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間章 10の区切り
「いったん全員回ったし、ちょっと休憩入れようか」
緑谷先輩の一言で、場が一気に騒がしくなった。トイレに立つ人、それぞれで話す人、それぞれの立てる音でだいぶ場が緩和される。
「君彦」
幼なじみに肩を叩かれ、僕は閉じかけていた目を向けた。
眠気を堪えていたことを察した真悟が、にかりと笑う。
「コーヒーでも買いにいかね?」
「……行く」
立ち上がってから、ぽそりと付け加えた。
「コーヒーは買わないけど」
「ありゃ、まだマックスコーヒーしか飲めないの?」
からかう真悟の頭をはたき、僕ら二人は自販機のある、一階の渡り廊下へと向かおうとした。
その僕らを、呼び止める声があった。
「あの、私も一緒に行ってもいいですか?」
遠慮がちに声をかけてきたのは、一年の御桜だった。ちらりと真悟を見れば、いいよ、と明るく返答する。
彼はほっとしたように僕らの後をついてきた。
自販機でそれぞれの飲み物を買い、一息つく。
「レッドブルはひどいな。高校生にして、ブラック企業の社畜になる未来が見える」
「うるさいな。これが一番目が冴えるんだよ。お前こそ、なんでおしるこなんだ。ブラックコーヒーじゃなかったのか」
「君彦君とちがって、オレはこんな時間に眠くなったりしないんですぅ。まだ序の口なんですぅ」
「僕だって、この時間だから眠くなった訳じゃないぞ。ただ暗い中にいると……」
「あの」
下らないことを言いあっている僕らに気を遣いつつも、御桜が遠慮がちに口を開く。
「割り込んですみません。吾妻先輩に聞きたいことあって」
「うん?」
「ええと、あの、霧谷さんの、あの暴走っぷり、どう思いますか?」
なるほど、と納得がいった。
御桜はかなりマイペースである。休憩時に他人と、しかも御桜にとってはよく知らない先輩にあたるであろう真悟と一緒の時に同行したがるのは意外だったが、どうも話をしたかったらしい。
後輩のことなので、僕も慎重に言葉を選んだ。
「……らしくない、と思うけど」
「え、あの子、普段からキツイ性格なんじゃないのか?」
「いや全然」
「いいえ、全く違いますね」
普段の霧谷を知らない真悟の発言に、僕と御桜の否定が重なった。
「霧谷さんは、人を煽るようなことは言わないよ」
「そうですね。無邪気な人ですが、そんなに無神経な人ではないです」
そうなんだ、という真悟の声が半信半疑なのは仕方ないと思う。普段を知っている僕でも、何があったのか、と思うレベルだ。
「堂橋くんだっけ? 最初はあの子の事、嫌ってるのかと思ったけど、僕にも突っかかってきたからなぁ」
「そもそも堂橋くんのことは、知らないはずですよ。同じ一年とはいえ、クラスも部活も違いますから」
桜御桜は悩まし気に、細い銀縁の丸眼鏡をいじっている。
「私は体育で一緒になったりしますけど。霧谷さんは女子だから、そういうのもないでしょ」
「ああ、そうなんだ。御桜くんは堂橋くん知ってたんだね」
「うーん、彼、目立ちますしね。運動得意で友達多い、典型的なリア充タイプですし。まぁ、相手は私のことなんて覚えてなかったようですが」
そう言い、御桜はいささか卑屈な笑みを浮かべた。何といっていいか分からず、一瞬言葉に詰まったのを横の真悟が笑い飛ばした。
「いやぁ、体育が一緒になったくらいじゃ、覚えてないのが普通だって。君彦なんか、同じクラスの奴にも忘れられている時がある」
「そんなことないぞ。相澤くんと一緒にいる人、って程度には覚えられてる」
「え?」
「先輩、それはちょっと……」
軽く返したつもりだったが、御桜と、なぜか真悟本人にまで、哀れみの目を向けられた。なぜだ。
「まぁ、とにかく、だ」
僕は不安そうな御桜に、出来るだけ軽い調子で笑って見せた。
「霧谷さんも色々あるんじゃないかな。部長がいるとはいえ、いちおう自分が主催だから気も張るのかもしれない」
「それだけ、なんでしょうか……」
意味ありげに呟くと、御桜は口をつぐんでしまった。
しばらく待って、真悟が気まずさを吹き飛ばすような、軽い調子で言った。
「そろそろ戻ろっか」
「ああ、そうだな」
僕は近くのくずかごに缶を捨て、二人に歩調を合わせながら会場へと戻ろうとした。
――その瞬間。
声を聞いた気がして、思わず足を止めた。どうした、という真悟の声に我に返ると、あわてて僕は二人の後を追いかける。
気のせいだ。そう自分を誤魔化し、不吉な予感を必死に追い払う。
声はこう言っていた。
”モウ、テオクレ”
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