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 家柄だけは立派な、22歳の未熟な犀星が、英俊は心配だった。「犀星は大丈夫でしょうか?」  律が思った以上に、犀星の状態は悪かった。「彼、霊力が弱いね。俺の術の反動が大きすぎて、耐えられそうにないな。近くにいい医者がいるから、そこまで連れて行こう」 「では我々のマーブルで行きましょう」英俊は犀星を抱え上げた。  律はマーブルに乗り込んで、見まわして言った。「わあ、このマーブルはよくできてるね。行き先は33‐373、130‐931って入力して」律は椅子に座って椅子の材質を撫でた。「滑らかだな、もしかして絹か?」 「そうです、黒岡ですから、特産の絹を使っています」英俊はマーブルの中を見てまわって、はしゃいでいる律を、少年のようだと思った。悪魔だと言われても、恐ろしさなど欠片も感じられなかった。 「懐かしいな――」遠い昔の、かけがえのない日々を、律は思い出した。  イリデッセントクラウズは、滑らかに山の上を飛び、山奥の小屋の前に降りた。 「ここだ、ついてきて」マーブルを降りた律が先導した。  英俊は犀星を肩に担ぎあげて、律の後をついて歩いた。小屋の裏手に回ると、ブロンドの女が何かを釜茹でしていた。  律はその女に声をかけた。「雛菊(ひなぎく)、久しぶり」  雛菊は釜を混ぜながら顔を向けた。「あら、律、久しぶりじゃない、どうしてたのよ」  雛菊がブロンドの長い髪を肩に払うと、彼女の大きな胸が、白い着物の中からこぼれ落ちそうになっているのが見えた。くびれた腰に巻かれた赤い帯は、ぷりんと突き出したお尻を強調している。作品の見事な出来栄えに、男たちは心の中で賞嘆した。 「放浪してた。鳥を捕まえて食べようとしたら、人間が捕まっちゃって、大変なことになった。診てくれ」  雛菊は大笑いしながら言った。「じゃあ人間を食べちゃえばいいじゃない」 「俺は人間を食べたりしないんだ。君も彼らを食べないでくれよ」  フランクは2人の不穏な会話に、身震いがして、まさに今、釜の中で人間が茹でられているのでは?俺たちも釜茹でにされて食べられてしまうのでは?と恐ろしくなり、数歩後ろにジリジリと下がった。 「律さん、なんで食べるとか食べないの話をするんです?」 「ああ、雛菊は天狐(てんこ)だ、食べると言っても、肉体じゃなくて精気だ。だからって、喜んでこの体に飛びつこうなんてしちゃ駄目だぞ。特に唾液には触れないようにな、こいつの唾液には、長寿の効果があるんだ。300年位生きちゃうぞ」 「300年!」面食いのフランクは、雛菊の美しさに目を奪われた。だけど300年も生きてしまうわけにはいかないなと、非常に残念に思った。 「長生きしたくなったら言ってね」ふさふさとした4本のしっぽを出して、雛菊は妖艶に微笑んだ。「その人間を、ここに寝かせてちょうだい、診てみるわ」  英俊は肩に担いでいた犀星を下ろして、言われた通りテーブルの上に横たえた。  雛菊は煙が立ち上る香炉を、ゆらゆらと犀星の体にかざして隅々調べた。「――あんまりよくないわね、でも大丈夫。2時間くらいで目を覚ますと思うわよ」 「よろしく頼むよ」律が言った。 「どんな治療を施すんだ?」英俊が訊いた。 「教えられないわ、天狐の秘術なの」雛菊は意味ありげに答えた。 「というよりは、聞かないほうが身のためってことだよ、犀星の事は雛菊に任せて大丈夫だから、俺たちはマーブルに戻って待機しよう」  律に促された英俊たちは、渋々イリデッセントクラウズに戻った。
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