屋上からの光景

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屋上からの光景

 破壊力のある言葉にしばし脳がフリーズする。 「えー……と…」 「僕、研究室の兼ね合いで薬学のキャンパスに行くことがあるわけなんだけど、昨今はタバコ吸いには住みずらい世の中になっててさ。唯一ある喫煙スペースなんて、教授から学部生まで取りそろえてサロンみたいな雰囲気だから行きたくないし。なんとかと煙は───じゃないけど、そうなるとおのずと、ね」  元々吸いガラだった筬川の指の間のタバコは、あっというまにフィルターを残すくらいのサイズになってしまった。 「最上階で隣の建物は壁。屋上は立ち入り禁止だから、それで気を抜いてたんだろうけどね。わかるだろ?立ち入り禁止ってことは、すなわち立ち入ることが可能ってことだ」  そう言って薄く笑った筬川の趣味は多岐に渡る。そしてその中にピッキングが含まれてることを知ってる数多くない人間のうちの一人は俺だ。 「僕自身に性欲っていうのが欠如してるから、まあ、根本的に世界が違うっていうか。だからまぐわってるのが男女だろうが男同士だろうがどっちだって何だっていいんだけどね。」  絆の相手が男だってのは今更。  悲しいかな性に緩いってのも、今更だ。  ただ、予想だにしなかったまさかの相手の肩書きに、心拍数だけは上がっていく。 「まぐわうって……ははは…」  教授とって言った?  近頃情報処理能力が欠如してるから、あんまそういうハードルの高いのやめてもらいたいんだけど……。 「うん。まぐわってたんだ。春画なみに。絆くんと、山科教授が。2回見た。まあ、さっきも言ったように僕としては他人の恋愛も性交も興味はないんだけど、教授と学生が───いくら空いた時間とはいえ、ね、褒められた話じゃないのは明白だし、僕が目撃したのはたまたまとはいえ、他にもいないとは言い切れないからさ。山科教授は指導者として優れてるし、人柄も好ましい。そして絆くんは君の友達だから、口さがない誰かに見つかる前に注意してあげた方がいいと思って。そうなると、僕が二人に言うよりも、君から絆君に言ってもらった方が色々と都合が良さそうだったからね。まあ、合意の上には見えたけど、あくまでそう見えただけで、パワハラのセクハラだったりする可能性もないわけじゃないだろうし」  いや、多分、合意の上だと、俺も思うわ。 「なんていうかまあ……色々ぶっちゃけてくれてどうも」   自分でも引き攣ってるのがわかるひき笑いに、筬川はコケシばりの撫で肩をすくめた。 「いくら僕自身が性に興味薄くたって、さすがにうっかり知りえた本質みたいなプライベートをそうそう暴露して回るつもりはないよ? けど、絆君が男色家だってことを君が知ってるのは知ってたからね。薬の院生の旗西くん、絆君の、夜のお相手だった人。あれ、僕の知り合いの知り合いなんだ。で、どうも絆くんに本命の相手ができたらしいっていうので、君じゃないかと僕にリサーチしてきたわけ。知らないし、つまんないことに巻きこまれたくなかったから無視してたら、君に直接アタックしてた」  薬の院生。  4人目の奴だ。  心臓が、バクバクと心拍数をあげる。  本命の相手───。  メンズの香水が、コーヒーの匂いに消されていく。  俺以外踏み込むことのなかった絆の部屋。  少しづつ、つけられる証。  香ばしい匂いとともに流れてきた穏やかな声は、決して青二才のものじゃなくて……。 「案外世間は狭いってことを、伝えてあげてくれよ」 「……あぁ」  5人目のオトコ。  これで打ち止めになることを恐れてる俺は、どこまで歪んでしまったんだろう。 
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