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三
東の空が、明るくなってきた。
みんなで、大きなクワガタたちがいる木にむかって、飛び立った。
ふらふらしながら、ゲンさんも飛んでいた。
「僕、ゲンさんが飛ぶところ、はじめて見たよ」
「昔は、もっとうまく飛べたんじゃがな。それにしても、ブンタ。おまえは、飛ぶのが得意のようじゃの。それは、立派な武器になるぞ」
ゲンさんにほめられて、ブンタは嬉しかった。
大きなクワガタたちがいる木が見えてきた。さっきの三匹は、まだ樹液を吸っているようだ。
「よし、一気に突っこむぞ。やつらの仲間が来る前に、あの三匹を倒すのじゃ」
「おう」
みんなが同時に応え、一気に突っこんだ。先頭はブンタだ。いちばん近いところにいるクワガタに、頭からぶつかった。
「なんだ、おまえら」
不意をついたところに、カブさんがぶつかり、一匹を撥ね飛ばした。ジンさんとゴウさんも、一匹を木から落とした。
「くそっ」
残った一匹が、ブンタにむかってきた。カブさんがブンタの前に立ち、頭を低く下げ、大きなクワガタを角で撥ねあげた。
「ありがとう、カブさん」
「油断するなよ。これで終わりじゃないんだ」
最初に木から落としたクワガタが、飛んでいくのが見えた。きっと、仲間を呼びに行くのだろう。
「下から来るぞ。気をつけろ」
ゲンさんが叫んだ。
下を見ると、落ちた二匹が、木に登ろうとしていた。ブンタは飛び、一匹の横からぶつかり、地面に落とした。むきを変え、もう一匹にぶつかる。落とした。カナブンだって、闘える。ブンタははじめて、自分に自信を持てたような気がした。
「ブンタ、後ろだ」
カブさんが叫んだ。
ふりむくと、すぐそばに、大きなクワガタが来ていた。とっさにブンタは飛び立ち、ギリギリで大あごをかわすと、木の上に戻った。
「無茶はするなよ。あの大あごに挟まれたら、おまえの体ではひとたまりもないからな」
「はい、カブさん」
「やつらの仲間が来たぞっ」
ゴウさんが叫んだ。全部で、八匹いる。
「五対十か。面白くなってきやがった」
「強がりはよせ、ジン」
「おまえの方こそ、簡単にやられるなよ、カブ」
八匹の大きなクワガタが、四匹ずつ上と下に分かれ、木に取りついた。
「挟み撃ちにするつもりか。むこうも、やりおるの。よし、カブはわしと組んで下じゃ。ジンとゴウは、上に当たれ。ブンタ、おまえはとにかく飛び回って、やつらを混乱させるのじゃ」
上と下で、二匹が四匹を相手にするかたちになった。大きなクワガタたちの攻撃を邪魔するため、ブンタは飛び回った。
「ちくしょう」
叫びながら、ゴウさんが木から落ちた。地面にいた二匹が、ゴウさんに襲いかかった。ジンさんも、一匹を挟んで投げ飛ばしたが、別のクワガタに足を挟まれ、さらにもう一匹に体を挟まれてしまった。
空中からブンタがぶつかったが、大きいクワガタは、びくともしなかった。
「俺に構うな」
「でも、ジンさん」
「いいから、はやく逃げろ」
気がつくと、大あごが目の前にあった。飛んだと同時に挟まれた。右の前翅と足が一本ちぎれ、空中でバランスを崩したブンタは、枝にひっかかった。
「大丈夫か、ブンタ」
「はい、なんとか飛べます」
傷は、とても痛かった。でも、カナコはもっと痛い思いをしている。ここで、負けるわけにはいかない。ブンタは、枝から飛び立った。
ジンさんはなんとか大あごを振りほどいたが、足が何本かちぎれ、体からも血が流れていた。ふらついて、そのまま木から落ちてしまった。
下を見ると、三匹の大きなクワガタがもがいていた。起きあがることはできないようだ。ゴウさんは、体じゅう傷だらけで、動かなくなっていた。
カブさんもゲンさんも、血を流しながら闘っている。ブンタは自分を奮い立たせた。
二匹を攻撃するクワガタたちの上を飛び回り、隙を見ては横からぶつかった。しかし、大あごで叩かれ、地面に落ちてしまった。
すぐそばに、力尽きたゴウさんが倒れていた。それを見て、ブンタは全身がふるえて動けなくなってしまった。
少しして、カブさんも木から落ちた。木の上に残っているのは、ゲンさんだけになった。上から三匹、下から二匹が、じりじりとゲンさんに迫っていく。
「しかと見ておけ、ブンタ。わしの、最後の闘いを」
五匹が、いっせいにゲンさんに襲いかかった。ゲンさんは一匹を大あごで挟み、頭を振って遠くへ投げ飛ばした。しかし、すぐに残りの四匹が襲いかかり、ゲンさんの姿は隠れて見えなくなった。
闘うんだ。ゲンさんを、助けるんだ。自分に言い聞かせたが、やはり動けなかった。
どさりと音をたて、ゲンさんが木から落ちた。
「ゲンさんっ」
呼びかけたが、ゲンさんから返事はなかった。
カブさんとジンさんは、地上で二匹を相手に闘っていた。撥ね飛ばされた。体じゅう傷だらけだが、それでも立ちあがり、角と大あごを構えた。
「これ以上は無理だ、ブンタ。俺たちが、こいつらを食い止めているうちに、逃げろ」
「カブの言うとおりだ。行け、ブンタ」
「カブさん。ジンさん」
体の奥で、なにかがかっと燃えた。
気がつくと、ブンタは地面すれすれを飛び、二匹のうちの一匹に体当たりをしていた。
「僕も、最後まで闘います」
「おまえは、ほんとうにバカなやつだな、ブンタ。でも、それでこそ、男だ」
言って、カブさんが笑った。ジンさんも、笑っている。つられて、ブンタも笑った。
四匹の大きなクワガタが、木から降りてきた。
「いくぞ、ジン、ブンタ」
「言われなくても、いくぜ」
前から二匹、後ろから四匹が迫ってきた。負けるかもしれない。それでもいい。最後まで、闘うだけだ。
ブンタが飛び立とうとしたその時、遠くの方で、たくさんの翅の音が聞こえた。音は、しだいにこちらへ近づいてくる。
全員が動きを止め、音のする方を見た。
数えきれないほどの、オオスズメバチの群れだ。先頭には、ミヤマクワガタのヤマさんと、コクワガタのロクさんがいる。
「あいつら、オオスズメバチの連中に、応援を頼んだのか」
大きなクワガタたちの動きが止まったところへ、オオスズメバチの群れがいっせいに襲いかかった。
決着は、すぐについた。
大きなクワガタたちが、降参したのだ。十匹のうち、残ったのは、三匹だった。
「このクヌギ林は、俺たちのものだ。わかったら、とっとと出て行け」
三匹の前で、カブさんが言った。
「わかったよ。俺たちの負けだ。しかし、俺たちだって、見知らぬ土地で生きる場所が必要だったんだ。それだけは、わかってくれ」
大きなクワガタたちが、重い足どりで歩きはじめた。
ふと、ブンタの胸に、カナコの言葉が聞こえてきた。みんなが、喧嘩しないで仲良く暮らせればいいのに。
気づけば、ブンタの心からは、大きなクワガタたちへの怒りは消えていた。
「待ってください。これからは、みんなで樹液を分け合いましょう」
「なにを言っている。先に攻撃してきたのは、こいつらだぞ。たくさんの仲間が、こいつらにやられたんだ。カナコだって」
「確かに、カブさんの言うとおりです。でも、争ってばかりでは、なにも変わりません。強い虫だけが生き残る。それじゃ、悲しすぎます」
自分でも、なにを言っているのかよくわからない。しかし、これが本心だ、という気もする。
「よくぞ言った、ブンタ」
ゲンさんの声だ。見ると、ゲンさんがよろよろと起きあがっていた。
ブンタは飛び、ゲンさんのそばまで行った。
「大丈夫ですか、ゲンさん」
「おまえは、やさしいのう、ブンタ。わしも長く生きたが、あんなことを言う虫は、おまえがはじめてじゃ」
「カナコが、そう言ってたんです」
「そうか。ブンタもカナコも、小さな体の中に、やさしい心と、勇気を持っておる。聞いたか、おまえたち。これからは、ブンタが言ったとおり、争うことなく樹液を分け合うのじゃ。協力しながら、生きるのじゃ。よいな」
言って、ゲンさんはがくりと前足を折った。
「ゲンさんっ」
「ようやくわしは、ほんとうの強さというものを知った気がするぞ。ありがとう、ブンタ」
前足を踏ん張り、ゲンさんが体を起こした。そして、ほほえみを浮かべたまま、動かなくなった。
ブンタは、ゲンさんの大きな体を見あげた。
ほかの虫たちもなにも言わず、しばらくゲンさんを見つめていた。
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