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9年越しの恋
こみ上げる感情のまま、少し開かれた唇の隙間から舌を差し込み、割り入れる。
「んんっ」
必死にもがいて逃れようとするのを、片手で体を、片手で頭を押さえて蹂躙した。
荒っぽいくらいに口腔内を舐りあげ、舌を吸い上げるうちに抵抗も小さくなり、興奮に染まった頭にも、絆の腕がダラリと落ちたのがわかった。
でも、その強引なキスは決して返されることはなくて。
一方的な俺の思いそのままのようで。
やっとの思いで解放した絆の目から涙が幾筋も落ちていくのに、どうしていいかわからなくなる。
「いや…だ」
手の甲で唇を拭い、絞りだすような声に、心が割れそうになった。
希望的観測は、あくまで希望的観測だったってことか?
とめどなく零れ落ちる涙をなんとか食い止めるように、手の平の腹で目を押さえる絆。
パズルのピースは、やっぱり似てるだけの、別物だったのか?
守りたい。
満たしてやりたい。
なのに、泣かせてるのは俺。
間違った?
何を?
失くしたのか?
それとも。
こいつの心を踏みにじった最低の野郎は、俺か?
友達のラインを。
無視した、俺?
でも、でも。
んなもん、そっちが勝手にひいたラインだろ。
んなライン。
そもそも、俺の中で存在してないんだよ。
最初から。
出会ったときから。
ずっと。
ああ。
もう、わけわかんね。
「………………そんなふうに…俺は…切り捨てられてくのか…?」
涙混じりの小さな声に、グチャグチャになった思考が分断される。
「可愛くて……清らかなコイビトが大事で手を出せないから………緩い、ビッチの俺で、解消しようって?」
くぐもった嗚咽の中に嘲笑うような音が含まれる。
「は? 何言って…」
「本気の相手ができたとたん、俺には見向きもしなくなった…くせ、に…」
本来俺に与えられてた筈のセリフを、なんでこいつが読んでるんだ?
「ちょっと待て。そりゃ違うだろ。だって……」
ますます混乱するだろ?
いや、でも………これは、シンプルな、話、なの、か?
「俺は………お前だけは…なくしたくないのに……」
変わらない絆のスタンス。
俺を舞い上がらせ、そしてがんじがらめにさせた呪いの言葉が繰り返される。
けど……。
「やま、と、は。本気で付き合うなら新車がいいって言ってた。なら…ミチヤくんは、新車で、 俺は中古も中古で、なのに手出すのは、本気じゃない…から…だから…」
確かに言った覚えのある言葉。
でも、それは、もちろんそういう意味じゃなくて。
なんなら、本心を誤魔化すためのフェイクで……。
え?
まじ……で?
息するのを忘れてたことに、あんまりにも苦しくなってから気づく。
あれを額面通り受け取って、グダグダしてたのか?
「……本気なら、手出していいわけ?」
情けなくも掠れた声。
それでも絆には届いたようで、驚いたような目を俺に向ける。
拳を握りこみ、唇をグッと噛みしめた絆は、怒ったように泣き顔を歪めた。
「だから、俺は、山登が大事なんだってば」
呪いの効果が薄くなったのは。
俺が俺の為に生きるって、決めたからだろうか。
「俺だってそうだ」
絆が大事だからこそ。
俺は、離れなきゃって思ったんだから。
「嘘だっ。俺が思うほど、山登は俺のことなんて、考えてない…」
「はあ!?」
「大事だと思ってるなら、今みたいな……キスなんて……しないっ!俺との関係なんて、壊れてもいいと思ってんだろっ!」
頭に血が昇らなかったら、そりゃもう、嘘だ。
俺が絆を思ってない?
ふざけんなっ!
「ああ、そうだよっ! とっととぶち壊したいよっ! 友達ゴッコして、お前が他の男に抱かれてるのを指くわえて見てるなんて、もう真っ平なんだよっ! 友達、友達、友達っ! くそ食らえだっ! お前こそ俺のことなんて何もわかってないくせにっ! なんだよっ、中途半端に懐きやがって。俺がそれでどんだけ惑わされるか、考えたこともねえだろうがよっ! そんなに友達でいたいなら、ちゃんと距離置いて、甘えてくるなっ!」
傷ついたような絆の顔。
でももう、止められない。
本音は、止まらない。
「俺は違う。お前が欲しい。友達なんて、そんな括りじゃなくて、お前が全部、欲しいんだよ。でも、お前はそれを望まないんだろ? お前が望んでんのは、たまに一緒に酒飲んで愚痴言い合う、親父らみたいな関係なんだろ? ならっ、そんならっ!! それを俺に強要するお前こそ、俺の気持ちを踏みにじってんだよっっ!」
泣くのも忘れ、初めて見る生物に驚く子供みたいな表情した絆に、はっきりと、苛立ちを覚える。
「……なに言ってんのか…わかんねぇ…」
挙句のそのコメントに、今年一番の血圧上昇を記録したろう。
「はあ!? 何が!? どこが!?」
俺の怒りのテンションにつられるように、絆が頭を振って声をあげた。
「全部……全部、全部、全部っ!!」
「なんで!?」
今までの俺の発言のどこに、そんな複雑難解な言葉があったというんだ!?
「なんでっ…て…なに? …バカに…してるのか?」
同じ言葉で話してるはずなのに、どうしてここまで行き違うのか。うちの母親と姉は、目で語り合えるというのに。
「どこをどう引っ張ってきたらそういう答えがでてくるわけ? どんな引き出ししてんだよ」
呆れて吐きだした溜息の中には怒りの勢い成分が多分に含まれてたのかもしれない。
ほんの少しだけ冷静になれた。
「だって…ミチヤくんと…付き合って…」
「付き合ってない」
「嘘だっ!……だって俺……」
視線を泳がせ、言い淀む絆。
ああ。やっぱりそうだったんだ。
「見てた? バイト先で?」
言い当てる俺に、絆は一歩離れた向こうから、涙で濡れた目で睨むように見上げてくる。
「キスもしてたって? はぁ。色々あんだよ、その辺は。つか、見てたなら最後まで見とけよ。あの後確かに告白はされたけど、無理だろ。俺、好きな奴が他にいるのに、付き合うのは。いくらそれでもいいって、言ってくれてもさ。あいつは可愛くて、優しくて、一途で、素直で……」
だから連絡をとって、ちゃんと会って、誠意を込めて、きちんと断った。
お互い前を、向く為に。
「俺だってミチヤを好きになれたらどんだけ楽だろって思ったよ。けど、無理だった。どんだけ足掻いても、なくならないんだ」
「……な…くならないって、何が」
ついさっきまで俺を睨んでいた瞳が、強い非難の色を失って、戸惑いに揺れてる。
「恋」
笑顔で吐きだした俺の一言に、豆の鉄砲玉食らった鳩にも負けない絆の表情が可笑しくも、可愛く映った。
「は?」
「失恋、しないの。もう9年だもんな。さすがに、やばいだろ」
視線を俺に向けたままの絆が、これもポッカリした表情のまま、無意識じゃないかってくらいぽそりと声をもらした。
「……だ…れに?」
所在なく立つ頼りない子供みたいに見えて、俺はそっと手を伸ばすと、片方の腕を取った。
「誰がいい? 誰って答えて欲しい?」
聞きながらもう残った方の腕にも手を添えて瞳を覗き込むと、絆は挙動不審なくらい、たじろいだ。
「なんでそんな聞き方するんだよ。誰、とか。……嘘聞いても…しょうがない………だろ」
「そうか? お前は嘘の方が聞きたいんだって、思ってたけど。だから俺、頑張って嘘ついてたのに」
思えばほんとに嘘ばっかだった。
人生の半分近くずっと、誤魔化してきたんだから。
「何言ってんの?」
「何言ってんの?………そればっかだな。だから、俺は、可愛げがなくて、意地悪で、へそ曲がりの奴にずっと惚れてるってこと」
「………」
「好きだよ、絆」
もう、誤魔化さない。
俺は、俺の為に生きるって決めたから。
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