溜息製造機

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溜息製造機

「山登さん、大丈夫ですか?」 「え?」  バイト先の夜の部の開店準備。  椅子に腰をおろして、一つのテーブルに集めた調味料入れの補充をしてたらそんなことを言われたもんだから、しょうゆとソースでも間違えたかと慌ててラベルを見比べた。  とりたててのミスもないように思って見上げたら、迪也が例の、子犬が笑ったらこんな感じだろうって顔してこっちを見ていた。 「ん?」 「さっきから魂まで出てきそうな溜息、ずっとついてるから」 「え? ああ、マジか?」  完全な無意識だったんだろう。  そんな実感は言われてもまったく心に当たるとこがなかったから。 「ごめん。空気悪いな」  近くで他人にずっと溜息つかれるとか、かなり嫌だ。  迪也は手にしたダスターをグッと握って、一瞬うつむかせた顔を再びあげる反動を利用したみたいに口を開いた。 「いいですっ! 全然っ!」 「こんなだから、幸せがどっかいっちゃうのかなぁ。はぁぁぁ……あ、これか。言ってる矢先だな」  いや、でもなぁ。どっか行くもなにも。俺が幸せ求めてる存在が俺の幸せを壊すんだもんなぁ。 「あの、えとっ! 溜息つくのは、体にいいらしいですよ! バランスとってるんだって。ストレスで浅くなった呼吸深くして、脳が不安を感じる回数を減らすって。だから、あとで出した分もっかい吸いこんだら、リラックスできて、いいって」 「ああ、そっか。深呼吸ってことか」  子犬みたいな高校生の口から思ってもない言葉が出てきたのに、胸をつかえさせる空気の塊が、肩すかしをくらったみたいに萎んでいった。 「そう! それですっ」 「はは。じゃあ、今日一日ガンガン溜息ついてみようかな。はは。店長がキレそう」 「あのっ! あのっ! 僕ぜんぜん子供だしっ! なんの力にもなれないけど、けど、婆ちゃんが、溜息は言葉にして吐き出さないと、溜息の親はいなくならないってっ! だから、その……僕にできることが、あればっ……余計なお世話だと、思うけ……ど」  赤い顔して、それこそダスターちぎれるんじゃないかってくらいの勢いで引っ張ってる迪也。  基本的には控えめな迪也は、きっとこれを言うのにかなりのエネルギーを必要としたんだろうと思う。  だって語尾とかもう聞こえないし。  でも言葉よりもなによりも、その迪也の優しさそのものに、なんか心ん中がふんわりした気がして、溜息の代わりに笑みが漏れた。 「ありがとな。迪也って、スプレーの柔軟剤みたいだな」 「へ?」  固まって俺を見る迪也が、前に見た初めて鏡見た子犬の動画を彷彿とさせて、また自然と笑みが湧く。 「ほら、いい匂いする、シュシュってするやつ。……ここらへん、ゴワゴワしてたのが、迪也のおかげで、マシになった」  俺が胸の辺りに拳をぶつけながらそういうと、迪也が照れくさそうにエヘヘと笑み崩れた。  その笑顔は驚くほど可愛くて、迪也がアイドルグループに所属してて写真集を出すなら、俺なら間違いなく今のを表紙にするだろう。 「あー、なんか癒されるわぁ。……ほんと可愛いよな。うちの子になんない?お手とか、んな芸できなくていいから」  俺の言葉に迪也は顔を真っ赤にして、すぐにプゥと膨れた。 「もうっ! 僕犬じゃないって言ってるのにっ」 「ははは。ほれ」  テーブルの上のダスターの端をつかみ、テーブルの上でうねらせたのに、迪也が「わん」と言って第二関節を折り曲げた手をその上に乗っけた。  いたずらに可愛いとは、まさにこのことだ。 「ははは。おまえほんと楽しいな」 「いや、だって山登さんがっ」  右手をのばし、たまらずふわふわのマシュマロみたいな頬を指でつまむ。 「わ。餅だった」  まさにつきたての餅。  しかも、餅とり粉まぶしたような手触りのよさで、思わず反対の手も伸ばしてニュと引っ張ると妙に気持ちいい。  懐かしさと、息苦しさがこみ上げる。  絆が15、6歳のときも、こんな頬をしてたんだ。  ムニュムニュで、スベスベで。  今はすっかりシャープになって、オトコを誑かすとんだビッチになったけど。  ……はっ。マジむかつく。 「───女の子のオッパイ」  鮮やかに蘇る記憶に、無意識にセクハラまがいの言葉が口をついて出た。 「は!? なっ!! 何言ってんですかっ!!」  童貞を捨てた絆が、俺の前に自分の頬を差し出してそう言ったんだ。 「まだ触ったことないなら、そんなんだから、まあ、覚えといて」  感触知ってるほうが、オカズにリアリティでるだろ?って。  本人にしたら画像や動画を見るなり、好みの女の子の姿を呼び起こしてそれに当てはめろってことだったんだろうけど、俺にしてみりゃそれはもう、絆をオカズにすることのオッケーが出されたようなもんで、絆が帰った後、速攻右手を働かせたけどさぁ。結局後ろめたかったよなぁ。  つーか、童貞捨てたときの絆って、既に処女じゃなかったんだよなー。  あー、もーマジでさあ……。 「もうっ!」   どこまで赤くなるのか試してみたいくらい真っ赤になって俺の手を振り払った迪也は、何か文句の一つでも言いたげに口をひらいたけど、なんでかすぐシュンとなってしまった。 「……僕……役にたてなくて、ごめんなさい」  なんで迪也がそんなこと言うのか本気でわからなかったけど、何気なく視線をずらした先。  鏡張りになった柱に映った自分の表情見て、納得した。  なるほど。  なっさけねー面。  まるで溜息製造機の試作品だ。
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