ことちゃんとデート出来るって考えてたら、そのまま家から出てきちゃった」 「なにしてんのよ」  とツッコみながらも、私は紅潮せずにはいられず、先に帰ろうとしているふりをした。 「あー待ってよ! なんでそんなに急ぐの?」 「なんでもいいでしょ、別に」  書店を横断し、自動ドアを抜けた。  快適な室温に飼い慣らされた体は、外に出た途端に熱を取り込み、すぐに汗を垂れ流す準備を始める。 「ほんと暑いね。歩くのが嫌になっちゃう。隼はどっちに帰るの?」 「あっちだよ」  来た方角を指さす。 「じゃあ同じ。途中のバス停まで歩くから、そこまで送ってよ」 「はいはーい」 「なによその気だるそうな声は。私と帰り道一緒なの嬉しくないの?」  少し口調を強めて隼を睨んだ。 「まあね!」  実は嬉しいのが隠しきれませんという、にっこり顔。右手にはグッジョブの形。案の定、私はその顔を見て──。 「ことちゃん、5日、空いてたり、する?」  歩きながら、隼が話しかけてきた。(かす)かに声が震えていたのは、気のせいだろうか。 「凄く奥歯に物が挟まったような言い方だね。ほんとになんか咀嚼してるの?」 「してないよ! それより予定! あるの? ないの?」 「ないよ」 「じゃあさ、8月5日の星葉(ほしば)祭り、一緒に行かない……?」  星葉祭りとは、私たちが住んでいる橋上市の大規模夏祭りである。毎年、橋上市の人だけでなく他県からも多くの人が訪れ、その数は約5万人に上る。橋上市の人口が5万人程であるから、そのスケールの大きさは見て取れる。さらに、終盤には約1万発の花火が上がり、盛大に幕を閉じる。 「いいよ。塾行ってからになっちゃうから、ちょっと食べて花火見るくらいしか出来ないけど」  誘った直後に曇った隼の顔は、ぱあっと元の朗らかさを取り戻した。 「ほんとに? やったー!」  子どもように、どこまでも無邪気である。 「どうやって行く? 私、星葉祭りの開催地より家がちょっと遠いから、おばあちゃんに車で送ってもらおうと思うんだけど」 「車かー。僕は歩いて10分くらいだし、徒歩で行くよ」  声のトーンが落ちた気がした。もしかして。 「一緒に行きたかった?」 「えっ? まあ……うん。でも、遠いなら仕方ないや!」 「ごめんね」  その代わり、浴衣姿で登場してあげようじゃないか……。  似合うかな、私。歩きにくいから、普段は絶対に着ない。「私服でいいや」ってなってしまって、もう何年も箪笥(たんす)の中から顔を出していない。 「全然大丈夫! 一緒に祭り行けるだけで最高だから! 19時に現地集合でいい?」 「それなら良かった。いいよ」  私は隼の綺麗な二重から顔を背ける。 「でも、明後日の月曜日からまた学校あるから、嫌だよね。星葉祭りはもう少し我慢しないと」 「ああ、そうか。3日間の探究学習だっけ?」  正しくは、「総合的な探究の時間」といって、自分たちが興味関心を持ったテーマを調べ考察するという、生徒からは満場一致で嫌われている授業がある。私たちの高校では、平常時にも行われるが、夏休み中にも3日間拘束される。 「あんなの、ことちゃん以外はお手上げだね。みんな学校休むんじゃない?」 「みんな普通に来るから。あと、私をなんだと思ってるの」 「天使」 「ふざけないで。あっ、この辺りでいいよ。ありがとう」 「おっけー! じゃあまた月曜日!」 「ばいばい」 「ばいばい、ことちゃん!」  最後までずるくていじらしい彼の後ろ姿は、雑踏の中に消えていき、やがて消えて見えなくなった。
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