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プラチナの弾丸
腕の中で泣いている迪也の体は華奢で、柔らかくて、温かくて、守ってやらなきゃと思わせるには十分で。
絆と、何が違うんだろう。
俺が絆じゃなきゃいけない理由は何なんだろう。
なんで、迪也じゃダメなんだろう。
物心ついてからずっと見上げてきた自分の部屋の天井。
そういえばあの木目が、人の横顔みたいに見えるって思ってた。
ある時から自分の部屋で寝ることが減って、部屋にいる時もスマホばっか眺めて。
同じ場所にあって、変わらないもの。
俺が忘れたり気づかないだけの話で、なくなったわけじゃない。
「はあぁ」
気づけなかった迪也の気持ち。
俺が気づかなくても、そこにあったんだ。
そう。俺が、いじましく捨てられずに持ち続けるみたいに。
「あぁ……。なんで抱き締めちゃったかなぁ……」
触れるべきじゃなかった。
迪也の気持ちに応えられるわけじゃないのに。
不用意な接触がどれほど心を乱すか、嫌ってほど知ってるのに。
混乱してた。
だたでさえ気分が落ちてたから、他人事じゃないその震える背中に自分を重ねてしまった。
自己愛だ、自己愛。
最低だ。
挙句、迪也の心に保留を与えるみたいなことを言って逃げたんだ。
傷付けたくないなんて、偽善的な感情で。
その真綿で首絞めるみたいな行為で、どれほど振り回されるか、わかってて。
「ぬあぁぁぁ……っ」
頭を抱えて、ベッドの上でのたうち、そして横向きで体を丸めたとき、ふと、日ごろ目を向けない所にある壁の凹みが目に入った。
懐かしい懐かしいそれは───。
「……はは……わっかぁー…」
それは。
恋に落ちたその日の夜の。
若すぎる俺の煩悩の後だ。
息が苦しくなって泣きそうになるって、そういうドラマみたいな一目ぼれが存在するんだって知った、人生唯一無二の経験。
運命だって、思った。
なのに相手は男で……。
そしてそれから9年だ。
でも俺は天井の木目と同じように、この凹みのことも思い浮かべることはなかった。
なら新しい何かを探して、それに夢中になれたら。
そんなふうに、絆への気持ちそのものを、そこら辺に置いてけぼりにできるかな?
選択肢は。
俺にもある。
いつだって、俺にもあるのに。
たった一点だけを見据えて、見ないようにしてた。
なんのことはない。
絆のことが好きだから。
ただ、それだけのこと。
どうせ諦められるわけなんてないって、それだけのこと。
俺はいったい。
どうしたい?
「ああ、山登、これきず───あ、こら、口飲みはだめって言ってるでしょう」
絡まったままの糸を絡めたまま、ただただ惰性的に日々を過ごしていたある日の夕方。
台所で1リットルの紙パックジュースを直接飲んでいた俺は、母さんの背後からの声で思わずむせかえる。
「ごほっ、ごほっ」
「ほらぁ、行儀悪いからぁ。神様は見てるのねぇ」
世間には罰なんて当てられるふうでもない悪い奴がいっぱいいるのに、こんなみみっちいことに天罰を下すことにやっきになる神様なんて、リコール要求しなきゃ、だ。
「これ」
”これ”が何なのかを振り返って見れば、食卓の上に白い二重封筒が置かれていた。
「今さっき絆ちゃんと外で会って山登にって」
「は?」
手にとって一瞬息が詰まる。
それは、クリスマスライブのチケットだった。
ここ数年、俺たちは絆の親父さんのコネでもらったそのチケットのイベントに参加して、カウントダウンの花火を、見てた。
「上がって夕飯一緒にって誘ったんだけど、風邪引いてるから遠慮しとくって言って帰っちゃった」
2枚のそれは。
その意味は。
───くそ。
もう、ぐちゃぐちゃ。
ああ、なんか、泣きそうだ。
「絆と会ったのって、いつ?」
「だから、ついさっき。寺西内科の角入ること」
「車で来てた?」
「いいえ。駅の方に歩いていったから、電車だと思うけど。追いかけたらまだ会えるんじゃない?」
俺は慌てて上着をひっつかむと、封筒を手に家を飛び出した。
「絆っ!!」
「……あぁ?…」
夕方と夜の境目みたいな曖昧な光の濃度。
駅へ続く階段を上る絆の優美な後ろ顔は、儚げに見えて、それこそ違う次元に帰っていくモノのように見える。
行くな、と。
強くそう思ったのは。
それこそ、完全に、失ってしまいそうだったからなのか。
「あのチケット……」
「……コンッ……コンッ」
振り返った絆の顔は水色のマスクで覆われていて、大方の表情が隠されていても、潤んだ瞳と咳とで風邪をひいているのだということは十二分に伝わってきた。
「やる。俺、行かない……コホ…から、だから、山登、は……行きたい相手と…」
「なんでくれんの? そっち教授だから、一緒に、行けないから?」
意味は───。
そういう、こと。
世間体があるから教授とカウントダウンには行けないってことで。
そして、俺とは。
行かないって、こと。
「……コンッ……コンッ…」
返事の代わりに耳に届く絆の咳。
「イブは仲良くリッチにホテルディナー……とかか」
蝕まれていく俺の居場所。
少しづつ。
少し、づつ。
友達っていうのが、何なのかが。
俺に、傷をつけるように、刻まれていく。
「………コンッ……」
そして───。
「………」
ダメ押しみたいに胸に打たれた杭。
息が。
できないのは。
ああ、そうか。
杭じゃない。
銀の弾で、きっと、胸を撃たれたんだ。
致命傷。
俺の心の。
───それはプラチナ。
手すりを滑らせた絆の左手の。
白い指に光るそれに。
俺は。
心は。
とどめを───。
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