子守唄

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 春は帰宅部だった。帰るときはいつも一人だった。集団に先を越されても、緑陰に守られて歩く姿は綺麗だった。浮世離れしているわけでもなく、世の儚さというものを自分で体現しているようだった。本当に、目を離したらふっと消えていそうな存在感。  私と春の関係は、多くの、本当に多くの偶然が重なり合ってできている。 「春」  そう声をかけると、春は必ず振り向いてくれた。 「朱音」  私達は互いを下の名前で呼び捨てていた。なぜかは知らないし、いつの間にかそうなっていた。  そして、ごく自然に私達は下校した。ぽつぽつと喋るときもあったし、最初から最後まで無言で、ただ歩幅が一緒なだけ、という風なこともあった。二人とも電車通学で、途中までは一緒の電車に乗った。春は私よりも乗車時間が長かったから、ばいばいと手を振るのはいつも私からだった。本から目すら上げてくれないときもあれば、儚く笑って、手を振り返してくれることもあった。 「朱音は私が好き?」  一度だけ、そう訊かれたことがある。  春との関係は長いけれど、そう訊かれたのは、これが最初で最後だった。 「……好きだよ」  意味もわからず答えると、春は道端のツツジを取って、私に手渡した。ぷつっと乱暴に摘み取って、投げ捨てるようにくれた。春はツツジに興味を持っていなさそうだった。 「じゃあ、あげる」 「いらないよ」 「そう。じゃあ捨てれば」 「……何で」  その後に言葉が続かない。何で、こうなの。何で、そうなの。言いたいことは山程あったけれど、私は泣き出しそうで、胸がいっぱいいっぱいで、とても何か言える状態ではなかった。喉に何かがつかえていた。 「……何で?」  春の足取りは軽い。いつも、ふよふよ宙を舞う花びらのように、蝶のように、軽々と歩いていく。 「朱音だからじゃないの?」  もう、色んなものがぐちゃぐちゃして、汚く混ざり合って、私はなぜか泣き出してしまった。  迷子になってしまった幼子のように泣いた。  しゃっくりに似た嗚咽が止まらない私の手を、春は取った。そのまま引っ張るようにして、春は歩く。鼻水が垂れて、涙と皺で醜くなっても、春は構いやしなかった。  依然として、春の足取りは軽いままだった。
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