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明けない夜はない
「起きてた?」
電話をかけるのに躊躇せずにすんだのは、シュンとか、喫茶店のおっさんとかとの濃い出会いのせいだろうと思う。
「……うん」
それでも次の言葉を発する為の一言目はやっぱり大きくて、スマホを握る手には自然と力がこもった。
「教授、まだいんの?」
あくまでも軽く。
昨今流行りのダウンジャケットの如く薄っぺらに。
「……なんで……知ってんの?」
苦い笑いを含んだような、驚きの声。
まだ部屋に居るってことじゃなくて、まあ、ここは教授との関係のことだろう。
「それくらい人目があるってことだ。学校でのセックスは禁止って、ちゃんと教授にも言っとけよ?」
ほんとは全面禁止にしてもらいたいとこだけどな。
「まあ、そんだけ。じゃ、俺、今から寝るわ」
「っなあ、やまとっ!」
タップしようとした向こうから、絆が俺を呼びとめる。
「なに?」
それにイラっとして、逃げるように切りたいと思ってる俺がいることに気づいた。
だって、そうだよ。
せっかく眠れそうなのに、ここでまた教授の声でも聞こえてこようもんなら、また、眠れない……。
って。
思いだしたじゃないか、くそ。
「いや……ジェラート……ありがと……」
なんで今。
そんなこと言うわけ?
いつも間を置いてそんなこと言わないだろうよ。
「あれ? ひょっとして教授とのプレイにでもご使用されましたぁ? それはそれはお役にたって何より。イルカ見て、バイトして疲れてる日に届けた甲斐ってのがあったわ」
はは。
まるで自傷行為だな。
どこいったんだよ。
さっきまで比較的凪いでた俺の心は。
───生きてりゃ嫌なことはある。
うん。そうだよ、おっさん。
ゆっくり、行くわ。
年とって、物忘れがひどくなるくらいまでの我慢だろ?
今はグチャグチャに荒れてても。
明けない夜はない、よな。
デジャヴ?
削り取られた赤い果実の氷菓子を、絆が俺に向かってグイと差し出す。
俺はパクリと咥えてから差し出されたままの腕を掴むと、そのまま胸の中にその華奢な体を引き倒した。
「…あっ」
艶やかな髪に頬を押し当てる。
「な…っ」
風呂上がりの程良い湿気と昇る香りは、媚薬だ。
「こんなんで足るわけないだろ?」
耳元で囁くと、絆の体がピクリと震える。
俺は腕の中の絆からスプーンを奪うと、容器から掬いあげた赤い氷菓子の塊を口にして抱き締めたまま掴んだ絆の顎を上向かせた。
口の中に残る赤い固まりを見せつけるように舌を差し出せば、見上げてくる絆と視線が絡む。
心臓の音まで、聞こえそうな静寂───。
まるで呪術だ。
吸い込まれる。
真っ赤な果実のジェラートにも負けない、絆の赤く、扇情的な唇。
ぐちゃぐちゃに……混ぜ合いたい。
むしゃぶりついて、溶け合わせて、そして……。
俺が顔を寄せるよりも早く、絆の舌が俺の舌の上の冷たい固まりをさらっていくのが早かった。
「これは───」
離れた唇から紡がれた言葉。
「───俺の、だろ?」
囁くような、掠れたような、甘い、その蜜の声に導かれるように、チラと覗く赤い舌の上の塊を絡めるがごとく吸いついた。
「ん……っ…」
「…ふ……っ」
冷たい赤はお互いの熱で溶かされ、貪るような口づけに飲みきれない唾液と混ざって、血のような筋を作り出す。
ああ、そうだ。
俺はいつだって、おまえのもんだ。
おまえが誰のものになったとしても。
俺は。
いつだって、どこだって。
おまえの、もんなんだよ。
「…は…ぁっ…」
ほどいた唇を少しずつずらせば、俺までが溶かされそうな熱い吐息が頬をかすめ、それだけでも身ぶるいしそうな快感を生んだ。
しどけなく緩んだ唇の端から流れ落ちた赤い軌跡が、潤んだ瞳と相まって俺の理性を壊していく。
腕の中の熱を押し倒すと、すっかり冷気を失った赤い筋を唇で塗りこめるように、その白い首筋に、鎖骨に、這わしていった。
「……ぁ…ああ…」
俺の下で体を捩らしているこの愛しい存在が、夢の産物だってのは理解してる。
これは夢だ。
わかってるから。
せめて夢の中だけでも。
俺の想いを、成就させてくれよ。
「絆……愛してる…」
夢の中の絆は、俺の言葉にどう返すの?
ああ。
せめて夢の中だけは───。
「ちょっと山登っ!!! 人の車のカギどこやったのよっ!!! それにガソリン入れてるでしょうねっ!? 借りたもんは借りた状態にして返すってのは人の基本でしょ!????」
ま。
結局。
現実はこんなもんだ。
夢ですら、ね。
まったく。
ろくなもんじゃない。
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