仔犬の気持ち

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仔犬の気持ち

「はぁ?」 「……へ……」  小さく零れた背後の迪也の声に、話を合わせろと踵で脚を軽く蹴る。 「言うにことかいて、何、それ」  呆れたようなイヅルの声と表情。  でも、そう来るとは思ってなかったからだろう。彼女が居るってのよりは、少なからず信憑性を感じてるように見える。 「だから。そういうことなんだって。……あぁ…、なんつうの? あんま、大っぴらにできるもんじゃないし、お前、からかってるだけかと思って放置してみたけどさ。ちょっとそろそろ本当のこと言っておこうと……」 「ちょっと待って」  俺の言葉を遮ったイヅルは皮肉るように右の頬をピクリと上げ、好戦的な目を向けてきた。 「みっちゅーから聞きたい。ヤマトくんの言うことなんて、信用できないし」  う。  こいつ。  まあ、確かに俺がイヅルの立場なら、そうするか。  嘘を吐いて生きてきた俺とは違って迪也にはそんな演技なんてできそうもない。 「信用しようがしまいが、そうなの。これから迪也送ってラブラブすんだよ。おまえは真実の運命を探して夜の街にでも繰り出しなさい」 「真実の運命は、ここにあるんだよ。ねえ、みっちゅー、ヤマトくんと付き合ってるなんて、嘘でしょ?」  切なく、乞う様なイヅルの声。  くそ。  ……ほだされたりしないぞ。  例えば。  あんな見た目だけど、山登まではフラフラしてない、なんてカズの評価を聞いてたとしても、だ。   だって、そうだろ?  こんな一途な俺の評価が底を這って、鬼畜の清澄の評価が天辺付近にある時点で、人の評価なんて当てになんない。  ……や。まあ。  フラフラしてないかって言われたら、否定できるってもんでもないんだけど……って。  だからっ!! 今はそんなこたあ、どうでもいいんだよっ!! 「あ、ちょ、迪也っ」  イヅルの視線から隠そうと広げていた俺の手をそっと退けて、迪也が俯きがちに一歩踏み出した。 「……そじゃない。ほんとです。僕……山登さんのこと、好き…だから…」   お。  まあまあ頑張ってるじゃないか。  そうだぞ、迪也。  男と付き合ってるなんて、演技でも気色が悪いかもしれないけど、ここを踏ん張らないともっと気色悪いことになるんだから。 「……どうせヤマトくんに入知恵されてんでしょ?」  迪也の予想外の善戦に、イヅルは半信半疑の表情。 「違う……僕は…」 「違わない。信じない。二人居ても、恋人って雰囲気じゃないし」 「そんなもん、人前でみせるもんじゃないっつってんだろ」 「なら、やっぱり嘘ってことで」 「なんでそうなるんだよ!?」  どんだけ諦めの悪い奴だ!  おまえは俺か!? 「なるでしょうよ。彼女居るとか嘘ついた後だし? 信じると思う?」 「だーかーらー! お前が信じようが信じまいが真実だっつんのっ!」 「なら、キスしてみせてよ」  ………はい……?  真っ直ぐな強い瞳と、薄く載せた笑み。  半信半疑から4信6疑ってくらいになってるのがわかる表情。 「は。おまえ、バカだろ」 「なんで? これからラブラブするんでしょ? なら、当然そういうこともしてる関係ってわけだよね?」 「……それは……」  ガンガンしてます!  なんて言える相手でもないってのは、まあ、一目瞭然というか……。  ついついイチゴ大福にキスして、口に餅とり粉を白く刷いた自分を想像してしまう。 「ほら。噂に聞く山登くんがラブラブするのにキスもしてない、なんておかしいもんねぇ」 「……うるせえよ。本気で大事に思ってたら、たかがキスってわけにもいかねえんだよ。……そう簡単に手なんて、出せるか……」  淡い恋から肉欲を含んだ愛情に至る9年のキャリアは、伊達じゃない。  我ながら重みがある言葉だし、清らかな迪也のキャラには絆へ向けるよりも余程ぴったりの文句だ。  けどもまあ。 「だめ。ごまかされないよ」  むかつく程に諦めの悪い……。 「あのなあっ! おまえにサービスしなきゃならな……!!!!!!?」  一瞬。  ほんとに、わからなかった。  わが身に起こったことが。  だから、いきなりかかった負荷への首の痛みも、どっかに吹き飛んでしまって。  ああ。ただ───。  餅とり粉って単語は、浮かんだわ。  うまそうなイチゴ大福の感触が押し当てられた唇。  迪也からの捨て身のキスに固まる俺は、その温もりが離れてやっと腰を抱かなかったことに気付いた、使えない野郎だ。  震えてたのに。  多分これが迪也のファーストキスの筈で、一般的には大事なそれをこんなことで捨てるのは、きっと不本意だろうに。  ならアホほど色んな相手と関係を持ってきた俺は、もっとそれらしく、イヅルが二度とちょっかいかけてこられないように、その迪也の頑張りに応えてやらないといけなかったのに。 「ごめんなさい。僕、山登さんが、好きなんです。だから、あなたの気持ちには応えられません。行こ。山登さん」 「あ…ああ。イヅル、悪いけど、そういうことだから」  迪也は泣きそうで。  イヅルは苦しそうで。   俺は───妙な罪悪感に苛まれる。  最初から赤い糸が見えたとしたら。  みんながみんな、その運命を享受するのかな?  それでもやっぱり、やるせない想いが世の中から消え去ることは、ないんだろうか。  
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