第一話 文芸部部長は今日の催しの曰くを語る

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第一話 文芸部部長は今日の催しの曰くを語る

さて、まずはぼくから、という訳か。 はじめて会う人も多いだろうから、自己紹介から始めるよ。 ぼくは三年二組の緑谷、緑谷孝介だ。 いちおう、この文芸部の部長をしている……あんまり真面目にやってないけどね。 まぁ、その辺は文芸部の内部事情だから置いておこうか。 ひとまず、はじめはこの会の主旨を改めて紹介させてもらって、一話目にさせてもらおうと思う。 え? そんなの怪談じゃないって? まさかぁ。怪談じゃなかったら、わざわざ話さないよ。 そうさ、お察しの通り。 この百物語の会の成り立ちと、ずっと止められていた理由だよ。 そもそも文芸部のメンバーだって、不思議に思ってるんじゃないかな。現に、吾妻は直接ぼくに訊いてきたしね。 「怪奇ものを書かない」のがこの文芸部のルールだったはず。それを破ろうという、そこまでは分かる。 だけど、だからといって、なぜこの合宿で百物語までしないといけないのか、と。 そもそもね、文芸部でタブーとされてきた、「怪奇もの」というのは、この合宿で行われる百物語のレポート……怪奇特集、という企画のことを指している。 夏合宿で百物語を開催し、部員の一人がレポートにまとめる。さらに、ここで語られた怪談の中から、怖いものを抜粋して載せる。 この文芸部における怪奇ものってのは、そういう記事のことだった。 なんでそんなことをしていたのかって? そりゃ、普通でいったら文芸部なんて、人気がなくって大変だからだよ。 文芸部なんて、漫研より人手に困る。とにかく部員が集まらないからね。 部員が少なくて困るのは、部誌のページ数だ。 ぼくみたいに数合わせで部員になった生徒なんてまだマシな方。一時期はなんか格好いいから、という理由だけで入って、小説や詩を書くはおろか読んだこともない、なんて不届きな部員が続出したことがあってね。まともに小説なり詩なりを書く、なんてのはもちろんのこと、今みたいに、コラムやレポ、評論なんかでページを稼いでくれる人員もいなかった。 だから一時期の文芸部では、そういう会が必要だったのさ。 書けない連中に書かせるための、材料だったんだよ。怪談の会を録音しておいて、書けない部員に文字起こしさせる。その程度だったら誰でもできるし、それなりにページ数も稼げる。 ……それに、手間の割には人気のある特集だったしね。 この文芸部の部誌は季刊で、年に四回発行しているけれど、この怪奇特集が組まれる夏の号だけは、普段の部数の二倍にしたって言われている。それくらい、人気があったんだろうね。 だけど、今はその特集はない。知っての通り、この掟が出来たからだ。 なぜ、怪奇もの、すなわちこの百物語の会が開かれなくなったのか。 代々この文芸部の部長に申し送られてきた、その事情というのはね…… ある年の合宿で、数人の生徒が姿を消した。 ここの部員だけでなく、飛び入り参加した生徒も含まれていたらしい。少なくとも、彼らに共通項はない。学年やクラスも性別すらばらばらで、話した内容も大したものではなかった。 ただ彼らは全員姿を消し、合宿が終わってから数日後、この学校の端の方にある、旧部室棟の一室で発見された。 残念ながら、彼らは無事ではなかった。当時は大騒ぎになったというよ。なんていったって彼らは、その年の合宿の中で、一番怖いと評判だった、ある怪談とまったく同じような形で死んでいたそうだからね。 その怪談の中身? 残念ながら、そこまでは分からない。 ただぼくも割と疑り深い人間なんでね、過去の新聞をさかのぼって、この高校であった事件を探してみたことはあるよ。 実はそこで一件、それっぽい事件を見つけることが出来たんだ。 事件の概要を話して、この話を締めとさせてもらう。 死んだ生徒たちの身体からはね、目がなくなっていたんだ。 旧部室棟の、今は廃部になってしまった写真部の部室で、さ。 彼らは何に呼ばれたのだろうね――
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