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コートに託す想い
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音が、なくなって。
足元が崩れて。
俺の体は宙に浮いてるみたいで。
ああ、きっと。
ぽっかり穴が開いたから、その分軽くなったんだ。
銀の弾はオオカミ男とか、悪魔を、殺すんだって。
俺は絆に不埒な感情を抱くオオカミ男で、邪な悪魔だから。
胸から、溶けて、しまえば、いい。
そしたら、すぐにこの苦しみから解放されるはずなのに。
なんでだ。
苦しいのに。
痛いのに。
胸が。
早く俺の息の根を止めてくれよ。
なんで神様は、俺にはこんなに的確に罰を与えてくるんだ?
楽に、なりたいのに。
「これ……コホッ…あの人が、つけとけって。つまんないよな。こんなんで……コン……人の気持ちを縛れるわけじゃないのに。コホ…でも、まあ、いい虫よけになる……コホ…から…コホ……けっこう便利」
肩をすくめて、どうでもいいことのように指輪を見てから、一度ギュッと握りこんで腕をおろす。
つまんない?
それでも言われたとおり指に填めてるんだから。
それは。
そういう、気持ち、だろ?
おまえはあの人を、選んだんだろう?
俺が、欲しくて欲しくて、9年我慢してきたお前を手に入れたのは。
そう。
俺じゃ、ないんだ。
「も。帰るわ。寒いし…コホッ…コホッ…」
───行ってしまう。
絆が。
そして。
変わっていく俺たちの関係。
絆は、あの人の腕の中へ。
俺は、本来の立ち位置へ。
ちゃんと、線引きをして。
俺は、そこから、入らない───入れない。
「……ぉまえ、薄着なんだよ。ほら」
俺は自分の着ていたモッズコートを脱ぐと、絆の方へ放り投げた。
「……いいよ」
掬いあげた絆が、俺に向けて差し返そうと持ち上げるのを顎で制止する。
「よくねえだろ。いくら学部違っても教授に恨まれるのは嫌だからな。着て帰れ」
「返すの……めんどい…」
そんな言葉にも勝手に傷ついてる。
だって……今までなら、いとも簡単に、取りに来いって、言ってたろう?
「やるよ。新しいの、買ったから多分もう着ないし」
「……ん。さんきゅ……コホ…ふふ…暖けぇ…。じゃな」
絆は黒のコートに袖を通すと、マスクの上にのぞく目を一瞬柔らかく細め、そうして背を向けて階段を上り始めた。
おい、忘れもんだよ。
行ってしまうくせに。
なのになんで、俺の心にまだ痕を残すんだ。
せめて全部持ってけよ。
友達だろ?
なら、こんなにさ、苦しませんなよ。
「……絆…っ」
駆け寄って。
腕をとって。
抱き締めて。
好きだと。
そう、告げれば。
想うままキスをして、想うままに触れれば。
そうして傷ついた目をむけられ、拒否されれば。
少しは、吹っ切れるのかな。
「……ん?」
歩みを止めた背中が咳に揺れた。
「……好きだ」
思わず漏れた言葉。
でも。
腕をとることも、抱き締めることもできず。
ただ。
振り返ることのない背中に。
言い訳のような言葉を、贈る。
「俺、お前のこと、大好きだから。……だから。センセイと、幸せになれよ」
過剰なラッピングを施した告白。
まるで包装紙の端で指を切ったみたいな痛みが胸を走る。
絆はただ手を挙げてそれに応えると、小さな咳を繰り返して、また階段を上り始めた。
好きだよ、絆。
今までずっと。
好きだった。
でも。
これからも、って。
そうならないように。
今度はちゃんと心から、友達として「好きだ」と言えるように。
俺はお前が好きだから。
誰より。
何より。
好きだから。
お前の望む。
俺に、なる。
階段を上りきったとき、吹きさらしの風に絆が身を竦める。
俺のコートごとその体を抱き締める姿に、思わず奥歯をかみしめた。
俺は。
あいつを暖めてやれないから。
だから、黒い布地に呼び掛ける。
俺の代わりに絆を包んでくれ。
俺の大事な、俺の大切な、俺の……おれの…………ともだち、を。
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