迷子のピース

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迷子のピース

「大丈夫かよ」  部屋の中も別段荒れてるってふうではなかったけど、テーブルの上、ほとんど手をつけられないまま放置されたらしい液状化したアイスカップの横に、指から離れた銀色の輪が所在なく放りだされてるのを目の当たりにすれば、やっぱり声に出して聞いてしまう。 「大丈夫って、何が?」  ソファーにバフンと座り込んでクッションを胸に抱いた絆が、そこに顎を埋めて、立ちつくす俺を見上げた。  ……可愛い……。  そんなこと思ってる場合では到底ないんだけど、やっぱり可愛いもんは可愛いんだよ。 「何って……おまえが、大丈夫じゃないこと」 「なんだ、それ。答になってないし」 「指輪…とか……旅行……とか」  せめて瘡蓋になりかけてるかもしれない傷をひきむしりはしなかと言い淀む俺に、絆はテーブルに視線を送って、肩をすくめた。 「そもそもが、大丈夫とか、そういう話じゃないし」 「……おまえが居るのに、なんで他の女との結婚なんて話が出てんだよっ!!」  向けるべき怒りの矛先は絆であるべきじゃないけど、本人不在の今、どうしても声が尖るのはしょうがないだろ。 「逆だよ。結婚の話があるのに、俺と関係を持った」 「はあ?……なっ…だって……は?」  絆の言葉を理解するのに戸惑ったのは、多分理解したくなかったからだ。  怒るべき正当性を見つけてしまったことに。 「マリッジブルー?」 「おま…知っててっ」  俺は、無理やりの関係ってのは好きじゃない。  そして、略奪愛だの、不倫だのってやつも。  平然とそんなことを口にする奴も。 「知ってたよ」  だからそんなふうにあっさり言われてカッとしないわけはなくて、大きな声のひとつもたててしまう寸前。  俺の信条を知る絆がクッションから離した両手を体の前で上げて、制止するようなポーズをとりながら言葉を継いだ。 「福本教授も、知ってたから」  結婚相手の名をだされ、開いた口から洩れたのは、間抜けな息と声。 「はあ?」 「誰にも言うなよ? 福本教授は彼女いるんだ」 「はぁ?」  ますますもって意味がわからない。 「二人ともゲイよりのバイなんだよ。立場上、いつまでも独身でいると色々面倒だからっていうのもあって、まあ、二人とも仲いいから偽装結婚とはいわないまでも、教授同士お互いの性趣向を尊重してる」 「……はぁ」  はぁ、じゃねえしっ。  突飛な情報に、ついつい「成程」なんていいそうになった自分を叱咤する。 「いやっ! でも、それでもだなぁっ! 体だけの遊びとかってんならいざ知らず、夫婦間に愛情があるなら、おまえに指輪なんて付けさせるのおかしいだろ!? ゲイだろうが、バイだろうが関係ないしっ! 一人、決めた相手だけ想ってるべきだっ」  俺の言葉に、絆の表情に落ちる陰。  ほら、おまえだって、そう思ってんだろうがよ。  教授の心を独占したいって、思ってんだろう?  つか、もう。んなこと思った、俺の方が泣きそうだよっ! 「んなふざけた二股の掛け方、ありえねえしっ」 「違う、山登」 「何がっ!?」 「指輪は、あの先生にもらったわけじゃないから」 「はぁ?……だって……はあ?」   俺の言語能力が低下してるのか、脳のシステムが異常をきたしてるのか。  ロクな言葉がでてこない。 「自分で買ったんだ。いろいろ言い寄られるのがうざいって先生に言ったら、じゃあ、指輪をつけて特定の相手をアピールしたら結構有効だと思うよって言われて。はは。あんなつまんない、形だけのもんなのにさ。別れたらゴミ箱か、リサイクルショップか、そんなとこしか行き場のないようなもんなのに、まあ、虫よけ効果のあることあること」  じゃあ何か?  俺はフェイクに踊らされて、苦しんでたのか?  つか、教授だって……。 「…はあ?…意味わかんね……」  いや、それに。あの時、どうしたって思わせぶりだったじゃないか。  俺は、虫か? 「意味?……まあ、先生のことでは、特に凹んでないってこと」  絆はフイと視線をそらすようにして立ち上がり、そんなことを言いながらテーブルの上の溶けたアイスを手にキッチンに向かって、俺に背を向けた。 「……教授のこと……本気じゃあ……」   散らかったパズルのピースが。  別のパズルのもんだと思ってたピースが……。 「あ、しくじった。はは。傷ついて、凹んでるって言ってれば良かった。そしたら、山登慰めてくれたろ? この頃、相手にしてくんなかったからな。よし。今から慰めろ。可愛いコイビトには黙っててやるから」  普段と変わらない、を装う口調。  これまでお互い意識して避けるみたいに距離をとってたのが嘘みたいな、ってフリの軽口を模した声は、迷子の、ピース。  シンクの淵にかけた指が、不自然に白いのは、力を入れてるから、だ。  15日の夜。  それは、教授に踏み固められたと思ってた、淡い、きぼ…う? 「……寂しかったなら…ちゃんと素直に…早く言えよ…絆…」  細い背中が、ピクリと揺れる。 「は? なんだそれ。俺は別に……っ」  取り繕った声も。  俺には、強がりにしか、聞こえないんだよ、絆。 「ちょっ!」  駆け寄って振り向きざまの腕をひき、強引に胸の中にひきいれる。  そして何よりの本音を。  誰でもない、俺の為に、口にした。 「俺は、寂しかったよ」
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