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嫌いな奴狩り
翌日のオフィスは平穏な空気が流れていた。
昨日のことなど夢であったかのようにいつも通りの日常が送られていた。
田嶋さんの席を除いて。
まだ出社しない彼女は無断欠勤の扱いを受けていた。
まだ、誰も、田嶋さんが三代千草によって喰い殺されたことを俺を除き知らない。
「……」
なに食わぬ顔でキーボードを叩いている千草を見て、俺は昨日交わした会話を思い出す。
『卯槌さんて冗談言えたんですね』
俺の提案に千草は笑った。
『この場で冗談なんか言うかよ』
『提供? 私の食いぶちを? 職場でも随一嫌われ者の貴方が、どうやって、私の食卓に並ぶよう、獲物を誘き寄せるんですか』
『誘き寄せるのは俺じゃない。三代千草、あんた自身だ』
『はあ……私?』
首を傾げる彼女は訝しげな視線をこちらに向ける。
俺は唇の端を吊り上げ、言う。
『せっかくいい面してんだ。あんたは自分の持つ武器を理解した方がいい』
『武器……ああ、見た目が良い奴は色仕掛けして獲物を引っ掻けろと?』
『耳障りな言い方だな。俺は己の持つものは有効活用しろっつってんだ。戦略だ。あんたは、こそこそ隠れて獲物を狙うより、極上の餌垂らして一気にリール引く方が合ってる』
彼女の持つ武器は持ってない俺だからこそ使い道がわかるのかもしれない。
『まずは鹿島さんだな。自分に好意を向ける人間ってのは扱いやすい』
「驚きました。まさか、こんなにうまくいくなんて」
月夜の下、血のついた口元を拭い、後から駆けつけた俺に向け、振り抜き様に千草は告げた。
「ちょっと気のある素振りを見せたら向こうから人気のない場所へ誘ってきました」
「綺麗に跡形なく食えよな」
千草の目の前には無惨に食い千切られた小太りの男の死体があった。
つい数刻まで彼女に下劣な視線を送っていた人物は見事彼女の供物になった。
彼は殺されたわけじゃない。鬼の餌になっただけ。
「これ着ておけ」
俺は千草に羽織っていた上着をかけてやる。薄手だが、着てないよりはマシだろう。
彼女は血塗れだった。
上着は小柄な彼女をすっぽり覆い隠す。
「彼シャツというやつですか」
「んな甘いもんじゃねぇよ。それよかお前はもっと綺麗に食えるようになれ。毎回上着洗うのはごめんだ」
「毎回」
「どうだ、塩梅は分かっただろ。いつ来るか分からん獲物の機会を伺うより、自分から誘き寄せてかっ食らう方が合理的だってこと」
「ついでに貴方の嫌いな人間が私によって食われれば尚好都合と」
「ウィンウィンの関係だ」
「……いいでしょう。貴方の案は面白そうです。その言葉でいうと、次の食事も用意してあるんでしょうね」
「安心しろ。俺は嫌いな奴が多いからな」
「食糧が尽きたそのときは、貴方がその番になってもらいます」
夏の夜の風が吹く。
生温い風に鉄の匂いがのせられる。
身体に巻きついたこの香りは、たぶん、一生忘れない。
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