子守唄

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「私は男なんだよ。多分。男として生まれるべきだったんだ」  煙草を吸っていたときだった。  彼女はたまに、こういう独白をする。  ベランダで、晴れの日の空を眺めていた。晴れの日の、夜の空。大きな黒い雲が悠々と流れて、ちょっと身を乗り出しながら、二人で静かに肺を焼いていた。苦い煙が喉に、目に染みて音もなく涙を流し、灰皿に吸殻を押し付けていたところだった。煙草がひしゃげて、ライターの小さな音がする。  彼女は泣いていた。彼女は強くて弱い人だった。何かに縋らないと生きていけない人でもない。けれど、常に自身の弱さを見つめていないと、内側からバラバラに砕け散ってしまう。そんな人。つまりは根っからの被虐趣味。 「……何。君ってトランスジェンダーだっけ」 「違うよ」  即答しながら、彼女は長らく掃除していないベランダの床に座り込んでいた。気にしていないみたいだ。吐く煙は白く、肩で無造作に切り揃えたショートカットが痛々しい。 「違うよ。男になりたいと思ったわけでもないし、女なのが嫌なわけでもない。でも、そう思ったんだよ」  けほ、と小さく咳をした。 「神様の手違いで、私は多分、女になったんだ」  目を閉じて、彼女は唇を綻ばせる。 「本当は私、男なんだよ……」  私は彼女の手を取った。無駄毛のない、白くて綺麗な女性の手を取った。彼女は私を見上げた。きょとんとした、純粋な瞳だった。  私は二本目の、まだ長い煙草を指の間に挟んで、彼女の手の甲に押し付けた。ジュ、と肉の焼ける音がして、彼女が大きく目を見開く。真っ黒な焦げ跡。白魚の手には似合わない。 「じゃあさ」  私は涙を拭わなかった。煙草の涙を流したままだった。 「私が君にプロポーズしても、それは天命ってこと?」  彼女は答えない。  ただ小さく笑って、私の手を取り、煙草を床に落として、そっとキスをした。  手の甲。煙草の跡と同じ場所。
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