構成要素

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 シュンを金で買ったことに後悔がないといえばウソになるけど、壮絶な生い立ちを聞いたおかげで、夜中にズルズル引きずった憤り半分のまどろっこしい感情はどっかにいってしまった。  まあ、溜まってたのを出したってのも大きい、か。 「感傷に浸ってるときってのは、愛だの恋だのって感情が世の中の90%を占めてるみたいな気分になるけど、冷静になってみれば人間の要素を構成してるなかで、それはそこまでのシェアもってないんだよな」 「……変な時間に人の家にきて、何の問答?ドーパミンの話?」  見事、俺が行きたかった研究室への切符を手にした筬川は、黒ぶちの眼鏡の隙間から目をこすってインスタントコーヒーの瓶を差し上げた。 「飲む?」 「いや。今その飲み物はちょっと……」 「胃でも悪くしたわけ?」 「いや……」  まあ、気分は悪くなったけどな。  筬川は茶色い膜のついた未洗浄のカップにインスタントコーヒーの粉を入れると、水を足してレンジに放り込んだ。 「カップ、洗わないのね」 「煮沸されるから大丈夫」  ヤることヤって眠くなるかと思ったけど妙に頭が冴え、そういやあ、朝方人間の筬川から話したいことあるけど時間ある?なんてメールが昨日きてて、明日行くわって返してたなあぁってのを思い出したから突撃したわけだが、さすがに3:30は朝に分類されないらしい。 「たばこいい?」  俺が頷いたのを確認した筬川は、灰皿の中からまだマシ目の吸い殻を拾い上げると、いったん捻り消されたタバコに火をつけた。 「おまえってほんと、タバコ似合わないよな」  筬川はなんていうか細長い、可愛いコケシみたいな容姿をしてるから、タバコよりもペロキャンの方が似合うと思うんだ。 「別にファッションじゃないからいいんだよ。俺にとってのニコチンとカフェインは、君にとってのセックスみたいなもんだから」 「体に悪いな」 「不特定多数の相手と性交するよりはよっぽどリスクは少ないと思うけどね」 「ご心配なく。昨今の俺はセーフティセックスを心がけてますんで」 「ふーん。まあ、なんにせよすごいと思うよ。本能のまま、君も、君の友達も種族保存の法則を遵守してるもんね。愛だの、恋だのってのは基本的には生命活動の中の生殖本能に過ぎないわけで……」   筬川はレンジの中から湯気のあがるカップをとりだすと、口につけ、思ったより熱かったのかすぐに唇を離した。 「そこに快楽があるから、種が続いてくわけだ。繁殖のためにそういう機能が埋め込まれてるっていうのは、本当によくできてると思うけど──ああ、ここで君が来ていきなり口にしたことにつながるわけだけど──恋愛感情の全てが種の保存をかけた脳内の伝達物質の分泌バランスってことになるなら、愛だの恋だのって感情が世の中の要素の90%を占めてるってのも、あながち間違いでもないんじゃないの?クモやカマキリを思ったら、如実に現れてるだろ。まあ、そりゃ恋愛ってのじゃないかもしれないよ。クモやカマキリの感情についてはわかんないけどさ。恋愛は繁殖への過程なんだから、もう、まあ、性交と繁殖と同義、だよ。で、クモやカマキリは、交尾の後メスに食われたりするわけだ。それも種の保存。メスはわが子を育むためにてっとりばやく張りついてるオスを捕食して、オスは生まれてくる子供に先を託して、甘んじて食われる。性交と繁殖は恋愛と同義。なら、まさに、これは究極の恋愛だろ。子孫を残すために生きて、交尾して、死んでいくんだから。90%どころか、ほとんど100だ」  「……はは。ろまんちっく、だな」 「要は脳内物質に振り回されてるんだ。これから年金の出どこをまかなってくれる若人を作るために」 「身も蓋もないなぁ」 「ただね。ちょっと考えるんだよ。たとえば君がいったみたいにセーフティセックスを行う前提の性交ってのは、繁殖とは無縁なわけで、自然の摂理に反することになる。じゃあ、それは、脳の進化なのでか、退化なのかって。で、極めつけが男同士の行為だ。生殖行為ですらないその行為は、はたして男女間で行われる行為の擬似的なものなのか、単なる誤作動なのか、それとも独立した感情───すなわち繁殖を伴わない、いわゆる”恋愛”ってやつなのかって」  生殖行為にすらならない男との関係ってのを、ついさっき築いてきたところなわけだけど……恋愛ってのではないです、はい。  まあさすがにそれを言うのも憚られて曖昧に笑っていたら、やっと飲める温度になったらしいコーヒーに口をつけた筬川が、ああ、と、とってつけたように声をあげた。 「君が来たのはメールの件か。そうそう、今の話で思い出した。というか、来るの早いな。そこまで緊急ってわけでもなかったんだけど───あれだ、君の友達の絆くんに、教授とセックスするときはカーテンは閉めるように助言してやってくれ」  筬川がもてなしの心を持ってない奴でよかった。  もし茶でも出されてたら、きっとコントみたいに吹き出してたろうから。
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