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自分をごまかす為の嘘
「井原西鶴の『好色一代男』。中学のテストで出たろ?……あ? おぼっちゃま学校では出ないって?」
「出た気もするな。で? それが何だって?」
でも。
聴いてたらさ。
なんか。
泣きそうになるんだよ。
───酒は怖いね。
「だーかーらー。3742人の女と戯れちゃったんだよ?すごくない?」
725人の男の子を弄んだってのを口にしない俺は、何の気を遣ってんだろう。
「まあ、すごい、か」
「だろ? 憧れるわぁ」
「……まあ、それも生き方だな。で? 今どこって?」
「あら、酷い。絆ちゃんったら、おすまし屋さん。少し前だったらじゃあ、俺は3743人の女の子と戯れるっ! とかいうとこなのにぃ」
そうして。
絆はやがて一人の奴に絞るんだろうか。
俺じゃない誰か。
そんな奴を見つけて。
俺は。
俺の、ままで。
「んなもん、毎日シたって10年以上かかるじゃないか。世知辛く働かないといけない労働階級の現代人には無理な話だよ。だから、早く場所言えよ。こっちはもう駐車場まで出てんだよ」
「は? いや、大丈夫だからね。絆じゃあるまいし。俺が今まで酒に飲まれたことがあるかって話だよ」
「……だから」
「は?」
「だから、いつもと違うから、放っとけないんだろ?」
ほら。
そんなことを。
さらっとさ。
言うから。
鼻の頭が痛むじゃないか。
「そんな、その研究室入りたかったわけ?」
「……あん?」
ああ。
そんなん、言ったか。
「うん。かなり。だってさぁ。教授がむちむちの美人なんだよ? 銀縁の眼鏡でさぁ。髪アップにして。おくれ毛のエロさったら。あんなもんAVだよな」
「……それだけ?」
「なわけあるかっ! 助手も院生も美人なんだぞ!? 泊まりで実験とかあるんだぞ? なのに俺は……俺は……ああ…あんなむさくるしい男ばっかの研究室に……」
「……残念だったな。まあ、頑張れよ」
「うん。というわけだから、絆、迎えにこないでいいよ。俺は今日エッチすると決めた。じゃな」
無理から終わらせた通話。
全身の力が抜けた。
ぐるぐるぐるぐる。
未だにかき回されてる。
あの香水野郎に?
そうかもしれない。
「マスター、おかわり」
通話を終えてからも、女の子探す気なんてもちろんなくて、ただ機械的にグラスを空ける。
どれくらいたったかしれないけど、通話を切った後も絆の声が残ってるような、耳にこそばゆい感覚が心地よくて、憎らしい。
女護が島に行ったところで、絆以上に俺の五感を刺激する存在がいるなんて思えないわ。
俺の、唯一無二。
でも──他のオトコに抱かれてる。
「……くそ」
酔えない酒なんて。
こんななら、酒税払う意味あんの?
「ねえ、もちょっと濃くしてくれない?」
カウンターの向こうに声をかけた時だった。
「いや、もう帰るから、いいよ、マスター」
聞こえた声に、目を見開く。
「は? なんで?」
そこには、少し息を乱して、頬を上気させた絆が、眉をしかめて立っていた。
「ボブディラン、かかってたから」
「はあ?」
「だったら、ここだろ?」
左上に顔を傾け、流れてる曲を聴くようにして、ちょっと得意げに片頬をあげた絆。
「帰るぞ」
「……は?……んだよ。俺はこれから女の子とイイコトすんのに」
「いいから、ほら。あ、マスター、これで足りる?」
「自分で払う」
「当然だろ。後で返せ」
「女の子に迎えに来てもらいたかったのにっ!」
「また今度にしろ。ほら、立って」
「ほんとねえわぁ」
嘘だ。
ほんとは。
泣くほど、嬉しいんだ。
お前が息を乱して。
お前が俺を見つけて。
お前が俺の手を取って。
ここに、居ることが。
「ついていい嘘といけない嘘がある。人を悲しませる嘘と悲しませない嘘だ」
自分をごまかす為の嘘は、どっちなんだろうな。
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