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触れたい花火、君の指先
夏野について考えるとき、あの複雑な笑顔をまっさきに思い出す。彼はどうして、さびしそうに笑うんだろう。
*****
「あ、ひまりさん、終わった?」
田舎の夜は暗い。教室から見下ろす町は、とっぷりとした闇の中。教室が煌々と明るい電灯に照らされているぶん、町の暗闇もいっそう濃く見える。
頬杖をついて、そんな暗闇を眺めた。
夏休みなのに、夜まで補講する? ふつうしないでしょ。花の女子高生の夏休みですけど? こいつと一緒っていうのも、なんなら教室にふたりきりってことも、ありえないし。
「ほんと、ありえない」
「なにが?」
「うるさい。こっちの話」
課題をどうにか終わらせた私を、夏野はすこし垂れた目を人懐っこく細めて、机に突っ伏しながらの上目づかいなんて卑怯な仕草で見つめてくるのだ。
「ひまりさん、補講ってさあ、だるいよね」
そうですね、だるいですね。よし、帰ろう。
文房具をぱっぱと鞄にしまい込み、一刻も早く立ち去ろうと、わたしの頭の中はそれだけ。なのに。
「よーし、じゃ、帰るか」
彼まで立ち上がった。私は、思わず不機嫌まる出しの声で言う。
「は? なんで帰るの」
「だって、俺もひまりさんも課題終わったから」
「そうじゃなくて。……私が終わるの待ってたわけ? あんたの課題が終わってるなら、先に帰ればよかったでしょ。ていうか、帰れよ」
「口悪いなあ。だから、俺はひまりさんと帰ろうと思ったんだって。だから待ってた」
そんなことを笑顔で言うものだから、私は怒りのままに、派手な音を立てて立ち上がった。それでも彼は笑っている。ムカつく。優しくすんな、ばか。
「あんた、また新しい彼女できたんでしょ。元カノに優しくしてるとこ見られたら、修羅場になるじゃん。そういうの面倒なんだけど」
「あー……」
夏野はすこし考えるように、教室の眩しい照明を見上げて、目を細める。
「大丈夫。昨日別れたから」
はあ? と言おうと思って夏野を見た私は、なにも言えずに口をぎゅっと結んだ。
――ああ、いやだな、その顔。
私の嫌いな、夏野の表情だ。やめてよ、それ。
「……帰る」
夏野を置き去りに大股で職員室に向かい、課題が終わったことを伝えれば、先生は私の並々ならぬ負のオーラにぎょっとして、「お、おう、おつかれ」と見送ってきた。ちょっとだけ反省。ごめん、先生。
廊下で振り返る。しんとした廊下に、夏野の姿はない。夏野は職員室が嫌いらしい。大人のいる場所は息がつまるからいやだとか、子どもみたいなことを言っていた。
ふっと、息をつく。夏野がいないことの安堵と、すこしの寂しさ……のようなものがないまぜになった、重い息。「あーあ」とこぼして、鞄を抱え直す。どうして、私がこんなに悩まなきゃいけないんだろう。
好きじゃない。
夏野のことなんか、好きじゃない。
その言葉が、心臓のところでつっかえる。モヤモヤする。身体の機能が全部不具合を起こしそうな気までする。だから多分、その言葉は本心じゃない。それはわかっているけど、認めたくない。
でも、多分――。
好きか嫌いかで言えば、私は今でも、夏野が好きなのだと思う。ほんと最悪だ。
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