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英俊はカフェテリアを出る時に、菓子パンを1つつかんだ。
蘭は呆れて言った。「まだ食べるのか?太るぞ」
英俊は栗あんぱんを、大口を開けて口いっぱいに齧った。「代謝がいいんだよ、このくらいじゃ太らない」
英俊と蘭はITTのオフィスに向かうため、マーブルに乗り込んだ。
マーブルとは、地獄の番人である律が、黒岡軍にいた頃に作った発明品だ。
行き先――緯度経度、住所、名称、登録されている場所、いずれかをパネルに入力すると、目的地へ連れて行ってくれる。
初期の型には壁や屋根は無かったが、今はガラス張りになっていて雨の日でも問題なく乗れる。最近では子供用の家と学校、そのほか親が設定した場所にしか行かないマーブルもできているらしい。
ITTのオフィスは地上32階にあって、眺めが抜群だ。
デスクに着いた技師たちは、パネルに指を走らせ感知した異常現象を、『フライングボール』という異常現象が起きた場所を指し示すことができる、手のひらサイズの黒いボールに落とし込み、捜査官たちに割り振る。このシステムを作ったのも律だ。
英俊は、デスクに座って、イヤホンで音楽を聴きながら、腰をくねらせている男を探した。
ITTのホリー・ウインターは、今日も相変わらず、腰をくねらせていた。
彼は艶やかなチョコレート色の肌に、甘い顔立ちの新人技師だ。
じっとしていられれば、女性が放っておかないタイプだが、生憎とビートに乗せて動いていなければ、生きていられないようなので、浮いた話とは無縁だった。
どうやら今はお気に入りの音楽を聴いているようで、歌まで口ずさんでいた。
この状態の同僚を、叩かずにいられるITTの連中に、英俊は恐れ入ると思ったが、そもそも、ここの連中は、皆一様に音楽を聴きながら、フライングボールをコロコロ動かしているのだから、似た者同士と言ったところだろう。
このオタクを、自分なら1時間だって我慢できず、椅子に縛りつけてしまうだろうと、英俊は思った。
それなのに毎回ホリーに依頼するのは、未熟で忌避されがちな新人に、経験を積ませてやりたいと思う、英俊の優しさからだった。
英俊はホリーのイヤホンを外して、声をかけた。「ホリー、南東で強い霊気が発生したらしいな、情報をくれ」
ホリーはイヤホンを外されて、不機嫌になった。「うーん、なんでいつも俺に頼むんですか?」
蘭はホリーのデスクに腰かけた。「お前が暇そうにしてるからだ」
新人ばかりを相手にする英俊を、生来の兄貴肌なのだろうと呆れていたが、この新人は、久々に使える肝の座った人物だと、蘭も評価していた。
ホリーは口を尖らせ不平を漏らした。「暇じゃありませんよ。俺だって仕事があるんですから」
英俊はホリーを高いところから睨んだ。「だったら早く情報をよこせ」
もともと威圧感のある英俊に睨まれて、ホリーは縮み上がった。「分かりました、分かりましたよ。ちょっと待ってください、南東ですよね……ああこれだ」ホリーがデータをフライングボールに移した。「はいどうぞ」
英俊はそのフライングボールを受け取って言った。「サンキュ!」
入局したての頃のレクリエーションで、冗談半分に、妖術使いと紫雲捜査官だけは怒らせるなと教わったホリーは、得体の知れない妖術使いを恐れるのは至極当然だと思った。なにせ、一般人には知りえないような呪術をかけ、信じられないほどの責め苦を与えることができるというのだから、極力関わらないようにしようと、ホリーは心に決めていた。
それに並ぶほど恐ろしいと言われる紫雲捜査官とは、どんな人物なのだろうかと興味を抱いた。
実際会ってみると、ホリーを蛇に睨まれた蛙のような気分にさせる人物だった。
関わらないほうが身のためだと、気配を消していたつもりなのに、なぜか自分ばかりを構ってくるのだ。
最初は恐怖から、話しかけられるたびに、カチコチに固まってしまっていたが、どうやら、さほど沸点が低くない人物だと知ると、少し警戒心を緩めた。
それでも時折、からかうように睨みつけて来る英俊には未だ慣れなかった。
ITTを出て行く英俊と蘭の背中を見送りながら、ホリーは乱れた心音を整えるため、一度大きく深呼吸をした。
英俊と蘭はマーブルに乗り、自分たちのオフィスがある12階へ降りていった。
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