もみの木の下のキス

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もみの木の下のキス

 道を行けば耳慣れた、それなのに題名を知らないクリスマスキャロルがどこからともなく流れてくる。  行きすぎる人みんなが幸せそうに見えるのは、イヴのマジックなんだろうか。  それとも。  まるでポッカリ、俺だけが置き去りにされたような気持ちになってるのは。  この優しいクリスマスキャロルの音色に泣きそうになってるのは。  何かの呪いなのか?  赤と緑と金色。  その三色には心踊らす魔法みたいな力があると思ってたんだけど、呪いの前には無効らしい。  でも。  それも今年限り。  例えばこの、かじかんだ指を暖めてもらいたいと願う心も、来年には、なくすんだ。   この想いを。  この恋を。  どれだけ待っても消えなかった心を。 「わあ、雪」 「ほんとだ」  軽やかな声に天を仰げば、暗い空からふわりとした柔らかい白が落ちてきた。  頬に、チリっとした冷気を感じる。  溜息が白い形となって、雪と交わる。  俺の孤独と痛みのように、溜息では溶かすことのできなかった雪が、唇に舞い降りた。  この雪みたいに積もっていった俺の想い。  気がつけば、押しつぶされそうだ。  でも。  いつか春がくれば。  雪が溶けるみたいに、いつかきっとこのこの想いも溶ける。  それまでいくらだって距離を置けばいい。  もうあいつの傍に居てやらなくても、いいんだから。     「さっむー。ちょ、腕かせ腕」  あいつはそう言って俺の腕を自分の肩に回し、自らの腕を俺の腰に回した。 「こんな時女顔って便利だな。一見ラブラブカップルに見えるだろう?」 「ちゅーとかしとく?」 「前々から思ってたんだけど、よく素面でそんなこと言えるよな」 「ええ。そりゃあもう。こういうときなんて返すか教えてやろうか」 「いや。いいわ」 「俺は君に酔わされっ放しで、しょっちゅう二日酔いだ。向かい酒代わりに、明日も会ってくれる?」 「やめろって。歯が疼く」 「ああ? どうせなら違うとこ疼かせろよ」 「拳とか?」 「武闘派かっ」 「あ、カウントダウン始まった」 「まあ、もみの木の下ですし。8…7」 「男女じゃないのに? 6…5…」 「キリスト教徒でもない4…だろ? 3…」 「そりゃまあそうだ。2けどさぁ、なら根本的…」 「い、ち……絆…メリークリスマス」 「ん。メリークリスマス…」  想いを込めた最後のキスは、触れるか触れないか程度の、かすかに合わせるだけのものだった。  あいつにとっちゃ酒も入ったクリスマスのノリ以外の何ものでもないんだろうけど、けどそこには、俺たちだけしか居ないみたいな濃さがたゆたってたと。俺は、思ってた。 「あ、花火、うおぉ、去年と違う! すげぇすげぇ! 来年どんなだろーな。な、山登っ」  だから。  来年があると、信じて疑わなかった。     「3…2…1」  カウントダウンの声と共に打ち上げられる花火。  日本人の感覚で言えば季節外れの大輪花が、夜空を彩った。  ああ。  絆。  一昨年と一緒だったわ。  じゃあ来年は、去年と一緒?  来年は…………。  ああ。  会いたい、絆  俺お前にやっぱ、会いたい。  会いたくてたまんなくて、泣きそうだ。  こんなに人を好きになれたのは、幸せ、か?  震えることのないスマホに、囁きかけるメリークリスマス。  今夜だけ。  お前をどっぷり想うのは今夜で最後にするから。  せめて。  抱きしめたかった。  目を閉じて浮かべるのは、絆の熱と、ツリーの下で交わした口づけ。  朝が来て、想いに別れを告げるときまで。  俺はお前を、ありったけ。  想ってる。                   バイバイ。  絆。
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