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恋しい気持ちを失うわけじゃない
「恋人なんて、そんな曖昧な関係、信じてないって……言ってたのに…」
どうせ涙なんて水分が出るなら、焼け焦げた胸の中を、くすぶった火を、消してくれればいいのに。
「よしよし」
優しく髪を撫でてくれるアンリママの指に、本当は胸の内にとどめておくつもりだった気持ちが溢れ出した。
「俺、あいつのこと、ずっとずっと好きだったのに。でも、男だから。諦めてたのに。なのに……あんな失恋すると、思わんかった。あんなの……聞きたくなかった。あんな……」
「ねえ、山登ちゃん、私、あなたの倍の人生送ってきたけど、それでも恋愛の指南はできないっぽいわ。ふふ。今、私が一人だってのいうので、わかってもらえるでしょう?まあ、でもね。長いこと生きてきて思うのは……今の山登ちゃんが羨ましいって、ことかな?」
アンリママは優しく目を細めると、綺麗な指先で俺の涙を拭ってくれた。
ただ、”羨ましい”なんておためごかしみたいな言葉に素直に共感できなくて、口を尖らせる俺に、アンリママはニッコリと笑った。
「本当よ?この年になると、なんか色々邪念が入ってしまうから、そんな純粋な恋なんて、できないもの。羨ましいわ。大切にしてね」
「……失恋を?」
「うん」
さっさと忘れろと、そう言われると思ってたから、ほんのちょっとだけグルグルと涙の流れが弛緩した。
「あー、でも、ちょっと言葉は違うかな?」
カラリと氷の音をたて、手元に引き寄せた自分のグラスの中身を口にすると、一度は肯定しておきながら、当初の言葉を否定する。
「振られたからって、失恋じゃない。でしょ?」
言われた意味がつかめなくて、アホな顔を晒したと思う。
「恋しい気持ちを、失うわけじゃないもの」
継がれた言葉に、コトンと、何かが体の芯に転がり込んできた気がした。
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