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英俊と蘭にIBAI局長増田海星が声をかけてきた。
「英俊、蘭、すまないが南東で強い霊気を感知した、調査に行ってきてくれないか」
増田海星という男は、そこに立っているだけで威厳を感じさせる人物で、現役の頃は、有能な妖術使いだった。その彼も、今年60歳になる。髪には白いものが目立ち始めていた。
英俊と蘭は立ち上がって敬礼した。
「了解しました。強い霊気ですか――正体は何でしょう?」英俊が答えた。
「まあ座れ、食べながら話そう」食べながらと言いはしたが、海星が席に持ってきたのは、賢明にもジンジャーエールのみだった。「調査部の連中が言うには人間の仕業じゃないだろうってことだ」
蘭は期待に胸をふくらませた。「もしかして、地獄の番人ですか?」
IBAIという組織の起源となった、黒岡軍の歴史を調べることが蘭の唯一の趣味だった。とりわけ、地獄の番人『律』に傾倒していた。
彼が相談役に就任すると、黒岡軍は異象部を立ち上げ、彼から妖術を伝授された精鋭部隊が、各地の異象と呼ばれる、妖や霊が引き起こす事件に対処するようになった。
逞しく硬派な軍人に、女たちはうっとりとし、数々の伝説を作り上げたヒーローに、男たちは憧れた。
黒岡軍が強大な勢力で、赤坂軍、青京軍、桃海軍を統一できたのは、他でもない彼の助力のおかげだろう。
天人様が世を治める君主制が長年続いていたが、今から55年前、天人様のあまりの横暴に耐えかねた黒岡軍は、都まで進軍し、天人様を、その地位から引きずり下ろした。
それと同時に、黒岡軍は国際異常現象捜査局と名称を改め、現在の民主制を推し進めた。
今の平和な世の中は、ひとえに黒岡軍のおかげだ。だからこそ、今も黒岡軍の精鋭部隊に憧れる人は多い。
海星は黒岡軍の精鋭部隊に所属していた祖父から、その地獄の番人である『律』という人物の話しを聞いて育った。
祖父が伝説を作りあげた部隊で活躍していたことは誇りでもあり、恐れでもあった。自分に、そこまでの力はないだろうという妬ましい感情が、自分の心を捉え離さないのだ。海星はそんな自分を醜いと思う。
「その可能性は高いが、もし律ならば問題はないだろう。悪魔とはいえ、祖父の話しでは思いやりのある悪魔だったようだ」
悪魔である地獄の番人は、律以外にあと6人いると思われていた。その姿を知るものは律以外にはいない。
「そういえば局長が生まれた時、律はまだ黒岡にいたんでしたね」蘭は偉大な祖父を持ち、幼少期とはいえ、律に会ったことがある局長を羨ましく思っていた。
もし自分も律に会うことができたなら、何を質問しようか、どの事象について語らおうかと蘭は夢に見ていた。
海星は遠い昔の思い出に浸った。「ああ、黒岡軍の元中将で、恋人だった柳澤晴翔が亡くなると、律は姿を消したんだ。俺はまだ幼かったから、あんまり覚えてないんだけどな」
英俊は結局、空腹に負けて不味いグラタンを全て食べ終えた。だが、まだ何か食べ足りないと思っていた。
「局長が覚えていなくても、律は覚えてるんじゃないですか?」
「うん、どうだろうな、黒岡軍本部には子供がいっぱいいたからな」覚えていてくれたら、どんなに嬉しいだろうかと、海星は思った。
「とりあえず、もし律なら局長の名前を出してみますよ。こちらに敵意はないと分かってもらえるかもしれない」律に会えるかもしれないという突然降って湧いた幸運に、蘭は気が急いた。
海星のテレグラフィーが呼び出しを告げた。「それは構わないが、もし律以外の番人だったら警戒が必要だ、祖父の話しでは、人間に敵意を持っている奴が多いらしいから、気を付けて行ってくれ。逐一報告するように」
英俊と蘭は同時に答えた。「了解です」
立ち上がりながら海星は、誰からの呼び出しなのか、相手の名前を確認すると、僅かに眉を顰めた。
どうやら嫌な相手だったようだと、英俊と蘭は思った。
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