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マスターの高校生の娘さんが私のファンで、そのセピア調なカフェに、私の原色が目立っていた。
娘さんに会ったことはなく、マスターも私のことを気付いていなかった。
兄は私が落ち込んだりしていると、映画に誘ってくれた。
待ち合わせはいつも、兄が一年ほど前に見つけたこの店で、私は冷や冷やしながら、兄とひと時を過ごすのだった。
私は兄と出かけることがうれしくて仕方なかった。
―― 兄は気付いていなかった。
「マスター、シナモンティーにちょっとレモン、お願いできますか?レモンはおまけぐらいの大きさでいいです」
マスターは笑みでうなづいた。
―― 兄は知らない。
マスターがオーダーを持ってきて、はいどうぞといたずらに微笑んで、テーブルの兄の前に、トンッと置いた。
サイコロ状に切られたレモンがティーカップの縁で不安定に揺れていた
兄はマスターとの掛け合いを楽しむかのように、
「またあ、マスター、ほんとにやること子供なんだから」
へへっ!としているマスターを見た後に
「なっ」と、私に視線を投げる。
ほら見てみなというふうに、私の方に渡そうとしたカップからレモンが落ちた。
床に転がった。
互いにレモンを拾おうと、同時にテーブルの下を覗き込んで、逆さ顔の横から二人とも手を伸ばした。
すっと兄の頬が目の前にきた。
私はキスをした。
さかさまのキスだった。
―― 兄は私の想いを知らなかった。
はっとした兄の表情が見てとれたが、一瞬に兄は平静を装い
「そっちの方が近いから、とれるか?」
「うん、とれる」
レモンの果汁がひとさし指のささくれあとにしみた。
なぜかレモンの匂いが新鮮だった。
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