1人が本棚に入れています
本棚に追加
清子のお願い
「正彦さんありがとうございました。」
清子と正彦と応接間で談笑したお千恵は帰り最寄り駅まで送ってもらった。
「お姉様それではまた明日。」
「ええまた明日。ごきげんよう。」
お千恵の姿が見えなくなると正彦は再び車を発車させる。
「清子さん、あの方大きな籠持ってたが何に使うんだ?」
正彦が言ってるのはお千恵が持って野菜売りに使ってる籠だ。
「あれは今度演劇発表で使う小道具ですの。専科と合同で校内で行うんです。」
お千恵とは女学校の演劇発表会で出会ったということにしているのだ。
その頃お千恵は電車で最寄り駅まで着くと家路に向かって歩き出す。
途中物置小屋へと立ち寄った。ここは普段はあまり使われておらず顔を出す者もいない。
お千恵は扉を閉めワンピースから作務衣とモンペに着替える。ワンピースは籠の下に入れその上に野菜を乗せる。
そして清子から渡された紙を取り出す。
そこには最寄り駅からお千恵の家までの地図、お千恵の家族構成まで書かれていた。
「お千恵お姉様の長屋ってこの辺りね。それにしても良かったわ。お姉様がお願い聞き入れてくださって。」
時を遡ること数時間前清子とお千恵がドレスに着替えているときだった。
「お姉様。お願いがあります。」
「お願い?」
「1週間わたくしと入れ替わってもらえませんか?」
「ちょっと何言ってるのよ?!」
お千恵には分けが分からなかった。華族のお嬢様である清子が貧しい物売りである自分と入れ替わりたいなんてなぜそう思ったのか?
「わたくし実は女学校の卒業を待たずに結婚することになったのです。その前に妹と会ってお別れを言いたいのです。」
妹は清子の2つ下の15才。彼女も結婚が決まり女学校を中退した。
「きっと嫁げば二度と会えなくなってしまうわ。だからお願い協力して。」
「分かった。協力する。」
お千恵はせっかくできた妹のためにでもあった。だけどドレスや広いお部屋、といった華族の暮らしにも魅力を感じていたのだ。
「ありがとうお姉様。」
清子は地図を頼りに長屋へとたどり着いた。
「只今戻りました。」
清子は長屋の戸を開ける。
「お帰り、お姉ちゃん」
「お帰り、ご飯できてるよ。」
家の中から大勢の家族が迎えてくれる。家の中には囲炉裏があり家族皆で囲んで夕食にしている。
「姉ちゃん、早く」
弟らしき少年が清子の手を引き囲炉裏まで連れていく。皆自分と同じような格好をしているが1人だけ軍服の青年がいる。
「お千恵」
青年がお千恵の名前を呼ぶ。出征した兄だ。きっと任務を終え戻ってきたのだろう。
「お兄様、お帰りなさいませ。」
「おい、お兄様って何だよ?家族なんだからかしこまるなって。」
(いけないわ。)
今の自分は華族令嬢じゃない。下町の野菜売りの娘なのだ。
「ちょっとふざけてみただけだよ。お兄ちゃん。」
家族中に笑いが起きる。
こんなに大勢で笑いながら食卓を囲んだのは何年振りだろうか?暮らしは貧しいが暖かい。
お千恵は清子にないものを持っていた。
最初のコメントを投稿しよう!