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秘めた想い
午前11時30分に目を覚まし、昼ご飯を食べ終えてまた昼寝をして、夕方に目を覚まし、夜遅くまで積読を解消しようと日が回り続けても本を読むという、怠惰そのものの日曜日が過ぎた。
おかげで絶賛寝不足のまま月曜日の朝になってしまったが、探究学習日なので、別に構わない。テストでもなければ、あれは最早授業でもないので、成績に関わらない以上、私にとっては至極どうでもいい。先生は、とっくの昔にサポートが終了したWindowsが未だそのままになっている低スペックなパソコンと睨めっこする生徒を、ただ眺めるだけだ。
くじ引きで決まった探究班は、5班に別れた。私と隼は、別の班になった。
断じて、悲しくない。きっと。
でも、虚心坦懐になれと言われたら、多分、ほんのちょっとだけ、寂しかった。この気持ちは、嘘じゃない。
ううん、何を矛盾したことを言っているんだ、私……ミステリーなら、一発アウトだ。
「差別が良いテーマだと思うな」
「でも、他の班は、ジブリが売れた秘密とかやってるらしいぞ。俺たちだけ硬くなりすぎてないか?」
班のメンバーが、何か話している。でも、糠に釘で、頭に全く話が入ってこない。
「ねえ、一宮さん」
「……」
「一宮さん!」
「えっ?」
「差別を掘り下げるっていう方向でいいかなって聞いてたんだけど」
「あっ、ああ。うん、いいと思う」
「さっきから全然違うところ見てるけど、大丈夫そう?」
「うん、大丈夫……ごめん」
私の目の先には、楽しそうにきゃっきゃする隼の姿。その隣には、女の子──みんなで話し合う授業だから、不可抗力……だよね。
休憩時間、私はトイレから帰ってきて、教室に入った。
隼はまだ女の子と話していた。でも、きっと日常的な会話ではないに決まっている。探究学習のテーマに行き詰まって、休憩時間に何とか決めようとコミュニケーションを図っているに違いない。
私は、小さな針がちくちく刺さるように、胸が痛んだ。胸がきゅっとなって、心がもやもやする。やるせなくて、苦しい。
この気持ちは、嫉妬──あの爽やかな笑顔は、私にだけ、向けられていると思っていた。とてつもなく、悔しい。
私は、ハンカチで手を拭きながら、何事も無かったかのように、席に着いた。
終礼のときも、心の痛みは取れなくて、ただ下を向いて、弱い自分に苛まれるだけだった。
「ことちゃん」
皆がぞろぞろと帰る支度を始めた頃合いを見計らって、隼が隣に顔を覗かせた。
「なに」
「あれっ、なんだか元気がないような。疲れてる?」
「隼が元気すぎるだけだよ」
「そっか」と納得する隼。何も疑ってはいないようだ。隼には、私が嫉妬してたなんて、想像もつかないだろうな……。
「今日もバス停まで一緒に行こうよ!」
「いいよ。どうせ一緒に帰りたいんでしょ」
「そうとも!」
私の気持ちには気づかず、右手でグッジョブの形をとる。直後、いつものように、にっと笑った。いつかのように、無垢で、何の穢れもない自然すぎる表情。私はそれを見て、心臓がどきりとするのを感じたと共に、余計に身を焦がす思いに駆られた。私は、隼のことが──。
正直、合わなかったらすぐにでも別れてやろうと思っていた。でも、隼は、時々抜けてるけど、私に対して真っ直ぐな愛情を向けてくれて、あの笑顔を見るたびに、胸の奥が疼いてしまう。
私たちは、バス停まで一緒に歩いていくことがもう普通のことになったけれど、結局、月曜日も火曜日も、あの出来事には触れられなかった。
*
到頭、水曜日をむかえた。1学期、学校に来る、本当の最終日。次に隼と会うのは、8月5日の、星葉祭り。これを逃したら、もう聞くチャンスはないと、私の直感が囁く。
バス停への道を歩きながら、私はそれとなく尋ねた。
「最近、私以外の女の子と仲良くない?」
「今日、天気いいね」と言うように、さりげなく。
「え?」
「隼忘れてないよね? 私が彼女だってこと」
「そんなに仲良くしてないよ?」
嘘だ。
「仲良いじゃん。トイレから帰ってきたとき、私見ちゃったよ。探究終わった後も、休憩時間に話してるの」
「そんなことあったっけ……」
「あったよ、結構楽しそうだった」
右手で髪の毛の刈り上げたところを掻きながら、隼は眉間に皺を寄せた。そして、何やら思いついたらしく「あっ」と口に出す。
「ひょっとして、ことちゃん……やきもち、妬いてる?」
「妬いてない」
私は間髪入れずに返した。
「でも、今の質問ってそういう感じに」
「妬いてないよ。ただ、他の女の子と話してるのが気に触っただけ」
私は断固として認めない。
「そうなの? ごめんー」
「よろしい」
素直にはならない。私は今、隼と帰り道を共に歩き、会話している。それだけで、いい。隼がよく覚えていないなら、あの出来事は、大したことないと、そういう風に自分を首肯させた。
「ことちゃん、もしこのまま他に予定を作らなかったら、次会うのは8月5日になっちゃうよ」
「つまり?」
「会いたい!」
「へぇー。あっ、今回は私が言わせた訳じゃないから」
「えっ、いいの?」
「別にいいよ。どこで会うの?」
本当は自分も、1週間以上会えないのは、雀の涙くらいだけど、寂しかった──というのは、言ったら調子に乗られそうなので、意地でもひた隠しにする。
「課題はさっさと終わらせておきたいし、ことちゃんもそうだと思うから、明日から僕の家で勉強会を開こう!」
なるほど。通称、家デートというやつか。勉強会ならデートとは言えないかも知れないが、異性の家で2人きりというのは、間違いなくデートの体裁に近い。
「確かに課題は何より優先したいね。終わらせたら自由になるし、色んなことが出来る。でも、どうやって家まで行けばいいの? 隼の家の場所知らないんだけど」
「橋上橋わたって、右手にガソリンスタンドあるでしょ? あそこの真ん前!」
「ガソリンスタンドの前に行けばいいのね。了解」
「よっしゃー! そうと決まれば、明日は数学だー! 正直数Ⅰはちんぷんかんぷんだから、教えてね?」
「はいはい。数学は私に任せておきなさい」
かつて、中学校の全国模試で偏差値70を1度だけ取ったことがあり、それ以来数学は自信のある科目になった。現代文と英語は……目も当てられない。読書と現代文の成績には、相関性なんてなかったんだと、思い知らされる。
「さすが数学オタクのことちゃん!」
「その呼び方やめて。オタクじゃないから」
これは、隼のみならず、なぜか大体のクラスメイトに浸透してしまった、私のコードネーム──これだけかっこ悪いコードネームは他に存在しないだろうが、私を弄る際に用いられる呼称である。
そんなことを喋っていると、バス停がもうすぐそこだ。
「着いたね、もう大丈夫。ありがとう」
「あっ、ことちゃんは何時が都合いい?」
「昼からがいいな。13時くらい」
「じゃあまた明日! 13時に僕の家で!」
「うん。ばいばい」
「ばいばい、ことちゃん!」
夕焼けの空に、鴉が2羽、飛び去った。カァー、カァーと鳴きながら。1羽は私の方へ、もう1羽は、何かを噛み締めるように足を踏み出した、イノセンスの如き青年の方へ。
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