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第五章
「もうウリとか辞めて欲しい……」
学校で安達さんはそう言う。学校での僕は女子生徒になっている。書類上も僕は女子生徒で見た目も女子生徒だ。ただ短い髪だから、男子の制服を着て居たら男子生徒に見えるし、そういう所で性別無いのは便利だ。簡単に他人の認識を変えられるし、偽れるし、違う人になれる。めっちゃ楽しい。ただただホルモンバランスが崩れやすいのが難点で、定期的に薬で調整している。
「ヒバリー体操着忘れてるよー!」
女子生徒が僕の隣を通った。ここは二階の渡り通路。向こう側に体育館がある。第一体育館って名前があり、生徒数五百人のマンモス校は体育館も巨大だ。何で一階と二階からアクセスできるようにしたのか、建築家のセンスが謎だ。まぁ、便利だけど。特に女子更衣室からのアクセスが。男子はいちいち一階まで行かないといけないから大変だ。
「あ、ごめん雪穂。ありがとう」
ヒバリと呼ばれた女子生徒は受け取る。
「もう、ドジ!」
女同士で何イチャイチャしてんだかと僕は思った。
「黒澤、話し聞いてる?」
安達さんが僕を睨む。
「ごめん、ウリをするなって話だよね?」
「うん……。なんかね、やっぱり、嫌なんだよね、付き合っていてウリされるの」
童貞みたいな発想だなと思った。
僕は気にしない。何処の誰が入れただろうと抱かれただろうと、今抱いているのは僕だし、僕だってそれを分かった上でしている。所詮、くだらない世の中だ。こだわった所で仕方ない。
「いいよ、辞める」
「本当?」
意外と彼女は驚いた。僕が辞めないとでも思ったのか。確かに生きている実感が欲しくってウリをしていたけど、別にずっと続ける気もなかったし、コレがずっと生き甲斐になる訳でもなかった。結局僕は他の人と同じように楽しいからウリをしていただけだ。
結局僕もくだらない。
「ありがとう……」
意外と安達さんは他の人と同じような反応をする。僕の事好きだけど、愛していないとか言って置きながら、なんだその反応は。
「あ、じゃあ、行くね」
安達さんはチャイムが鳴る前に教室に向かった。僕もそろそろ授業だけど……。
つまらない。そう思った。思ったけど、次の授業だけ出て後はサボろうかと思った。
「いい加減にしろ!!」
翌日の職員室で僕は先生に呼ばれた。理由は学校をサボり過ぎ、登校しても午後にはまたサボるのを繰り返していて、良い大学に行けるのか。そんなテンプレートみたいな説教だった。貧弱なボキャブラリー。そんな皮肉を心の中で言う。
「それに何だ、男子生徒の格好して? 男に憧れているのか?」
「先生、それセクハラです」
バンッ!! と机を叩く先生。
「なんだその態度は!!」
僕は溜息を吐きそうになった。大人に呆れるのを態度に出さないようにする努力がこんなにも苦痛だとは思わなかった。これじゃあ、日本で自殺者が減らないのも頷ける。大人はみんな頭が悪いんだ。そんな人たちと何を言っても意味がないのに、僕らの方が大人の対応をしないといけないから、僕はとりあえず黙る。それが少し反省したように見えたのか、「お前は勉強は出来るんだがなぁ……」それ以外は不良だ。多分、あとにはそんな台詞が付くと思う。
別に勉強が出来るとは思った事ない。
この学校の勉強は少しやればできる程度だと思う。そう難しくはないし、僕よりも頭の良い生徒は何人も居る。この教師は何を根拠にそう言っているのか僕には理解できなかった。
「頭は良くないと思います」
「いや、良いんだ。お前の方が理解が早いし、教えるのも楽しい」
「はぁ……」
何だその依怙贔屓は。
そう思っていたら先生はおもむろにスマホのアプリを出した。
「!?」
僕は声が出そうになった。それは僕がウリで使っているアプリだ。顔を隠していたのにばれたらしい。
「私の知り合いが教えてくれた」
先生はスマホの画面に何かを打ち込んだ。
『やらせてくれたら、この件は黙って置いてやる』
やっぱり世の中くだらない。
△
先生の車で高速を走っている。
僕は助手席で外の流れる景色を眺めていた。溜息を吐きたい気分だが、その溜息を吐くのすら億劫でオーディオから流れる曲を聞いていた。女性アイドルが恋だの愛だの歌う曲で、軽薄な語彙力にポジティブな曲に苛立った。
「アイドルは好きか?」
「嫌い」
僕は応えた。先生はそうかと言い、曲を止めた。しーん、とする車内。別に他の曲流せばいいじゃないかと思った。そうしないのが何故か僕には分からなかった。
「女を抱けばいいじゃないか。別に僕じゃなくとも」
「女ではダメなんだ。お前が良い」
「僕は先生じゃなくても良いですけどね。てか、ウリは辞めたんで、こういうのはこれっきり―――」
僕は唇を強引に奪われた。わずかな時間、僕と唇を合わせてすぐに戻る。車は少し白線をはみ出していた。
「早くホテルに行こう」
そう言ってアクセルを踏む。
唸るエンジン音が苦情を言うように音を上げていたが、速度が増すにつれて穏やかになった。
代わりに僕の心臓だけが痛くなって、僕は泣きたくなった。
抱かれたくない……。
△
自宅、僕は服を脱ぐよりも先に便器に顔を突っ込んだ。
あんなアプリをさっさと削除してメアドも変えてベッドに潜り込みたい気分を何とか抑えながらトイレで思いっ切り吐いた。胃がひっくり返るような嘔吐を繰り返し、込み上げた胃液で喉がヒリヒリと痛む。心臓が痛いくらいに激しく脈打つのが分かる。鼓膜を直接叩いているみたいに煩い。
涙が出た。それは吐いたからなのか悔しいからなのか、恥ずかしかったからなのか、悲しいからなのか僕にも分からない。ただ思い出す度に頭を打ち付けたくなるように忘れたかった。それなのに、どうしても強く頭に焼き付く。
アイツの薄汚いアレを喉の奥まで突っ込まれた。喉に張り付き吐き気をもよおすようなものを飲まされた。股の下にあいつが入るのも僕は抵抗したのに入れやがった。腹を殴られたり、叩かれたりした。
殺してやりたかった。ここまでされたのは初めてだ。今すぐに殺してやりたい。同じことをあいつにしてやりたい。こんな事言うと、世界はきっと『それじゃあ、アイツと同じじゃないか』って言うだろうね。違うって!! 何が同じだよ。何もかも違うよ!! 僕は身体を売って居ても人の尊厳までは奪わなかった。ちゃんと満足して貰えるようにしていた。皆の性欲を僕は満たしていただけだ。
「……こんな、自分の事だけ考えている奴なんかと僕は違う………」
僕はトイレの個室にまるで胎児のようにうずくまって泣いた。
それを見た妹の玲が僕の事を心配そうに見ている。小さいのに僕の頭を抱えて優しく抱きしめてくれた。
「アイ、大好きだよ」
そう言って玲は僕の吐いて汚い口にキスをした。
そうしたら、また涙が出た。こんな自分が嫌だと言う涙。もう普通になりたいと言う涙。本当は性別何かどっちでも良い。それでも、早くどちらかになりたくて、早く安心したくって、まるで地面に足が着いていないような感覚が本当に怖くって、どうしても性別が欲しくって、それでも、性別を持つのが怖くって、元々ある奴らが当たり前のようにそれを享受しているのが本当に憎くて、殺したいくらいに憎くって、羨んで、切なかった………。
「……レイ、これは冗談だから聞き流してね」
「うん」
僕は幼い妹相手に言った。
「一緒に死なない?」
それは本当に冗談だった。しかし、切実な願望でもあった。
僕は今どうしようもなく本当にそれが救いであるかのように死にたかった。キリスト教の信者が赦しを乞うように、救いを乞うように、仏教徒が極楽浄土に行けるように日々慎ましく、穏やかに過ごしているように、切実に微かな願いを、僕は心の底から願っているのは死ぬ事だった。
死にたくはなかった。それは本当だ。でも死にたかった。
こんなに辛いなら死ぬ方がマシだった。寂しいけど、死んでこの地獄から逃れたかった。
でも、ひとりで逝くのは嫌だからせめて最愛の妹と一緒に死のうと思った。
「いいよ、一緒に死んであげる」
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