星葉祭り

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星葉祭り

 カランコロン。カランコロン。  私の下駄の音がサイクリングロードに響く。右手には隣県の端から続く雄大な川が流れている。近畿有数の一級河川であり、群れになって泳ぐ鯉を見ていると心が癒される。  某ウイルスの効果はここでは発揮されず、サイクリングロードは大勢の人でごった返していた。ここを真っ直ぐ歩いていけば、開催地に辿り着けるからに他ならない。この道が、橋上市に不案内の者にとっては最短であり、従って毎年のように混雑は免れない。当然、星葉祭り開催中は、自転車は通行が禁止されている。  反対側の道路も、思った通りに渋滞を招いた。車で行くよりもサイクリングロードを歩く方が早いことを知っている私は、その近くでおばあちゃんの車から降りた。  歩いて数分で到着した。  ここで、私は重大なミスをしていることに初めて気がついた。実に愚鈍なミスだ。  待ち合わせ場所を決めていなかった。これでは、既に数千人が集まる中、隼を見つけることは困難を極める。  私は焦って、隼と連絡を取ろうとした──が、これまた馬鹿なことに、連絡先も交換していなかった。 「こーとちゃんっ」 「ひっ!」  突然の声に驚いて振り返ると、隼がにっこりとほくそ笑んでいた。 「びっくりしたー?」 「びっくりしたよ……心臓に悪い」 「いつもツッコまれてばかりだから、驚かせてあげようと思って」 「ツッコまれるから驚かすとか、順接の接続詞どうなってんのよ。あと、驚かせなくていいから。私、小説では大丈夫でも、ああいうのは無理なの」 「ごめんなさい」  前と同じようにしょんぼりする。どうやら感情を隠す気はないらしい。 「謝らなくてもいいけど。それより……浴衣見て、感想の1つもないの? わざわざおばあちゃんに着付けてもらったんだけど」  白の生地に紫陽花が描かれた浴衣だ。随分と前に、母が「琴葉には紫が似合う」と言って買ってくれた。それ以来、着る機会はなくても、お気に入りのものだ。  隼は、はっとしてこちらを向いた。 「あっ! ことちゃんを驚かせることに夢中で気が付かなかった……」 「ほんと間抜け」  世の中にこんな彼氏がいるだろうか。 「すごく似合ってる……可愛い!」  隼の特徴的なくりっとした目が、私を見つめた。  私は急激に顔が熱を帯びていくのを感じて、思わず後ろを向いた。 「あっ、髪型も可愛い! お団子!」  私はもう耐えられなくて、先に歩き出した。 「ほら、行くよ」 「ねえー先に行かないでよー」  隼は多分、全く気づかずに私の後についた。いや、気づいていないでほしいという私の一縷(いちる)の望みかも知れない。私はすぐさま話題の方向転換を試みる。 「どこ行くー?」 「焼きそばかー、りんご飴もありかな」 「じゃあ、先に焼きそば食べてから、りんご飴にしよう」  星葉祭りの焼きそばは、毎年大人気で、1度列に並ぶと、買うまでに20分ほどかかる。花火が上がるのは19時45分なので、りんご飴を食べてから焼きそばを買いに行くと、時間的に焼きそばをすすりながら花火を見るという実に痛々しい光景になってしまうと思ったのだ。花火くらい、じっくりと、何にも邪魔されずに見たい。 「ことちゃん、ここだよね?」 「だね」  予想通り、長蛇の列を成しており、道の3分の1を焼きそば客が占めていた。  ちなみに隼は、なんとなく想像はついていたけれど、私服だった。でも個人的には、浴衣も良いとは思うけど、男の子の私服が好きだから、浴衣姿の私とミスマッチだとは思わなかった。 「ことちゃんさ、僕のこと、好き?」  唐突に隼が質問を投げかけてきた。予想もしない言葉に、意表を突かれる。  私は「好きだよ」と返そうとしたけれど、周りにいる大勢の人が目に入って、恥ずかしさが(まさ)ってしまい、出かかったその言葉を、胃の中に流し込んでしまった。 「ご、ごめん急に……変なこと聞いちゃって。忘れて!」 「全然、大丈夫、私こそごめん」  それっきり、気まずい空気が流れて、私たちは焼きそばを買うときまで、一切何も話さなかった。  焼きそばを買った頃には、時刻は19時25分になっていて、花火まであと20分しかなかった。  私たちは、花火を見るために、近くにあった階段の1番上の段に座ることにした。私が小学校のときからお気に入りの場所だ。隣の芝生は丘のように急になっているけど、こっちはちゃんと座れてずり落ちることもないし、花火もよく見える。位置が高いから、首をあげすぎて疲れることもない。  黙々と焼きそばを食べていたとき、隼がわざわざ箸を置いて、両手を後ろにつき、空を見上げた。 「僕、引っ越すんだ」  こちらを見ずに、夜空を眺めながら隼が呟いた。私は、隼が言っていることが理解出来なかった。思わず、箸を止めた。 「えっ、なに? なんて?」 「引っ越すんだ」 「引っ越す?」 「うん」  何を、言っているのだろう。  引っ越す……引越す……引っ越す……「引」と「越」の字が、頭の中をぐるぐる這い回る。 「急にどうしたの? 焼きそば食べてたら頭おかしくなった?」  私はおちゃらけた。隼は、笑わなかった。 「おかしくなってないよ。本当なんだ」 「いつ引っ越すの……」 「明日」 「明日? は?」  明日、引っ越す……?  隼が、引っ越す。いなくなる……? 「親の仕事の都合でさ」 「なんでもっと前に言わなかったの?」 「だって、ことちゃん、悲しむと思って」 「それは……」 「ほら、悲しそうな顔」  言い当てられて、私は下を向き、唇を噛んだ。 「りんご飴買ってくるよ。もう、時間ないし」 「あっ、うん」  隼がよっこらせと立ち上がる。手をぱんぱんと2、3回振り払い、軽快に階段をおりて行った。  どうしよう。  隼が、引っ越してしまう。場所は、結構遠いのだろうか。もう、会えないのかな。  別に言ってくれてもいいじゃないか──いや、言ってしまえば私が取り乱すことを分かっていたんだ、きっと。隼は最後まで普段の私といたかった。そういうことだろう。  私の中で光のような速さをもって思考が進む。今までの出来事が想起される。  そうだ。なにもあんなに早くに告白する必要はなかったはずだ。奇跡的に、私がOKを出したが、普通はもっと関係を築いてからしようと思うものだ。  お出かけにしても、こんなに立て続けにデートを申し込むのは尋常ではない。私は、機嫌を損ねたら別れると言ったはずだ。慎重にならないといけないなら、もっと私の動向を探るはずだ。  それに、さっきの質問──私は応えられなかったが、もしかして。  私は最後まで馬鹿だった。どうしてこんな単純なことに今まで気がつかなかったのか、自分を呪いたい。  考えているうちに、隼が階段を1段飛ばしで駆け上がってきた。 「はい、これ、買ってきた!」 「美味しそう。ありがとう」  体育座りの格好で、りんご飴を舐める。隼の細いけど、ふくらはぎが鍛えられた脚が目に入る。  どうしようか。どのタイミングで言えば良いのだろう。  私が、付き合ってから1度も口に出せずにいた言葉──隼が、私に求めた言葉。  焦っているうちにも、刻一刻と時間は経つ。甘いはずのりんご飴は、何も味がしない。 「ねえ、引っ越し先って、遠いの?」  違う。そんなことは、今はどうでもいい。 「九州って言ってた。結構遠いみたいだよ、新幹線使わないとここには来れないみたい」 「そうなんだ」  絶望の2文字が私を支配する。また、あの時のように胸が締め付けられる。  誤魔化しようのない痛みが湧き上がってくる。寂しいという感情ではとても表しきれない、切なさ。  でも、ここで泣く訳にはいかない。星葉祭りの花火は、絶対に泣いて見るべきものではない。 「あっ、ことちゃん! 花火そろそろ上がるみたいだよ」  ついに私は目の前の彼に対する心からの流水を堪えるのに必死で、××を口に出すことは出来なかった。周りでいちゃつくカップルを見て、‪××を素直に言い合っていることに焦燥感が走る。私も、付き合ってるのに──。  ヒューと音を立てて、記念すべき1発目の花火が空へと風を切った。続いて何発も何発も打ち上げられていく。 「見て見て、ことちゃん! 凄く綺麗!」  わぁーと口を大きく開けて天を仰ぐ隼。川のように清らかなその(ひとみ)には、色鮮やかな花火の数々。  それを見つめていた私の頬を、1粒の(しずく)が伝った。やっぱり私は、君のことが、好きで好きで、好きで好きで好きでたまらないんだな。  幻想的とも言える1万発の花火が舞台の主人公を務め、星葉祭りは華やかな終わりを迎えた。  私にとって忘れられない夏が、そこにあった。 「凄かったね、ほんと!」 「うん」 「じゃあ、帰るか!」  ほんとは隼も寂しいに決まっている。でも、きっと自分が悲しい顔をしたら私が泣いてしまうと分かってるから我慢してるんだろうと思うと、最後まで隼の優しさに救われた。  私は、何か話したらもう泣き出してしまいそうで、結局サイクリングロードを歩いてるときも、ただ前を向いて歩いた。  そうだ、最後にお見送りをしないと。隼が、いつも私を見送ってくれていたように。今度は、私が隼を送り出さないと。 「隼」  ほとんど最終地点になって、私はなんとか声をかけた。 「うん?」 「明日、何時に橋上駅行くの? 一旦電車経由するんでしょ?」 「あー、えっと。朝の10時だっけな」 「そっか」 「ごめん、家こっちだから……」  隼は何かをこらえるように声を絞り出しているように見えた。 「あっ、うん」 「元気でね、ことちゃん。また絶対会おう!」  ああ、あの時の「元気でね」は、本当にそういう意味だったんだ。 「うん、隼……またね」  去っていく隼が、右手を固く握りしめていたのを見届けて──また胸が疼き出し、寂しいという想いが加速して──私は隼とは反対側へと歩み出した。  朝、10時。  絶対に伝える。伝えなくてたまるものか──もう、この想いは、何にも代えられないのだから。  *  午前9時30分、私は家を出た。大丈夫、寝坊していない。  確認したところ、終点難河(なんかわ)行き電車は、10時7分発だ。それを逃せば、次は10時56分……橋上市が田舎であることを、顕著に示している。  隼が乗るのは、十中八九、7分発だろう。56分発に乗るのに「10時だっけ」とはならないはずだ。  今いる場所は、駅に入ろうとする人からは死角になっている。でも、地蔵のように固まることだけは避けなければならない。後で辛くなる、なんて弱い言葉は、それこそ余計に後で辛くなるだけだ。  やがて隼が現れた。家族も一緒にいたが、そんなことは構わずに隼に近づき、肩を叩いた。  隼は、信じられないというように、綺麗な二重(ふたえ)をくっきりと開く。 「どうして……」  そして、家族に目配せをした。先に行っておいて、ということだろう。  私は、その場で思いついたことを羅列する。破裂してしまいそうなほど溜め込んだ想いを、ぶつける。 「私、隼のことが、好きだよ! 明るいところも、話し方も、笑顔も、全部が、好き! 私に真っ直ぐ向けてくれた『好き』も、好き! 隼が、大好き……だから、だからね」  私は、心から上昇してくる衝動を抑えられなかった。張り詰めていた想い──寂しさ、苦しさ、胸が潰れてしまいそうな痛み──それら全てが巨大な波となって私に立ちはだかり、咽び泣いた。滝のように、目から水分が溢れ出した。  次の瞬間。ぐちゃぐちゃになった私の顔に、ごつっとした感触。平たくて、温かい、人の胸。私はとめどなく泣き続ける。背中には、きめ細かな指。全てを包み込むような優しさが、私を抱きしめる。 「僕も、ことちゃんのこと、めっちゃ好き。本当に、好きなんだ。今までも、これからも」  最後に優しくされて、余計に涙が止まらなくなって、隼の胸は私の涙と鼻水でびしょ濡れになった。心做しか、彼も泣いているように見えた。自分の涙と混ざっているからか、よく分からなかった。  やがて何とか落ち着いた私は、隼の胸から離れると、涙を腕で拭き、希望を問う。 「また、会えるよね」 「うん! 絶対、会える!」  右手のグッジョブ。にっとあどけない笑顔。  もう、泣かなかった。私は両目をぐりぐりとして、霞んだ視界を取り払い、自然体で、笑った。 「そろそろ行くよ」 「うん」 「次会った時は、ホラーも読めるようにしておくよ」 「なーに言ってんの。さあ、早く行かないと電車に乗り遅れちゃうよ?」  私たちは、あははと笑いあった。 「そういえば、応募する作品、決まったよ」 「おぉ、良かったね! 今度戻ってきた時に読ませてよ」 「それは無理。隼だけは、絶対無理」 「なんで?」 「はいはい、もうほんとに行った方がいいって」 「でも、まさか来てくれると思わなかったよ……すぐ戻ってくるから、また遊んでね」 「もちろん」 「じゃあまた!」 「うん!」  隼は、待っている家族の元へ、走り出した。振り向くことはなかった。  私も、無事に見送った後、歩き出した。彼が向かう先へ背中を向けた。  ふと、ポケットに何かが入っていることに気づく。  定期──そうだ、前、友達と遊びに行った時に……。  急いで駅へと走り出した。  絶対、間に合わせる。  顔が空気を切り裂く。整えてきた前髪が一瞬で乱れる。  息を切らしながら改札を抜けた。  ホームに電車はない。ゆっくりと走り出したところだった。  隼は──  いた。1番最後尾の車両。窓から見える、柔らかな瞳。  まだ間に合う。私はホームの端へ全力ダッシュし、そして。 「じゅううううぅぅぅーーん! ばいばあああぁぁぁーーーい!」  今までで1番大きな声で、精一杯の力を振り絞って、叫んだ。  去っていく隼の口が「ばいばい、ことちゃん」と動いた気がした。  それは、いつかのように、私の耳にこだましていた。何よりも愛おしい、私を呼ぶ声だった。
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