ジェラートの誘惑

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ジェラートの誘惑

「よお。勉強、はかどってるか?」  不機嫌そうに顔をしかめてるけどドアが開いたのは速攻で、それこそ待ち構えてたんだって思うと頬が緩む。 「どらない。もう疲れた。死ぬ。ジェラートは?」 「ほら」 「へへへ」 「お前の寿命を縮めるのは過労じゃなくて糖尿だと思うぞ」 「糖尿が怖くて砂糖が食えるか」  テーブルの上に、教科書やノートに紛れて置かれてた砂糖壷を見つけた時にはつい身震いがしたわ。 「おま…嘘だろ?」 「砂糖は脳の栄養だぞ」 「おい、まさか飯食ってないとかか?」 「……それは、大丈夫。最近はちゃんと学校の帰りに食ってるから」 「ふーん。それにしても砂糖まんまっておまえ……その赤いのでいいんだな? あと冷凍庫入れとくぞ」 「おう!」  用があるのは冷凍庫。  けどやっぱチェックすんのが人間の心理ってやつ?  そして冷蔵庫の中のコーヒーの粉が豆に変わってたのに、引き絞られた胸を押さえた。  それは、頻繁に来てるってことを表してて。  豆ってことは、ミルを持ち込んでるってことで。  はは。ひょっとしたら、洗面所に行けば衝撃的な光景が見えるかもよ?  並んだ歯ブラシ。  はっ。……行かねーし。 「山登、最近ちびっ子と仲いいのな」 「ああ? ああ、迪也か」  まあ、その”ちびっ子”ですらシュガーレスのカフェオレ飲んでたけどな。 「……こないだも一緒に居たろ?」 「ああ、迪也って子犬みたいでさ。超癒されんの」 「セラピードッグかっつの」 「絆も今度一緒に行く? 癒されるぞ」 「いらない。もうっ! 固過ぎだろっ!」  バイト先の冷凍庫で固まり過ぎたジェラートを削る絆は、また不機嫌になってる。  ほんとわかりやすいよなぁ。  素直なんだか素直じゃないんだか。  まったくね。俺の方がよっぽど不機嫌になる要素アリアリだと思うんだけど。  不機嫌の要因は俺の思ってる通りだろうから、まあ、今日の俺は大らかだ。 「拗ねんなよ。今日中に来たろ?」 「はあ? なんで拗ねるわけ!?」 「今日の締めくくりは絆ちゃん、だろ?」  絆は片頬だけで笑って見せた俺を一瞬見つめ、やっぱり拗ねたような、バツが悪そうな顔をして俯くと、再びジェラートの攻略に取りかかった。 「俺が勉強してるときに──」 「俺が遊んでんのがムカつくんだろ。はいはい」 「……」  俺が女の子と遊ぶ分にはなんでもないくせに、俺に性的な見返りのないような、特別仲のいい奴ができるのは嫌らしい。  いわゆる独占欲ってやつ。  僕のパパなんだぞ!……って感じ?  だから今日中にアイス持って来いなんてのもその独占欲の賜物なわけで、んなもん、ただの友達としてなら面倒くさいことこの上ない奴だけど、ただの友達とは思ってない俺としては、嬉しくないわけはない。  温度差は承知の上だからな。 「それ、美味い?」 「いる?」 「うん。あーん」   バイト終わって疲れてるとこにジェラート運んでくれる優しいオトモダチに、これくらいの褒美はあってもいいだろう。  ほんとなら口移しで食わせてもらいたいくらいだ。 「固いからちょい待て」  俺が絆の我が儘の理由を揶揄したことで目尻が赤く染まってるのが、なんとも可愛らしくて色っぽい。 「ん。あーん」  削り取られた赤い果実の氷菓子を、俺に向かってグイと差し出す。  俺はパクリと咥えてから差し出されたままの腕を掴むと、そのまま胸の中にその華奢な体を引き倒した。 「…あっ」  艶やかな髪に頬を押し当てる。 「な…っ」  風呂上がりの程良い湿気と昇る香りに、目まいがしそうだ。 「こんなんで足るわけないだろ?」  耳元で囁くと、絆の体がピクリと震えた。  俺は絆の体をそのまま押し倒し───なんてわけにはいかず。 「お前の一口はセコいんだよっ!」  右手で絆を抱き締めたまま、左手はテーブルのジェラートへ。  力いっぱいスプーンを突き立て、絆の頭を顎で固定したまま、割れた大きな欠片を自分の口に放り込んだ。 「ふめたー。へろふまー」  ジェラートは冷たくて、温かい呼気と混ぜながら口の中で溶かすもんだから、出る言葉はまともな滑舌じゃない。  ただ見えなくても十分通じるとこはあったんだろう。  視線だけをジェラートの容器に向けた腕の中の絆が、頓狂な声をあげた。 「はあ!? ちょっ! 食い過ぎだろっ!」 「ふふん」  暴れる絆を抱き締めたまま掴んだ顎を上向かせ、舌に残る赤い固まりを見せつけたのは、直ぐにキレる絆を想定してたから。  だから、そんな無言で見つめられるなんてのは俺のフローチャートには組まれてなくて。  心臓の音まで、聞こえそうな静寂───。  まるで呪術だ。  吸い込まれる。  真っ赤な果実のジェラートにも負けない、絆の赤く、扇情的な唇。  ぐちゃぐちゃに……混ぜ合いたい。  むしゃぶりついて、溶け合わせて、そして……。 「きず、な…」   ……俺の手を。  …その…白い頬へ……。  誘い……。  そして──── 「頭、キーンってした」 「……一気に食い過ぎなんだよ……」  つまんない誤魔化しをして。  ほどかれた腕に。  喪失感を。  味わうんだ。 
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