第十章

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第十章

 あんなに死にたかった夜が朝になると落ち着いた。  まるで昨日の事が夢の事のように思えてしまうけど、この虚無感は絶対に嘘ではない。  それでもカーテン越しの朝陽を見るとわずかながら生きていて良かったと思う。このままずっとつらい事が続くと思うのに、それでも死ぬ寂しさよりはマシに思えた。  それでも溜息は出る。その度に幸せがどんどん抜けて行くのが分かる。もう僕は幸せなんか何処にも残ってないように思えるんだけど、それでも誰かが言った迷信が僕の背後に迫った。  溜息を吐いちゃダメだ。  そう思う度に、思えば思う程に僕は溜息を吐いた。  今日も学校に行かなくちゃ。  ……行きたくないなぁ………。  男子の制服を着た。  母親は僕を女の子にしたかったようだけど、そうなれないから僕は男子の制服を着る。男子の制服の方が安心するのは僕の心が男子だからかもしれない。僕の身体には性別がないけど、心だけならきっと僕は男なんだ。でも、それが性別の無い身体に合っていないから僕は苦しいんだ。なら見た目だけでも男になったのなら少しは楽になるかと思った。実際に楽になった。居場所のなかった僕に居場所らしいものが見えた気がしたけど、所詮それは見た目だけのまやかしで、やっぱり僕は無性別者なんだ。その事実に僕は羞恥と惨めさを抱いた。  「珍しいじゃん。あんたが男の格好なんて」  そう言ったのは安達さんだった。  「……」  「なに黙っちゃって」  「てっきり僕の事嫌いになったのかなって」  「………嫌いになれなかった。嫌おうとは思ったけど、あんたの事好きだから無理だった」  安達さんは悔しそうに言う。  「てか何であんたに性別無いの? 性別あったらこんなに苦しい想いしなくても良かったのに………」  「ごめん………」  「何で謝るの?」  「僕に性別がないから君を悲しませた」  「あなたの性格なら男でも女でも悲しませてるよ」  「どういう事?」  「男でも女でも好かれそうな性格してるよ。弱くて、誰かに依存していないと生きられない性格とか。そういうの、どっちの性別でも愛されて居そうだよ。人間失格の大庭葉蔵が何で女の人に好かれたか知ってる? おどけながら自信なさそうにする表情が女の庇護欲を掻き立てるの。男ならそれが支配欲になるみたいだけど」  「僕は人間失格なの?」  「そうかもね」  安達さんはおかしそうに笑った。  僕は彼女に恨まれているみたいだ。  「そうかもねって、ひどいね」  「だって、性別無くって精神弱くって、すぐ抱かれるなんてメンヘラ女よりもメンヘラで、死にたがりでしょ? あの時、電車に飛び込めばよかったね」  「………僕の事嫌いになったの?」  「違うよ」  「まだずっと好きだよ」  安達さんは僕にキスをした。  優しい短いキスだ。  「ねぇ、また私と付き合わない。別れたくない」  「振ったのは君だよ」  「振られることしたのはあなただよ?」  「ごめん」  「すぐ謝るね、癖なの?」  「癖じゃないと思うけど……」  「癖になってるよ。ねぇ、すぐに謝る人って自尊心低いんだよ?」  「そうなの?」  「テレビでやっていた」  「そうなんだ」  「テレビ観る?」  「あまり」  「私は観るよ」  安達さんは僕の隣に座る。  屋上のコンクリートに座る安達さんにスカート汚れるよと言った。雨ざらしで色んな汚れが溜まっているこんな屋上によく座れるなと思った。  「別に紺色だから目立たないよ。それに……」  「それに?」  「私、高校の制服嫌いなんだよね」  それは学校が嫌いって言うのと同義語じゃないのとは言わなかった。  僕も制服って嫌いだ。そこに居たくないのに居ろって言われている気分になるし、入りたくないのに周りに流されるように入ってしまって、本当にやりたい事もまだ見つからなくって、学びたい事も見つからなくって、ただ普通の授業を受ける毎日を僕は毎日死んだように送っていた。  実業高校の方がまだましだ。  将来に少なからず影響するし、入った人もちゃんと将来を考えているだろうと思う。  僕は……。  生きたいも死にたいもないから、ただ毎日を無駄に過ごしている。  「私ね、声優になりたいの」  「へぇ、良いじゃんなりなよ」  「無理だよ」  「なんで?」  「私滑舌悪いから」  「それは知らない」  「酷くない?」  「滑舌なんて訓練すればどうにでもなりそう」  「じゃあ、付き合って」  「ヤダ」  「なんで?」  「僕声優になる気ないから」  「じゃあ、何になる気なの?」  決めてない ただ……と僕は続けた。  「男になりたいかな……」  無性別者が男にも女にもなった例はないけど、叶うなら僕は男になりたかった。
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