最終日

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 腐れ縁。一般的に僕たちの関係はそう呼ぶのだろうか。  未來と出逢ったのは9年前、小学3年の3学期最後の日だった。3月15日、僕の誕生日だったから日付をしっかりと憶えている。  すべてが偶然だった。出逢う1か月くらい前に偶然未來が転校してきて、あの日偶然僕の家の前で佇んでいて、僕が偶然家に帰ってきて。  今の未來からは到底考えられないほど、絶望という服を着て歩いているような女の子だった。  転校してきてから、ほとんど誰とも打ち解けていないことは知っていた。だからというわけではないが、なんとなく話かけた。僕の家だとか、愛犬のチョビだとか、そんな感じで。  次の日から春休みで学校は休み。新学年を迎えた登校初日、朝8時に家を出るとそこに未來は立っていた。 「おはよう」  そこから僕たちのプロローグ付きの9年間は始まった。  登校する時間、下校する時間、休み時間に昼休み。こと学校と名の付く生活上のすべてにおいて、どちらからともなく僕たちは共に時間を過ごし合った。  初めは無表情の女の子だった。反応も薄く、ほとんど僕がしゃべっていた(僕にしてはという意味)。次第に心を開いてきたのか、笑顔を見せるようになって気付けばいまのこの有様だから言うことはない。 「お兄ちゃんみたいだね」  それは僕が『大人びている』なのか、『老けている』なのか定かではないが、嬉しそうで悲しそうな、非対称の表情を浮かべていたことをよく憶えている。  男と女。この究極の二極が共に時間を過ごしているとなると、学校の――それも小学校なんかでははっきり言って格好の餌食だった。やれ恋人同士だの夫婦だの、中には宇宙人なんてわけのわからないことを言うやつもいた。しかし肝心の僕たちはそんなことをまったく意に介さずに一緒にいた。  当然のことだ、僕たちにとってこれほどくだらない話で、意味のないものはない。僕たちの間に、性別という概念は無用なのだから。  別にバイセクシュアルとかトランスジェンダーとか、そういう話じゃない。人間として、魂レベルで繋がっていたんだ、と思う。  だが性格は不思議と正反対だ。僕が基本的に物静かで客観的、未來は明るくて天真爛漫。凹凸、磁石のN極とS極、太陽と月(これはちょっと違うか)。関係性を例えるならこんなところだろうか。  なにも示し合わせたわけではない。生まれ持った性質、とでも言えばしっくり来る。
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