214人が本棚に入れています
本棚に追加
/216ページ
濃密な空気
「まだ起きてたんだ」
「んー。ギター、弾きたいなーとか思ってぇー」
シャワーから出たら、暗がりの中でスマホの光に照らされる絆の顔があった。
「ギターのアプリ。落とそうかなーとか。ま、でもいいや。これは別モンだわ」
そんな言葉とともに光が失われ、白い面が暗がりに沈んだ。
いきなり真っ暗になった部屋に手探りでベッドを探す。
「あー山登、電気つけていいよ」
探り当てたベッドに腰下ろしたら、意外に近くで絆の声が聞こえてちょっとドキッとした。
「や。いいわ。もう、このまま寝るし」
下手に電気つけたら、せっかくさっき見ずにやり過ごした風呂上がりの絆を見て、普段とは違う雰囲気に飲まれてしまうかもしれない。
なんつっても、ここしばらく忙しくて女の子と遊ぶ暇なかったからなあ。まずいだろ。
「なんかさ、あっこら辺の壁紙の模様が、蛾みたいに見えてさ。キモいから、電気消したんだ」
暗いから「あっこら辺」が視覚ではわからなかったけど、絆の声が示すほうは、さっき俺がキスしてる男女だって思った方だ。
「蛾かぁ……」
人によって、見える形が違うんだなぁ。
じゃ、なんだ?やっぱ俺の思考はエロに傾いてる、と?
「なあ山登ぉ」
「ん?」
「眠い?」
「ちょっと」
「うん。俺も、疲れてるから寝れると思ったんだけどさ、単独で寝てて枕替わるのって、なんかダメだな」
「ん?」
「ほら、外泊するときって、平均女の子と一緒だろ?だから糊がこんなビシビシにきいた状態のまま寝るってあんまないから、さ。変な感じするし」
いいたいとすることは、まあ、わかる。
エロホテルなんぞに泊まった際、ゆっくり睡眠って段まで進んだ時には、もうすでにシーツはグシャグシャだからだ。
「落ち着かなくて窓の外とか眺めてみたら、ヤモリだかイモリだか知らないけど、ベッタリくっついてるしさ。病むわぁ」
「うん」
「夜のライブとか、間違いなくやばいよな。絶対虫が半端ない。……山登ぉ」
「ん?」
「眠い?」
「……ん。ちょっと」
「先寝るなよな。怖いじゃねえか」
「はあ?」
憮然とした声で可愛いことをいう絆に、思わず半笑いになる。
「だって山登、おまえ、こんなとこ、フェスなかったら幽霊くらいしか泊まりにこないぞ?」
まあ、確かにそういう外観ではあったけども。
「なら電気つけようか? 俺別に明るくても寝れるし」
「いい。ヤモリだかイモリだか蛾だかが集まってくるからっ」
「窓の外だろ?」
「気分的にヤなんだよっ」
「けど、暗いと幽霊集まってくるかも」
「気色の悪いことを言うなっ!!」
「じゃあ、気晴らしに稲川某の動画でも流そうか? あれ? 俺電話どこやったっけ?」
「いらんわっ!」
「痛てっ」
バスンと、反射的に痛いとは言ったものの、さして強くはない衝撃が顔を直撃した。
絆が自分の枕を投げたんだとわかり、お返しに場所の見当をつけて投げ返したら、小さく「痛っ」って声が聞こえて、そのあとしばらくうめき声が続く。
「痛くねえだろよ」
「はあ? 痛いわっ! 枕の角が目ん玉こすったんだぞ!? あー、涙出てきた」
「まあ、しゃあないな。おまえが先にしかけてきたんだもんな」
「むかつくっ!」
まあ、そっからは暗闇の攻防。
お互い結構な力で枕を投げ合うんだけど、暗くて互いの位置とかがわかんないからベッドから枕が落ちると探すのがやっかいで、何度ベッドの木の部分で足腰を打ちつけたことか。
で、やっぱり暗いもんだから、2個ある枕の1個行方がわかんなくなって、1個の枕で戦うことになれば、得物を手にするために、相手のベッドまで乗り込んでく、なんてことになる。
「ちょ、俺の番っ! 山登フィジカル強いからずるいっ! ハンデよこせ! ちょ、一回譲って!」
「やだね。絆小賢しい真似するから無理っ」
「しないっ! ちょ、山登、タイムタイム」
「もう騙されない。覚悟しろよ」
無邪気な話だろ?
でも───。
まあ、そういうことにも、なるんだよ。
狙ってたわけじゃ、もちろん、ない。
ないけども、ヒートアップして相手が死守してる枕を直接奪おうとすると、だな。
こんなふうに……細っこい体を組み敷くみたいな……カッコに、さ。
そしたらすぐ下にある、シャワーの後な上、暴れて火照った体が、いい匂いを発してることなんかにも気づいてみたり、するんだよ。
「ギブギブっ! ちょ、山登っ! 重いっ! ギブってっ」
思考が、奪われる。
そこにある体に、声に、匂いに。
ああ……やばい。
本能だけになったら、俺は………。
「……山登?」
可愛く問うような、不安気な声が空気を揺らす。
さんざん遊んでる絆だから。
体が触れ合った二人の間に訪れる無言を、知らないわけが、ない。
だから。
体を離せ、俺。
暗闇が、俺を助けてくれてるうちに。
欲情に煽られた俺の目を、隠してくれてるうちに。
間違ってこのまま唇を落とす前に。
何もかもを、奪ってしまう、その前に。
「……ぁ…ァ…」
そして。
遠くから聞こえるような甘い声。
脳がスパークしたのは、声が聞こえる前だったのか、後だったのか、わけがわからなくなった。
最初のコメントを投稿しよう!