ハヤクシテ

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ハヤクシテ

「…あぁ…ァ…っん」  静まり返った暗い空間の中、耳を刺激したのはなんとも悩ましい艶声。 「……まじか」  フライングもフライングだ。  おれは何もしていない。   暗闇は時間の感覚をおかしくさせるらしくて、一瞬絆に不埒な行いをしてしまったかと錯覚したけど、そんなことはなく、明らかにアノ時のものとわかる喘ぎ声は隣の部屋からもたらされたものだった。  壁を通して小さいものではあるけど、抑える気のない嬌声。  おかげさまで強硬手段に出る前に冷静になれたわ。 「エロいな、おい」  俺の下で、絆が苦笑いに体を小さく揺らす。  ああ、きっと俺の無言の葛藤の時間は、聞き耳をたてていたってのに変換されたんだろうな。  ヘタしたら自分がヤられてたなんて、まあそんなことは露も思ってないんだろう。 「うん。声だけでも結構クるな」  快感にむせぶ女の声はいったん絆への俺の熱を下げてくれたものの、また別の意味で煽り始めた。 「まあ俺だって、こんなとこで女と寝てたら、ヤるわ」  そのセリフは、そこそこ俺には禁句だろ。  なんかまるで免罪符を渡されたみたいな気分になるじゃないか。 「……く……んん、んっ、はあああぁ…っ」  声はどんどんヒートアップ。 「おいおい。派手すぎだっての」  壁の向こう方から聞こえてくる啼き声に突っ込む絆。  そして突っ込めない俺はと言えば……。 「ちょ、俺、フロアの便所行ってくる」  だってそうだろうがよっ!!  好きな奴を組み敷いてる状況であんな声聞かされてみろっ!  溜まってなくたって勃起もんだ! 「なんで? そこの便所でやれよ」 「流す音で隣に水差しちゃいかんからな」  今ちょっとうまいこと言ったな、俺。  絆から身を離し、暗い部屋で足元を確認しながらベッドから降りたらヘッドレストのスタンドライトがついて、部屋の中がぼんやりとした明るさに浮かび上がった。 「ちょ、待て、俺も行く」  は!? 来るなよっ 「なんで?」 「小便」 「あえて今?」 「声でかいし。……ほらぁ、止めちゃった。水差したな。もうここでやれば?」 「知らんっ!」 「待って山登っ」  ついて来るなよ、もうっ!  ノーマルモードなら、服の裾掴んでついてくるなんてシチュエーションはたまらないけど、今は違う。 「あれ? 山登ウンコ?」  トイレに着いて個室に入る俺をニヤニヤ見送る絆。 「俺自身はウンコじゃないけど、ウンコすっから先帰っててっ」  まったく、なんて意地の悪い奴なんだろう!  無視だ。無視。どっちにしろ、このまま部屋には帰れない。  落ち着かないことこの上ないけど、まあ、絆とは同じ部屋でヤッたことも複数回あるし、うん、下半身に集中集中。  ジャージの前をずり下げ、元気溌剌な困ったヤツを取り出した、その時───。 『あはぁん…あぁ…そこ…気持ちいい…』 『ここがいいの?』 『ぅん…あっ…あああぁん…いいっ! いいのぉっ』 『ああ、すごく締めつけてくる…』 『ああぁぁん』  横の個室から聞こえてくる、機械を通した男女の睦言。 「コラッ! 絆っ! 何してんだよ」 「お、て、つ、だ、い」 「していらんわっ! 誰か来たらどうすんだっ」 「だって早く出してくれないと俺退屈だもん」  お前がシてくれたら三擦り半だっつの! 「寝ろっ! 黙って寝てろ!」 「あんなとこで一人で寝らんない。早くして」  あぅ…くそっ、可愛いじゃねえかっ!  こんなもん、隣で煽られたからってできる類のもんじゃないけど……煽られた。  エロ動画らしき音声の喘ぎ声に混じった絆の言葉。  ハヤクシテ。  あぁ…っ、もう!
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