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THURSDAY
「ただいま」
二十二時にこうして夫は帰ってきた。夫を殺した日から五日。当然ながら夫は死んでいなかったことになる。初めは幽霊かと恐怖で言葉も出なかったが、幽霊は疲労で日に日に窶れたりなどしない。
徹夜が続いているか、顔の隈はさらに深くなりとうとう無精髭まで生えてきた。あんなに身なりには気を遣っていたのに。ネクタイの外されたヨレたシャツに疲労感が滲み出ていた。ずっしりとした重いビジネスバックをテーブルの横におくといつものようにソファにもたれ掛かった。
私には目の前と夫とは別に違う恐怖が襲っている。あの日、間違いなく夫を殺そうとしたあのキャデラックはオーナーの車だった。運転席はライトで反射して見えなかった。オーナーとはあれきり連絡をとっていない。本当に人を殺そうとするなんて、もしかしたら次は私が殺されかねない。もうあのウィークリーマンションには戻れない。
気がかりなのは私の店だ。連絡が来ないところをみるととりあえず店は大丈夫だと思うけど、オーナーが待ち構えているかもと思うと恐ろしくてとても出勤など出来ない。
私が問いかけると立川の携帯がなる。見慣れない番号なのか立川が一瞬躊躇するもすぐに電話に出た。
「もしもし、はい。あ、警察の…」
身体がビクつくのを必死で堪えた。立川の顔を見る。冷静な顔をしているが、眉間に皺がより、窪んだ目の下が徐々に赤黒くなっているのがわかる。
「では車は盗難車両で、持ち主は?そうですか、はい。えぇ…はい、わかりました」
短い会話であっという間に電話は終わった。
「け、警察?」
私は知らん顔をして立川に尋ねた。
玄関に向かう立川を追った。
「ね、ねぇ、待って!警察って何よ、何て言ってたわけ」
立川は革靴を履きながら呪文のように言った。
「君がまたあの男の所へ行くなんて、僕は君を…ゆるさない…」
「え、何のこと?あの男って、何よ…」
「せめて、いい訳くらい…聞かせてくれ」
そう言うと立川は出て行ってしまった。とうとうバレてしまったのだ。あの車は間違いなくオーナーの比佐の車だ。盗難車と言っていたから運転は別の誰かにやらせたのかもしれない。轢き逃げしていたなら警察も事故以上に捜索するし、その車が妻の愛人だった男の車なんて分かったら私が犯人として疑われてもおかしくない。そもそも、共犯と夫が知ったなら、さすがのあの夫も自分を殺そうとした私を警察に突き出して当然だ。
私は靴も履かずに玄関のドアに飛び付いた、逃げよう。もうここには居られない。夫からも比佐からも見つからない、どこか遠くへ。
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