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「ちが、違います、俺は何も」
慌てて否定する青年に、トツキは正面から体当たりした、ように見えた。僕の意識はトツキの背中側にいたから、その手元は見えなかった。数秒後、膝を折り、玄関の外に倒れた青年の腹には、包丁が刺さっていた。
「ゆるさない」
初めて聞く、トツキのとんでもなく低い声。
はーーーーーーーー!?
何しちゃってんのお前マジ最悪だよ誤解で人を刺すって!! ばかばかばか!! 早とちりにもほどがあるだろうが!!
トツキはゆっくり僕の死体のほうに向き直る。
虚ろな目をして膝をつき、手を伸ばした。
「アキラ……」
僕の死体の髪を優しく撫でる。
「お前のこと……好きだったょ……」
電池が切れるかのように言葉は尻すぼみになり、トツキは僕の死体に寄り添うように倒れて気絶した。
無理もない。友人の死体を発見するという衝撃、全力の救命処置、恐らく初めての殺人(傷害罪で済めばいいが、青年の様子を見ると望み薄だ)。心身ともにキャパオーバーだろう。
漫画なら、淡い光とほわほわ丸エフェクトが付くような美しい気の失い方だった。そしてこのあどけないトツキの顔よ。こいつ寝顔は可愛いんだよな。
……じゃねーよ! トツキ、お前マジで大変なことをしでかしやがって。仇をとったつもりで満足するなよ、ばか! 青年が不憫でならないよ。
そういや、青年はなぜここへ? 彼は『大丈夫だったんですか』と言った。ヤバいことが起きたと知っていて、様子を見に来たような。犯人の知り合いか?
タッタッタッタッ。アパートの廊下を走る、体重の軽そうな足音が近づいてきた。また誰か来たようだ。
「ケイたん!」
若い小柄の女の子がポニーテールを揺らし、倒れる青年に駆け寄った。
「嘘……いやぁぁ!」
高校生か大学生くらいの彼女は膝から崩れ落ち、園児のように泣きじゃくった。
こもった着信音が鳴る。彼女はヒックヒックとしゃくり上げながら、涙を拭いてショートパンツのポケットに手を突っ込んだ。スマホを取り出して耳にあてる。
「もしもし……今、見つけた……こ……殺されてる……」
やはりダメだったか。僕の友人の勘違いで、本当に申し訳ない。
「場所は、ケイたんのスマホのGPSで……でも遅かった……違う、妄想じゃないよ! あああ……私にはケイたんしかいないのに」
この子は……青年のヤンデレ彼女か?
「ケイたんのお姉さんのせいよ……お姉さんの彼女、知らない男に襲われたのが原因で自殺しちゃったんだけど、」
えぇ……気の毒だな。
「さっき、お姉さんからケイたんに、男の自宅がわかったから復讐しに行くって連絡があって」
うん?
ここのことじゃないよね? そのお姉さん、僕を刺した女じゃないよね?
「なんで知ってるって、ケイたんのスマホの内容は私にも見えるようにしてたから。違うよ、監視アプリ入れてるの。で、すぐ終わらせるから迎えに来いって、お姉さんがケイたんに地図を」
青年がここに来たのは女が呼んだから? え?
犯人と勘違いしてトツキが青年を刺す前に、僕も勘違いで殺されてない?
僕は絶対、神に誓って、誰かを襲ったことはない。無宗教だが。
「えー、神様信じてないのに神に誓ったの?」
不意にイケオジボイスが聞こえた。
は?
ぎょっとして視点を動かすと、室内の方角、僕の意識のすぐそばにシュッとしたおじさんが浮いていた。ロダンの考える人の体勢で。これぞ本物の空気椅子。細身で黒髪も髭も長く、頭部はまるでキリスト像だが、衣服は和風だ。
えっ誰、何? 怖っ。
「どうも、神です」
軽く片手を上げて言う。
神?
浮いてるし僕が見えるようだし、この世のものでないのは確かだが。
「あの包丁、呪われてんのよ」
自称神が指さす。
女の子はまだ通話中だ。
「待って……そういえばここに来る途中、血しぶき浴びたような服でフラフラ歩いてる男を見た……あいつがケイたんを……?」
鬼の形相になった女の子は、青年の腹から包丁を抜き取った。
「ゆるさない……」
待て待て待て。なぜみんな思い込みで取り返しのつかないことをしちゃうんだ。
「だから、呪われてんのよ、あの包丁」
神が言う。
「あの包丁で何人も死んでる。みーんな人違いで殺されるか、勘違いで自殺。スプラッシュ柄の服を着た酔っ払いが次の被害者だな。しかし今日は一気に複数人逝くね」
女の子は包丁を握って走り去った。
「まぁ人間てのは短絡的なのが多くてね。呪いなんかなくても、自分が間違ってるとは思いもしないんだよね。ちょっと冷静に確認すればいいものを、それができない。包丁の呪いは、人間の感情をほんのちょっと増幅させてるだけさ。それだけでまともな判断ができなくなる」
神様なら、止められないんですか。どうにかしてくださいよ。
「なんでもできるからって、なんでもするわけじゃないのよ」
なんだよそれ!
「ちなみに、君はそこの彼と間違われた」
神はトツキを指さした。
え……トツキが、女性を襲った?
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