立ち位置

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「いっけね」  家の近くまで帰り着いてからガソリンを入れ忘れていたことに気づき、ガソリンスタンドまで車を走らせる。そして給油の傍らスマホを確認しようと上着のポケットを探って、そして再び気づいた。 「まーじかー」  なんの気なしにテーブルの上に置いまでは覚えているので、ひょっとすると絆と暴れたときに床にでも落ちたのかもしれない。 「はぁぁ」  溜息一つ。  絆と別れて20分。  まだまだ寝ないで勉強するって言ってたから、これから折り返して15分くらいとして、それでもさすがに寝てやしないだろう。  まあ、寝てたところでピンポン祭りだ。  なーんだよぉ。また絆の顔見んのかぁ。まいったなぁ。  なんだかんだでちょっとばかし頬が緩むのは、20分のインターバルをあけたことで妙な熱がだいぶん引いてきたからだ。  その時は、そんな呑気な気分だったんだよ。  まあしょうがないよな。  後悔先に立たず。  この言葉の存在にちゃんと理由があるってことを思い知るのは、だいたいが後悔してからなんだから。          なかなか現れない部屋の主に、寝落ちでもしたのかと鬼のピンポンラッシュ。 「……ゃ…まと? なんで?」  やっと開いたドアから目だけのぞかせた絆の瞳が潤み、目尻が朱に染まってるくらいのことは、ドアチェーンをかけたままの隙間程度の空間でも十分に伝わってくるもんだ。  誤魔化しようのない濃厚な艶を纏う姿に、目を、言葉を、思考を奪われ、混乱する。 「……あ…いや…オレのスマホ」 「え……」  混乱してるのは絆も同じのようで、そんな俺たちの混乱を余所に部屋の奥から想定もしてなかった声がしたのに心臓がバクンと大きく跳ねた。 「絆、こんな時間にどうした?」  物腰柔らかな声に。  それは俺のセリフだろ、なんて突っ込む余裕があったのは一瞬。  声の主の動きで空気も動いたんだろう。  かすかに鼻腔に届いた香ばしいコーヒーの匂いに、今度は脳の血管がバクンと波打つ。 「……あ……ちょっと…ま…」  慌てて締められるドア。  空間が。  切り取られたみたいな。  感覚。 「……はは……4人…目…」  バクバクと。  騒がしい。  何が?  心臓?  ああ、そう。  心臓。  ………うん。  清澄とか。  同級生とか。  薬の院生とかの、その、一番初め。  絆の家の前で待ってた清澄を家に引きいれた絆の。  数分後の表情は……そういうことで。  今の。  あからさまな艶も。  そういうことで。  なんで? 「これ。スマホ」  ガチャリと開くドアの向こうから体を滑らすように出てきた絆。  俯いたまま差し出すスマホを半ば無意識で手に取ると、ほとんど反射で言葉を発して、踵を返せたのは4人目だから? 「お邪魔さま」 「……あの…やまと…」  エレベーターまでついてきた絆が、おずおずと声を発するのに振り返って笑顔らしきものを見せることができたのは、そういう、慣れ? 「……コーヒーの人だろ? うまくいってるみたいじゃないか。部屋戻れよ。誤解されるぞ?」  直視はできなくても声は震えてないから、大丈夫。 「………ぁ…の…」  気まずそうな声が次の言葉を発する前に、強引に言葉を被せる。 「ちゃんと、あれは唯の友達って言っとけよ? 俺のせいで揉められるのも寝ざめ悪いしな」 「……」 「まあ、イチャイチャもいいけど───勉強しろよ。じゃな」  声が一瞬掠れたのをなんとか振り絞り、結局はサンダル履きの、赤くなったつま先だけを視界に入れて閉のボタンを連打した。  完全にドアがしまって、体の力が抜けたような感覚がしたと思ったのは、きっとエレベーターが下降したから。  だって、そうだ。  もう、遭遇するのは4人目なんだし。  そんなのは。  今さら……なんだって話で……。  例えその4人目が、俺しか入ったことなかった空間に、当然のように存在証明を残すような相手だとしても。  俺の立ち位置に変わりはない。  だから指が震えてるのは……。  ただ。  寒いから、だろ?
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