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「ままならない恋心なんて、いっそ失ってしまえば楽なんだろうけど。そんな簡単じゃないものね。だったら、いっそ、ずっと持ってたらいいんだと思うのよ」
「けど……そんなん、苦しい」
「うん。苦しいね。好きな人が自分を見てくれないのは、たまらなく、切ないね。………忘れられる?」
「……無理」
「うん。私もね、すごくすごく好きな人に振られて……そのとき、苦しいのは、なんでなんだろ? って考えてみたのね。本気で好きな人なら、その人の幸せに共感するべきであって、その人が誰か別の人に幸せを求めて、それを手に入れたのなら、それは、本望なんじゃないかって。でも、そんなの、できるわけない。それはなんで、って思った。
そしたら、ね、自分、だったの。相手にされない自分。報わない自分。苦しがってる自分。全部、自分。好きな人の幸せを納得できないのは、自分があるから。自分が好きだから。
でも、それはしょうがないでしょう?自分の人生は、自分が主人公なんだもん。
だから……忘れられない恋は、本物だから、報われなくても、大事にしようって思ったの。
誰よりも可愛い自分自身を、自分が主人公のはずの世界を曲げてまで好きになったんなら、それは、自分の為にも、大事にしよう……って。飽きるまで、抱っこしてようって」
そんなん。屁理屈だ。
そう思っても、女の人にしては少し低めのアンリママの声は心地よくて、どこかの隙間から入ってきては、居ついてしまう。
焼ける胸を冷やそうと一気に煽ったアイスコーヒーは、足されたミルクのせいか、今度はほんの少しだけ飲みやすかった。
トゲトゲの心の解れから染み入る、砂糖とは違う、ささやかなミルクの甘さ。
最初から加糖・加乳のを飲んで、ブラックコーヒーの苦さを知らなきゃ、きっと、気づかない、甘さ。
「それこそ……悲劇のヒロイン気取りじゃん」
「だってヒロインだもん」
「俺、ヒロインじゃないもん」
ヒーロー?
絶対違う。
悲劇のヒーロー。
ほら。意味が全然違う。
なんで、男には、悲劇のヒロインみたいな言葉がないんだろう。
「見守る恋。ふふ。究極の自己満足」
「Mじゃん」
素直に頷けない俺に、アンリママが井戸端会議するおばちゃんのスタンダードスタイルで手を振った。
「それがね? 結構難しいのよ。ものスゴーく好きで、その人が他の人を想ってても、振り向いてくれなくても、ずっと想っていようとしててもね、途中で疲れちゃうのよ。
っていうか、なんか、どうでも良くなるの。そうなってみたらね、ああ、この人とうまくいってても、恋愛の賞味期限的にはこのくらいだったのかぁ、とかね。じゃあ、まあ、成就しなかったの、逆に後腐れなくてよかったかしら、とかね」
ん?
あれ?
しっとり諭されてるとこ……じゃなかったっけ?
「見守る恋の話は?」
「だから言ったじゃない。山登ちゃんが羨ましいって。年取ってくると雑念が増えるんだって。失恋上等。悩みなさい悩みなさい。そのうち年取ったら生活にかまけてそれどこじゃなくなるから。あー、恋に悩む男の子って、ほんっと美味しそう」
急な会話に展開に、すっかり涙はひっこんだ。
「あーん、せめて成人してればっ」
いや。あの。目、ちょっと怖いんだけど。
手、握られたんだけどっ。
そのグラス……酒!?
「あーん、もうっ、このさい未成年でもあの人の息子じゃなきゃあっ!!」
「おおおおおお邪魔しましたっ!! お釣りいいからっ!! 足りなきゃオヤジに請求してっ」
俺は財布の中から数枚の千円札を抜き取ってカウンターに置くと、アンリママの笑い声を背に、慌てて店を飛び出した。
なんのこっちゃっ。
いや、まあ、おかげ様で店に入る前の悲観的な気分は随分楽になったけどもっ。
「……帰ろ」
店から歩いて10分の我が家。
コーヒーで冷えた体に、冷たい風が容赦なく吹きすさぶ。
「寒ぃ」
足を早めたときだった。
「おい、バカ」
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