月とたい焼きの夜

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◆◆ 「……うあっづい。暑いです、ものすごく。蒸し暑くないし夜だからと思って夏なめてました。あと自分の体力の衰えもなめてました」  コンビニの近くまで走ってきた杏子は、手を膝につけて肩で息をしていた。  中学生のときはバレー部のトレーニングの一環でしょっちゅう走り込みをしていた。まだ体が覚えていると思ったらこのざまだ。  息を整えながらコンビニに向かい、入り口を通り抜けた先の冷気を体全体で浴びる。清々しかった。  YouTuberだと思われるのも癪なので一度スマホをポケットに入れて店内を歩く。何か買うときはQRコード決済にしようと思い、財布とバッグは持ってきていなかった。  しばらくうろついてから、たい焼きがないことに気づく。大福や団子はある。ようかんもある。ただ、たいやきはない。  あのときの再現をするにはたいやきでなければならないのに。 ◇◇ 「待てって、杏子」  後ろから迫ってきたのは一番上の大学生の兄だった。  言葉を返すのもおっくうで、ひたすら走る。だてに運動部やってないからな、と心の中で毒づいた。国際なんとかサークルと塾講師のバイトをやっている兄が運動不足であることを杏子は知っている。このまま走れば引き離せることも。  暗い中でも自分の後ろ姿を見つけたことに関しては、あまり嫌な気分はしなかった。追いかけられるのは嫌だけれども。  月を道標にしたまま走り、一度振り返ってみると案の定兄の姿はいなかった。きっと今ごろどこかでへばっている。  いつのまにか知らない通りに出ていた。  商店街のようなところらしく、住宅に混じってスーパーやクリーニング屋が並んでいる。遅い時間のためどこもシャッターを閉めていた。  一箇所だけまだ明かりがついている店があって近寄ってみると、たい焼きの屋台だった。 「まだ、たい焼きありますよ」  不機嫌そうな声色の店主に声をかけられて、杏子は反射的に「買います」と答えていた。ちなみに杏子はあんこが嫌いで、たい焼きにも興味がなかった。  カスタードクリーム味があることを期待してメニューを見たが、つぶあんと抹茶あんと白あんの三種類だった。杏子は失意と共に夜空を仰いだ。
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