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オーバーフロー
───春は来ない。
「ごめんなさい。もう看板なの。良かったらまた改めて……山登ちゃん?」
「アンリさ、ん。俺……俺…」
「どうしたの、こんな時間に。ちょ……その顔なあに? 喧嘩でもしたの!? こっちいらっしゃい」
灯りを最小限に落とした店の中、動かない俺に、アンリママの方からパタパタと駆け寄ってきた。
空気が流れて、アルコールの混ざったアンリママの優しい香りが体に染みる。
とたんに、張り詰めてた何かが音を立てて切れた。
「俺、もう、どうしたらいいか、わかんねぇ」
涙が、止められない。
苛立ちとか。
ままならない感情とか。
そんなもんぶつけられても、アンリママだって困るだろうってわかってるけど、止められなかった。
「俺……別にセックスなんて、多少のアレコレ、クリアしてるなら誰とでもできる。 だから…取り立てて欲求不満てのも、ないから…だから…心さえ手に入ればいいって思ってた。
俺が、特別だってんなら…構わないって…、けど、あんな…あんな特別は、キツすぎる。俺はあいつの、あ…いつの、全部が欲しいのに、なのに、あいつは、俺には、くれ…なく、て…、あんな…あんな…」
柔らかく優しい腕に、フワリと、抱き寄せられた。
ポンポンと、あやすように背中をたたかれるのに体を折り曲げて縋りつく。
「……嫌だ。もう、疲れた。苦しい。……捨てたい…んだ。恋しい気持ちなんて、いらない。……ねえ、失恋ていつできんの?どうやったら、俺は解放されんの?」
ポタポタと落ちる涙が、顎で大きな雫石になった。
「よしよし。苦しいねぇ。いっぱい泣きな? いっぱいいっぱい泣いたら、出てった涙の分、また頑張れるから」
「無理。もう、オーバーフロー。隙間なんて、ない。どんだけ封印しても……漏れてくる…」
「そんなことないわよ。山登ちゃんが気づいてないだけで、頑張った分入れ物は大きくなってる」
「んな、俺自身がわかって……ないのに、なんでアンリさんにわかんだよ」
もう完全に子供の癇癪レベルだ。
けどアンリママは根気良い保母さんみたいに俺の頭を撫でてくれる。
「わかるよ。そういうのは、第三者の方が見えるもんなの。山登ちゃん、カッコいいよ?」
「カッコよく…なん、て、ない。ひとりで、バタバタやって……返り討ちに、あって…殴られて……」
「それでその顔?………カッコいいよ。好きな相手の為にカッコ悪くなれるのは、カッコいい」
「………耳障りのいい言葉は、本人のためにならない、てさ」
「いいのよ。頑張ってる子には」
「……適当だなぁ」
「ねえ、もう、言っちゃったら?」
眉を八の字にして微苦笑を浮かべるアンリママの言葉に、絆の顔がよぎる。
それは──
よりによって満面の笑顔だった。
「傷つけたくない……」
「そっか」
「けど、あいつが誰かのもんになるのは、耐えられない」
守りたい。
壊したい。
大きな波みたいに、2つの心が俺を覆い隠して、グチャグチャにする。
「誰かのものになる隙なんてあげないくらい、傍に居ればいいのよ。……時間は人の心を変えるわ。傍に居て、山登ちゃんの存在で、いっぱいにしちゃえ」
荒れまくった心。
アンリママが優しく髪を梳いてくれる心地よさに、波が少しづつ凪いでいくのが不思議だった。
「封印してる気持ちが吹き出しそうになったときは、ここに、吐き出しにおいで。隙間を作りにおいで」
「……うん……あり…がと…」
ぶちまけるだけのアホなガキの俺に、アンリママはただただ、優しくて。
ただただ、その温かさが、ありがたかった。
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