SATURDAY

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SATURDAY

 ガチャ。  ゆっくりとドアが開く、私は息を飲み決心した。このまま夫に監禁され続けるなら今度こそ夫を殺そう。それから遠く、海外でも逃げてしまおう。  私は家の中で一番大きな花瓶をソファの後ろにそして出刃包丁をソファの下に忍ばせた。 「…っおかえりなさい」  自然に放ったはずの言葉も詰まり唾を飲んだ。立川は何も言わずにいつものようにソファにもたれ掛かった。今までで一番長い、大きなため息をついた。疲労困憊といった顔だ。 「ねぇ、昨日の警察って一体どういう事なの!説明して!」  立川は怒鳴る私を横目にまるで魂が抜けているような脱力感だった。それもそうか死にかけたのだから。そして立川もまた、私を殺そうと今も何処かで隙を狙っているのかもしれない。もしかして私は殺されるのか、それともこのまま一生監禁されるのか。どちらにしろそんなのはまっぴらだ。 「昨日、警察から連絡があった。君の上司は亡くなったそうだ。自殺らしいよ」  声が一瞬出なかった。あのオーナーが、自殺? 「遺書はなかったみたいだけど、あの日の車はその上司のものだそうだ。これは……偶然じゃないよね」  バレている。オーナーが盗難車を装って夫を殺そうとした事を。そして逃げ切れなくて自殺したんだ。  すると立川はバックから書類を二枚取り出した。 「それは…」  それは以前私が見つけた、一億円の保険金が掛けられた書類だった。私は思わず立ち上がった。立川の顔がどんどん青白くなっていく。 「こんなもの…持っていたってしょうがない」  立川は乾いた笑いをした。笑っているのにさえ疲れるというようなだるそうな表情だった。その大きな身体が私に乗りかかり、グローブのような分厚い手が私の首を絞めるイメージが湧き上がって身震いした。  するとその太い指がビリビリと書類を破きはじめた。四等分された書類がテーブルに投げ捨てられる。よく見ると書類は生命保険と記されていた。しかも私とだ。 「なに?これどういうこと?解約って」 解約された日付は先月になっていた。 「今さら解約したって…もう…」  立川は鼻を啜りながら頭を抱えた。どうやら保険金を解約したことを相当後悔している様子だった。 「解約金は、二人分で三百万ほどだそうだ。君はこれっぽっちの金では満足してくれそうにない」 「そのお金をどうするつもりよ、離婚の手切金にでもするつもり?」  私は嫌味ったらしく言った。すると、立川は緩んだネクタイを外した。 「君を、どう許せというんだ、僕は、僕は、僕は一体どうしたらいいのか分からない」 そう言いながらフラリと立ち上がった立川はゆっくりとこちらに近づいてくる。 「ちょっとなに?あなた、疲れてるんじゃない、ねぇ」  握ったままのネクタイに思わず視線が落ちる。ソファの下にある包丁に手を伸ばすと立川の大きな影が私の正面に回った。逃げたしたいのに、足が床に吸い付いたように動かない。 「僕はもうどうしたらいいのか分からない。まさか君が…」  ピリリリリリ  立川の携帯が鳴った。見えた画面にはまた山口中央病院の名前が出ている。 「はい、立川です!はいっ、え、今ですか?す、すぐに向かいますっ!!!」  それこそ死人の様な顔が一気に生気を取り戻したように立川は携帯を切ると鞄を持ち急いで玄関に走った。 「ちょっと、待って!」  これをチャンスとばかり私も急いで立川に続いた。久しぶりに出た外はひんやりとした空気に冷たい雨が降っていた。  立川は振り向く事もせず、足早に駅に向かう。よっぽどのトラブルがあったのか私の事などお構いなしだ。  駅前は雨のせいで数台のタクシーが客を乗り入れさせていたが幸い列は出来ていなかった。立川が停車しているタクシーを捕まえ乗り込む。次いで私も乗ろうとするとドアが閉められてしまった。なんて失礼な運転手だと思い私はわざとそのタクシーの目の前を横切り、反対側のドアを叩いた。するとドアが開き立川の隣に乗り込んだ。 「ねぇ、まだ話の途中じゃ−−–」 「何してるんだっ、早く出してくれ!」  私の話を遮って立川はタクシー運転手に怒鳴りつけた。 「あ、あれ?すみません!すぐに出発します」  立川の声に驚いたのか、慌てて運転手は車を出した。切羽詰まったような面持ちで立川は雨粒で濡れる窓の外を眺めていた。このところ帰りも遅いし、よっぽどのトラブルがあったのだろうか。頭を抱えて帰宅する事は何度もあったが、こんな取り乱したような姿は初めてだった。  そして気づく。なぜ私は立川を追いかけてきてしまったのか。このまま逃げれば良かったのに。いやでも警察の動きも把握しないと行けなかったし、あとは…そう困惑しながらも考えていたが、これは私の直感だった。立川が向かう先に何かあると感じたからだ。理屈ではない、この夫の慌てっぷりは尋常じゃない、きっとなにか確信めいたものがある。これから私たちの人生に大きく関わるような何かであるに違いない。そう感じたからだ。  病院に到着し、夜間救急用の裏口へ向かう。慣れたように警備員に会釈をし、奥へと進む。病院の張り詰めた空気のせいか、私は夫に対しての恐怖が薄れていくのが分かった。さっきまで床に吸い付いて動かなかった足が嘘の様に軽い。見ると私は裸足だった。裸足のまま家を飛び出してしまっていたのだ。 「立川さん、こっちです」  階段前に中年の女看護士が待っていた。 「さっき、顔を出したばかりなんですが、」 「とりあえずこちらです」  てっきりスタッフオンリーのバックヤードの様な所に行くのかと思いきや二人は入院病棟へとかけて行くので、私もついて行った。ペタペタと冷たい床を子供のようについていく。消灯時間を過ぎた病棟は非常口階段の緑の光と所々の部屋から漏れるオレンジ色の光が混ざり合って、静かだった。さっきまで何がなんだか分からない状態だったが、歩くたびに冷静になっていくのが分かる。  奥に続くと個室の病室が並んでおりすべて扉が閉められていた。その奥に一つだけドアの開け放たれた部屋があり白い光が漏れていた。立川が迷わずそこへ吸い込まれる。なかには点滴の管が刺さり、身体のあちこちに包帯の巻かれた青白い顔をした見知らぬ女性が寝ていた。白衣を着た医者と看護士数人がその女性のベッドを囲んでいる。  申し訳ないが素人の目からもわかる。その人はすでに虫の息だった。 誰だろう、なんか知ってるような。 立川がその女性の手を取って叫んだ。 「沙苗(さなえ)!」 立川がオロオロと取り乱し、周りの医療スタッフも薄暗い表情をしていた。ベッドの横には時計があり、時刻は日付を跨いでいた。 あぁ、思い出した。 八年前にあなたと結婚して、自由奔放に生きてあなたを傷つけてばかりいた。 私だ。
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