ドルフィンセンター

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ドルフィンセンター

「みてみて! 可愛いっ」  水面から頭を出してるイルカを撫でる迪也の姿に、つい目尻が下がる。 「うん。可愛いな」  迪也がな。  俺には光沢のある肌を持つ水性動物より、全開で尻尾を振ってるワンコの方がよっぽど可愛い。  そういやあ、絆もこういうの好きだよな。  ふと思いたってスマホを手にすると、身を翻して一旦潜った後また浮上したイルカを撮影した。  そのまま絆のアドレスへ画像を送信してやると、思いの他すぐに電話がかかってきた。 「もしもし?」  クスクスと耳をくすぐる柔らかい笑い声。  しばらくぶりのその声は、やっぱ、腰に来る。 「いきなり何でイルカ?」  機械を通しても練乳みたいに甘い声を耳に、ゆらゆらと揺蕩う浮き板の通路を少し歩く。 「いや、お前、好きだろ?」  甘いものが好きだから、声も甘いのかな? 「まあ、嫌いじゃないけど。何?今どこ?」  キスも、甘かった。 「ドルフィンセンター」  じゃあ……体も、甘い? 「ふーん。……デート?」 「いや。バイト先の、ああ、知ってるだろ。迪也。合格祝いに。俺らの高校時代と違って可愛いぞ」 「ふーん。いいな、呑気そうで」  甘さに中に感じる苦味。  くすくす笑いが消えて、ご機嫌が斜めに下降していくのがわかった。 「今度お前も来る?」 「いい。いかない」  ちょっと唇を尖らせた表情が浮かぶような声に、ついニヤついてしまう。 「何? 拗ねてんの?」 「うん。俺が必死に勉強してるのに楽しそうでムカつく」 「俺が必死に勉強してた時、楽しそうに遊んでたろ?」 「ふん。山登が必死に就活してるとき、豪遊してやる」 「じゃあ俺はお前が国試受けるとき豪遊するわ」 「ふふ…ムカつく」  見上げてた遠い空から視線をおろすと、こっちを見てる迪也と目があった。 「試験終わったら、飲みに行こう。じゃ、切るわ」 「…ん。あ、そうだ…」 「何?」 「いや。あの、さ」 「ん?」 「あー……」 「何よ」 「うん」 「だから、何だよ」 「あの、さ。車で行ってんの?」 「うん。姉ちゃんに借りた」 「へえ…。車、いつ買うの?」 「来年かなぁ」 「ふーん」 「ん?」 「うん。……あー。まあ、わかった。電話切って?」 「は?」 「切れよ。バイトの子、待ってんだろ?」  何が言いたいのかと思ったら、言うことなくて言葉を探してるんだって気づいて思わず吹き出す。 「何っ!?」 「絆から切って?」 「は? 何で?」 「何ででも」 「山登が切れよ」 「じゃあ、せーの、で」 「うん」 「「せーの…」」 「…」 「…」 「…ぷ」 「くくく」 「切れよ」 「そっちこそ」 「……帰り道に”Lille”があるだろ? ジェラート買ってきて?」 「今日?」 「…うん」 「バイトに直行なのに?」 「うん。……バイト先に冷凍庫あるだろ? 帰りでいいよ。俺優しいから」 「遅くなるけど?」 「どうせ起きてる。あー…でも、今日中には来て?」 「まあ、そこまで遅くなんないよ」 「ん。待ってる。じゃ…」 「ああ。じゃな」  今度は素直に切れた電話の余韻に浸りつつ迪也の傍に戻る。  クソ冷たい、決して綺麗で澄み切ってるとは言い難い水に指をつけた迪也が、水面から視線を上げることなく口を開いた。 「彼女さん、ですか?」 「彼女居ないの知ってるくせに」 「見たことないような幸せそうな顔してたから、そうかと思って。───わっ」  水に浸けていた迪也の手が急に浮いたと思ったら、イルカが鼻先で持ち上げたらしく、ヒレと腹チラを寄越して、また水面に消えていった。 「ほんと人に慣れてるよな」 「また今度、あれ、やりたいな。一緒に泳ぐやつ」  隣の生け簀では、この寒いのにウエットスーツを着た親子が、スタッフと一緒に水中でイルカと戯れていた。 「じゃあ、もうちょっとあったかくなったら、また連れて来てあげるよ。入学祝いに」 「ほんとに?」 「うん」 「絶対の絶対に!?」 「うん」 「女の人じゃなくても?」 「何、それ」 「だって僕なんか、春が来たら忘れられそう」  そこで初めて俺を見た迪也の顔が妙に達観してて、店長と須賀さんのネガキャンが効いてるんだろうと思うと溜息しか出ない。  姉ちゃんに店長紹介するのも案外アリとか思ったけど、やっぱ止めとこう。ロクなこと言われそうにないわ。 「忘れないってば。なんなら指切りとかしちゃう?」 「はいっ!」  差し出した小指を見て、顔いっぱいに広がる笑顔。  雪見大福の頬をムニュリと引っ張ると、やっぱり気持ちよかった。
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